事実より感動を優先させ、「現代のベートーベン」の虚像作りに加担したNHK
「現代のベートーベン」と呼ばれていた作曲家、佐村河内守氏をめぐる騒動は、3月7日の記者会見を経ても終わりそうにない。会見自体も謝罪というより弁明という印象で、さっそく「週刊文春」(3月20日号)などが反論を載せている。
振り返れば、代表作にしてヒット作である『交響曲第1番 HIROSHIMA』をはじめ、東日本大震災をモチーフに生まれたという『鎮魂のソナタ』などの作品が、別の人物(新垣隆氏)によって作曲されていたことが判明したのが2 月。
また、これまで佐村河内氏は、自身が広島生まれの被爆二世であるだけでなく、全聾だと公言してきたが、7日の記者会見では全聾ではなく難聴だったと告白した。つまり作曲してはいなかったし、全聾でもなかったわけだ。
●佐村河内氏を礼賛してきたメディア
佐村河内氏が世間から注目された背景には、彼を取り上げ、礼賛してきた活字や映像といった多くのメディアの存在がある。中でも2013年3月31日に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律~音を失った作曲家~』の影響は大きかった。
番組は耳鳴りなどに苦しみながら作曲しているという佐村河内氏に密着取材を敢行。インタビュー映像もふんだんに流された。「闇の中からつかんだ音みたいな、そういったものこそ僕にとっては真実の音なんじゃないかな」などと語る全聾の作曲家は、番組内で一種のカリスマとして扱われていた。
放送後はインターネット上に称賛の声があふれ、CDの売り上げも急増した。「NHKスペシャル」というブランドの力によるものだ。
この番組の企画を提案し、密着取材を行った外部ディレクターはもちろん、NHK関係者は全員、本人が作曲していなかったことも、全聾ではないことも気づかなかったことになる。
いや、現時点では「自分たちも騙された、嘘を見抜けなかった」と言い張るしかないだろう。この2点を知りながら番組を制作し、放送したのであれば、佐村河内氏の虚像づくりに加担して視聴者を、そしてCDや本の購入者を欺いていたことになるからだ。
実は、この番組内では、佐村河内氏がまさに作曲しているシーン、楽譜に書き込んでいる映像は流されていない。前述のディレクターによれば、佐村河内氏が「神様が降りてくる神聖な瞬間なので、見せることはできない」と言って、作業は絶対に撮影させてくれなかった(「AERA」2月17日号より)という。
その代わりに、佐村河内氏が苦悶の声をあげながら床を這いずり回ったり、出来上がった譜面を持って部屋から出てきたりする映像は見せていた。だが、肝心のシーンはなかったのだ。
もともと、佐村河内氏を取材対象とした理由に、耳がまったく聞こえないのに作曲する、普通ではあり得ないことをしている人という前提があったはずだ。その場合、あり得ないことが起きている"事実"を映像で押さえないまま、番組として成立させたことに問題がある。
なぜそうなったのか。事実よりも、「現代のベートーベン」という“物語”と、それがもたらす“感動”を優先させたためだ。
●NHK、過去にも類似ケース
ここで思い出すのが、02年4月28日放送のNHKスペシャル『奇跡の詩人~11歳 脳障害児のメッセージ~』である。脳に障害を持ち、話すことも立つこともできない少年が、文字盤を使って詩を書き、詩集も出版しているという。少年は不自由な手で文字盤を指さし、母親が読み取る。その二人三脚の創作現場を取材した番組だった。
ところが普通に番組を視聴していると、どうしても母親が文字盤自体を移動させているようにしか見えない。我が子が「こうあって欲しい」という母親の切なる願いは伝わってきても、視聴者側が事実として受け止めるには無理があった。同時に、目の前で見ているはずの制作者はどう判断していたのかが非常に気になった。
その後、内容が問題視され、検証番組までつくられたが、結局、疑惑は払拭されないまま現在に至っている。
重度脳障害の少年詩人と、被爆二世で全聾の作曲家。どちらも美談になりそうな題材であり、視聴者の感動を呼ぶドラマチックなストーリー性がそこにある。だが、そんな時こそ制作者は虚実に敏感であるべきだし、冷静で客観的な目を持つべきだ。NHKには、前回にも増して事実と真摯に向き合う検証番組の制作を望みたい。