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独裁者の国葬、弔う群衆の顔に何を見る?快進撃が続くドキュメンタリー選、やまぬ反響の理由を探る

水上賢治映画ライター
独裁者、スターリンの国葬を見つめた「国葬」 (C)ATOMS & VOID

 昨年11月14日に渋谷のシアター イメージフォーラムで公開が始まると、連日多くの人が押し寄せ、異例のヒットとなり、すぐさま上映延長が決定!現在も続くコロナ禍の影響で映画館になかなか客足が戻らない中、大きな反響を呼んでいる特集上映がある

 タイトルは、<群衆 セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選 SERGEI LOZNITSA OBSERVING A FACES IN THE CROWD>。この特集の主人公であるセルゲイ・ロズニツァは、ベラルーシで生まれ、ウクライナの首都キエフで育ち、同国で科学者としてAI研究を経た後、ロシア映画大学で映画を学んだという映画作家。カンヌをはじめ名だたる国際映画祭で受賞歴を持つ、すでに世界では名の知られた映画作家といっていい。

日本で無名の映画作家の異国についてのドキュメンタリーが予想もしない快進撃で現在までヒットを継続中!

 ただ、日本で彼の作品が上映されるのは今回が初めてのこと。日本においてはまだ知られざる映画作家といえる。

 これまでに数多くのドキュメンタリー及び4本の長編劇映画を発表している彼だが、本プログラムがピックアップするのは、「国葬」「粛清裁判」「アウステルリッツ」というドキュメンタリー映画3本。<群衆>というテーマのもと紹介されるこの3作品は、いずれも日本から遠く離れた国の歴史と時代と人間を見つめたものになる。

日本においては無名といっていい映画作家の異国についてのドキュメンタリーがなぜ、いま、日本のわたしたちの心をとらえているのか?

 その理由を紐解くべく、本特集の仕掛け人であるサニーフィルムの有田浩介氏へのインタビューを2回に分けてお届けする。

無名の作家のドキュメンタリーを日本の観客に届けようと思った理由

 はじめに今回、日本では無名の映画作家といっていいセルゲイ・ロズニツァの作品を配給する経緯をこう語る。

「僕が配給の仕事を始めたのは、2016年のこと。以来、途中で宣伝業務を挟んだ時期もあるのですが、コンスタントに世界の作品を配給して日本に紹介してきました。

 ただ、今回のセルゲイ・ロズニツァの作品に出会う少し前は、配給業務について悩んでいたというか。今後、自分が配給を続けていく上で、どういうスタンスで臨むべきか、自問自答しているところがありました。

というのも、2018年に配給した『ゲッベルスと私』がおかげさまで大ヒットして、これはものすごくありがたいことだったんですけど、一方で調子に乗るというか、自分自身を見失ってしまったところがあった。

『どうやったら当たるか』ぐらいだったらまだいいんですけど、『この作品は当たるか、当たらないか』みたいな観点で、配給する映画を探すように知らず知らずのうちになっていた。そうなると、急に大好きなはずの映画がどれもつまらなく見えてしまう

 『このままじゃダメだ』なと。サニーフィルムとしてどういう作品を今後紹介していけばいいのか、おもしろいことができるのか悩んでいました」

「国葬」より (C)ATOMS & VOID
「国葬」より (C)ATOMS & VOID

ヒトラーよりも強力な権力を持った独裁者であったスターリンの国葬が、どういうものだったのか見てみたい

 そういう時期に出会ったのが、セルゲイ・ロズニツァの作品だったと明かす。

「いまからちょうど1年ちょっと前になりますけど、2019年の11月の中旬から末にかけて、毎年開催しているアムステルダム・ドキュメンタリー国際映画祭(※以降、IDFA)に行って。そこで『国葬』を観たんですね。

 昨年はコロナの影響で行けなかったんですけど、IDFAには毎年行っていて。実のところ2019年は、ほぼ『国葬(※英題 STATE FUNERAL)』を観にいくために、アムステルダムに飛んだようなもんでした。

 タイトルにグッと惹かれたというか。映画祭の紹介文に『スターリンの葬儀』と書かれたのをみたとき、『どういう作品なのだろう』と純粋に興味がわきました。

 僕はソ連史を学んだことはないですけど、ある意味においてヒトラーよりも強力な権力を持ったといっていい独裁者であったスターリンの国葬が、どういうものだったのか見てみたいと思った

 あと、その少し前から、僕はアーカイバル・フッテージを使っている作品にすごく可能性を感じていました。きっかけは先ほど触れた『ゲッベルスと私』。配給して大ヒットわけですが、この映画は、ナチスの重要人物であるヨーゼフ・ゲッベルスの秘書だったブルンヒルデ・ポムゼルというおばあさんの語りに、アーカイブの映像を挟んだだけのドキュメンタリーで、当初、誰もヒットすると思っていなかった(苦笑)。

 ただ、僕はいたってシンプルでダイレクトなその構成に心をもっていかれた。そして、人の語りとともに、そこに合わせたアーカイヴ映像の力をすごく感じたんです。

 結果として作品は大ヒットして、多くの人に届けることができた。それでなにか今の人の心に届く可能性とポテンシャルが、アーカイバル・フッテージには、あるのではないかと思うようになりました。

 それから、アーカイバル・フッテージを使った作品に関心を寄せるようになったんです。で、IDFAに2019年新設部門ができた。それが「ベスト・ユーセッジ・オブ・アーカイバル・フッテージ」で。つまり、アーカイバル・フッテージを使った映画のコンペティションが新設された。

 そこに入っていたのが『国葬』で、『これは観るしかない』と現地に赴きました」

「すごい映画だけど、日本での興行は難しい。まず、当たらない」と判断するタイプの作品。でも、「すごい」に賭けてみたかった

 はじめて観たときの印象をこう明かす。

「一般的にいうところの分かりやすい映画ではない。でも、ひと言でいえば『すごい』作品であることは間違いない。これは僕だけじゃなくて、配給を手掛ける人間だったらおそらくほとんどの人がそう思う。

 ただ、どんなにすごい作品だとしても、日本の映画マーケットで受け入れられるかは別の話で。『国葬』は、おそらく日本の配給会社のほとんどは『すごい映画だけど、日本での興行は難しい。まず、当たらない』と判断するタイプの作品。実際、僕も日本で興行を成功させるのは厳しいと思いました

 でも、僕は、この『すごい』と思わせるほうに賭けたくなった。この作品の中にある『すごさ』を日本のみなさんに届けたいと。興行が成立するか否かではなくて、このすごい作品を届けたい気持ちのほうが勝った。配給としていま自分のやるべきことはこういう作品を日本に届けることだと思ったんですよね」

「国葬」より (C)ATOMS & VOID
「国葬」より (C)ATOMS & VOID

世界を見渡してもありえない映画

 具体的にどこにそこまで惹かれたのだろうか?

「ありえない映画だと思いました。アーカイバル・フッテージで全編が構成されているわけですけど、このこと自体がそもそも異例ですよね。世界を見渡してもこんなことやっている映画作家はいない。そもそも、これだけの膨大なアーカイヴ映像を集めるのが大変だし、それを借りるとなったら特に日本の場合、膨大な使用料が必要になるから、手がでない。そういう意味で、日本ではまず生まれない映画というか、僕の知識の中ではありえないアーカイバルの使い方をしている作品であることに驚きました。

 それから、事前の情報としてスターリンの国葬ということはわかっていたんですけど、実際に観たら、それどころじゃない。歴史や時代や人間そのものをひっくるめてみせつけられるところがある。しかも、それが現代にしっかりとつながっている。まさに、クリエイティブとはこのことだと思いましたね

 すぐに日本での公開を視野に配給交渉に動いた。

「『国葬』は僕が日本に戻る、前夜に観たんですけど、翌日の帰りの飛行機の中では、プロデューサーへのメールを作成していました(笑)」

 そしてロズニツァについて調べ始めたという。

「この人は何者なんだろう?と思って、調べるわけです。

 そうしたら、もう彼のアーカイバル映画は、2005年から始まっている。それで、先方にメールを送って、ほかの作品も見せてもらった。最終的に彼のドキュメンタリーを全作品見ました。

 その中で、初動としては『国葬』を紹介したいという気持ちがあったわけですけど、ロズニツァという映画作家を紹介したくなったというか。IDFAでの『国葬』の上映時、彼と少し話せればと思ってたんですけど、もう人に取り囲まれいてそれどころではなかった。それぐらい欧州では彼は知られている。でも、日本では未開の監督で。まだ知られていない彼を紹介したときにどんな反応があるのかちょっと想像したら、ワクワクした

 それでロズニツァを紹介するならば、『国葬』1本ではちょっとなと。それで考えを重ねていく中で、3本での紹介に行き着いたんです」

セルゲイ・ロズニツァ監督(右)と有田浩介氏(中央) 提供:サニーフィルム
セルゲイ・ロズニツァ監督(右)と有田浩介氏(中央) 提供:サニーフィルム

無名の監督の作品を一挙3上映。ほかの映画関係者全員から「無謀すぎる、クレイジーだ」と言われました(笑)

 にしても、日本では無名の監督の作品を一挙3本上映してしまうのは、無謀な試みに思えるが?

ほかの配給の知り合いにも言われました。『無謀すぎる、そんなハイリスクなことを』とか『クレイジーだ』と(笑)

 でも、僕は逆のことを考えていて、『国葬』だけでの上映では自信がもてなかった。ビビりなところがあるから、無名の監督を1本上映しただけでどれだけの人が興味を持ってくれるのか不安なところがあった。むしろ何本かで紹介できたら勝負できるかなと。だから、当時は、3本での上映はクレイジーだなんて思ってなかった。あとで、『無茶なこと』と気づくんですけど(苦笑)。

 あと、先ほど触れたように、ロズニツァは日本では公開されていませんけど、世界ではすごく人気の映画作家で。フィクション4本、ドキュメンタリー22本と作品数もあるので、世界中の映画祭ですでにレトロスペクティヴも組まれている。

 だから、1本だけでは彼を紹介したことにはならない。そう考えると、複数の作品を紹介しなければなと」

ロズニツァの作品は、群集心理の怖さや危うさなどに言及している

 こうして組まれたのが、今回の<群衆 セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選 SERGEI LOZNITSA OBSERVING A FACES IN THE CROWD>だ。

 「群衆」という全体テーマは、実に的確。いまコロナ禍を生きる私たちがもしかしたら一番意識して考えて行動しなければいけないことともいえる。

 この全体テーマの発想はどこからきたのか?

「『群衆』という切り口での、ロズニツァの企画上映は世界で初めてです。

 さきほど彼のドキュメンタリーをすべて観たと言いましたが、そこに度々『群衆』が出てくるんです。

 ロズニツァの映画の多くは近現代の戦争や社会がテーマ。時代を映す鏡のような作品が多い。時代を映すと、そこには必ず『群衆』が映り込む。

 ただ、はじめは『群衆』というテーマでは考えていなかったんですよ。

 『国葬』『粛清裁判』『アウステルリッツ』のラインナップを組もうと決めたのはほぼ直感で。『国葬』と『粛清裁判』はスターリンに関する2作品で、『アウステルリッツ』はホロコーストに関する作品。『独裁』や『統制』といった共通点でつなげることはできる。

 でも、厳密に言うと、僕は最初に『国葬』があって、次に『アウステルリッツ』、最後に『粛清裁判』で、この3本でと決めた。

 不思議がられるんですけど、最後の一押しは『粛清裁判』だった。『国葬』と『粛清裁判』は対のような作品だから、そこに新作に近い『アウステルリッツ』をつけたのかなと思われるんですけど、『国葬』『アウステルリッツ』がまずあって、そこに『粛清裁判』がきて、なにかみえたものがあったんですね。明確なビジョンではないんですけど、何か『この3本』と思えた。

 で、その何かをずっと考えていたんですけど、昨年の3月に新型コロナウィルスの感染が拡大して、今も続いていますけど、報道が過熱してさまざまな情報が飛び交った。そのとき、すごく改めて報道の在り方を考えたというか。何で報道は、ここまで恐怖心を煽るのかとか、それによって何で人はここまで怯えるだろうかと、ずっと考えていた

 そのとき、『これって群衆心理からきてるよな』と思ったんです。こういう非常時に、ひとつ群集心理が働いて、よからぬ方向に進むケースが少なくない

 そういう考えに至ったとき、ロズニツァの作品というのは、その群集心理の怖さや危うさなどに言及しているなと思ったんです

 それで『群衆心理』もしくは『群衆と時代』というタイトルが浮かんで、『国葬』に哀しみ、『粛清裁判』に怒り、『アウステルリッツ』に無関心というキーワードを紐づけて紹介しようと思いました。

 ただ、ポスタービジュアルやチラシを手掛けてくれているレスタフィルムズのデザイナーの成瀬(慧)君から『群集心理よりも<群衆>としたほうが特定しなくていいと思う』といったアドバイスを受けて。確かにそうだなと。

 今回、僕が漠然と考えていたのは、過去を追って現代について考えるということ。ロズニツァの作品を通して、過去と現在に同時代性を見出し、群衆の中の人々の顔に、自分の顔を重ねたとき、なにかみえてくることがあるのではないか?と。

 つまり、僕は群衆の中の人々それぞれの『顔』をみてほしい気持ちがあった。今回の企画上映の英語タイトルが、『SERGEI LOZNITSA OVSERVING A FACES IN THE CROWD』となっているのは、そういう僕の意思の表れ。突き詰めていく中で、『群衆』の『顔』を見てほしいことに気づきました。

 この3作品の群衆のシーンを見ていると、その時代の空気が如実に表れている。ある意味、時代を作るのは群衆で。たとえば独裁政治下では政府に心酔しきっている顔がある一方で、怯えや恐怖をはしばしから感じる顔もある。悪のレッテルを貼られた人間を袋叩きにするような民衆の怒りの表情が見てとれるところもある。

 過去の人々の表情から読み取れることがたくさんある。コロナ禍で世の中が不安や恐怖に陥っている場合、なおさらそうあるのではないかと思いました。

 それで群衆の『顔』なんだと。そのことに気づかせてくれた成瀬君には非常に感謝しています」

「粛清裁判」より (C)ATOMS & VOID
「粛清裁判」より (C)ATOMS & VOID

初日から連日の大入り。実は意外ときょとんとしていた?

 こうして迎えたロズニツァ3選は、公開初日から大きな反響を呼ぶ。

「1本の作品に対して、公開プラス公開後を入れて、5、6カ月ぐらい費やして、映画を届けるのが僕の配給スタイル。僕は自分で作品を買い付けて、自らの手で宣伝もしたい人間だから、それぐらいの時間が絶対に必要なんですよ。

 ただ、今回はコロナ禍の影響もあって、ほぼ1年かけて1つの企画を届ける形になった。ここまで手間をかけたのは初めてのこと。ほんとうに公開の1カ月前ぐらいは、どうなるのか気が気でなかった(苦笑)。

 ただ、初日はけっこうきょとんとしていたというか。今映画は、事前予約できるので、3日前ぐらいから席が埋まりはじめて、調子がいいのがわかっていたので、蓋をあけてみたらいっぱいお客さんがきてくれてびっくりというのはなかった。

 いい形でスタートが切れた。じゃあこの後は、というのが初日の段階での感想でしたね」

(※後編に続く)

<群衆 セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選 

SERGEI LOZNITSA OBSERVING A FACES IN THE CROWD>

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映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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