寝屋川事件・山田浩二死刑囚が控訴取り下げ後二度目の接見で語ったこと
2019年5月24日、寝屋川中学生殺害事件の山田浩二死刑囚が控訴取り下げを行ってから二度目の接見をしてきた。死刑確定でそろそろ接見禁止になるからと、この日も早朝から大阪拘置所には報道陣が接見希望で多数つめかけた。私は月刊『創』(つくる)次号の締切なのだが、仕方なく東京・大阪を2日にわたってトンボ帰りで往復し、かなり疲労した。
前回一度目の接見内容とそれについての感想は下記に書いた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190523-00127078/
死刑判決の控訴を取り下げた山田浩二被告に接見。到底納得できないと思った
24日の二度目の接見はあらかじめ30分とれることを告げられた。前日は20分だったが、恐らく山田死刑囚が大事な接見だからと事前に申し出たのだろう。彼は書類や手紙を面会室に大量に持ち込み、いろいろなことを私に託した。まもなく接見禁止になることを前日の接見で私からも説明したので、彼はもう、これが弁護士以外との最後の接見になるかもしれないという前提で臨んでいた。
今回は突然の控訴取り下げだったから、いろいろ連絡せねばならない相手もいたのだろう。彼が教えてくれた中には、妹や元妻もいた。ただ私が「連絡したら何かやってくれるの?」と尋ねると、「一度も会いにも来てくれていない」と山田死刑囚は肩を落とした。
5月18日の夕方、刑務官と激しい口論となり、パニック状態になって、控訴取り下げの書類を刑務官に持ってこさせて即座に提出するという、彼の行った行為については、後悔していると語っていた。死刑が確定すると接見禁止になるといったことも前日のやりとりではあまり認識していなかったように感じた。そもそもパニックになって今回のようなことをするまでは、控訴審には臨むつもりだったとも言っていた。
前日に、これで死刑が確定してしまうことをどう考えているのか、死刑への恐怖は感じないのかとも訊いたが、まだ気持ちの整理ができてないと言っていた。
でも一晩あれこれ考えたのだろう。とりあえず必要な手続きはやっておかなければという気持ちになったようだ。
さて私が2日目にも接見に行ったのは、前日から私も弁護士を始めいろいろな人と連絡をとっており、それを伝えるためと、もうひとつは今回の控訴取り下げを無効とする申し立てを行うことについて話をするためだった。私がそんなことを彼に話したのは、別に山田死刑囚のためというのでなく、前回も書いたように、ボールペン1本をめぐるトラブルで、控訴審が開かれなくなったという、そのことがひどすぎると思ったためだ。
1審においては山田死刑囚の動機が解明されていないし、そもそもなぜ罪のない2人の中学生を殺さなければならなかったのか、曖昧でよくわからない。しっかりとした真相解明がなされないままに、彼を死刑にして一件落着というのでは、あまりにお粗末すぎる。
死刑判決の控訴を取り下げた後に、それを無効とする訴えを起こすというのは、私が関わった奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚も行っていたが、それは1審死刑判決が確定して半年以上経った後だった。だから今回とはケースが違うと言えるかもしれない。
山田死刑囚が今後どういう手続きを行うのか。それは週明けの5月27日月曜日からになるだろう。控訴取り下げ無効の申し立てといっても、簡単にそれが通るわけでないことは明らかだ。いずれにせよ、今回の控訴取り下げについては、いろいろ議論すべき問題が含まれており、今後それについての報道もなされていくと思う。今回のような事情で簡単に取り下げがなされてしまう制度上の問題も考えるべきだという意見もある。
別れ際、山田死刑囚は、2日続けて早朝から接見にきてくれたお礼を何度も述べ、もう時間だと係官に言われながら繰り返していたのだが、何やら「今生の別れ」という雰囲気で、見ていた私も少し胸が熱くなった。
さてこの一件は週明け以降どうなっていくのか。裁判のあり方をめぐる大事な問題を提起していると思うので、ぜひ議論もしたいし、経過を報告したいとも思う。前回、控訴取り下げで死刑が確定してしまうことに納得できないという記事を書いたところ、関係者を含むいろいろな反響があった。こんなふうにリアルタイムで反響が届くのがインターネットの革命的なところだ。この報告もそういう思いで書いた。
(以上。5月24日執筆)
なおこの間の経緯については何本も記事を書いているし、山田被告の獄中手記をヤフーニュース雑誌で全文公開した。
獄中手記は下記からアクセスできる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010000-tsukuru-soci
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00010001-tsukuru-soci
〔追補〕
上記の記事を書いたのは5月24日夜、大阪から帰京してからだが、考えたうえでもう少し補足することにした。というのも、実は山田浩二死刑囚が週明けの5月27日以降、控訴取り下げの無効の申し立てをするのはほぼ確実で、それに関して起こるであろう議論のために、幾つか書いておいたほうが良いのではないかと思ったからだ。
以下の記事は5月25日に書いているが、別記事にするとわかりにくいので、24日の記事に補足としてつけることにした。また新聞報道などにならって、私も本人のことを「山田被告」でなく「山田死刑囚」と表記することにした。
控訴取り下げを無効とする手続きが認められるかどうかについては、元特捜部主任検事の前田恒彦さんがヤフーニュースに書いている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20190524-00127099/
「控訴取下げ撤回できるか」という見出しで、要するに撤回はできないという結論だ。その中で私が紹介した山田被告の手紙もその根拠にしているから、その文脈で使われるのは困ったなという感じだが、一般的な死刑確定の意味合いだったらもちろん山田死刑囚も認識していた。
ただそういう認識をしていたにもかかわらず彼が控訴取り下げをしてしまったのは何故なのかというのが大事な問題で、私は今回の経緯を見、本人にも話を聞いて、彼が陥ったというパニック症状についてはもう少し考えねばならないと思っている。1審で弁護側は、事件当時彼がパニックに陥っており、背景に彼の発達障害があると主張していたようだが、今回の取り下げの経緯も、何かそういうことを考えないと理解できない気がするのだ。刑務官と喧嘩になって…といっても、控訴取り下げまでやってしまうというのは、どう考えても飛躍がありすぎる。本人は、そういうパニック症状について、前からそういうところがあったと言っていたから、普通でない精神状態に陥ってしまうことがある人だというふうに考えなければいけないのかもしれない。
ちなみに控訴取り下げ無効の申し立てをした場合、手続きがどんなふうに進むのか、私が関わった奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚のケースはこうだった。
2006年9月26日 奈良地裁で死刑判決。弁護人が即日控訴。
同年10月10日 小林被告が控訴を取り下げ、死刑判決確定。
2007年1月 1審での弁護人と別の弁護士の説明を受けた小林死刑囚は取り下げ無効の申し立てを決意。(その後の具体的な申し立て期日は不明)
2008年4月 奈良地裁が申し立てを棄却。小林死刑囚は高裁に抗告。
5月 高裁も棄却。最高裁に特別抗告。
7月7日 最高裁も棄却。
地裁で最初の棄却決定が出てからは早いのだが、それにしても決着までにこんなに時間がかかっている。死刑確定から時間がたってから申し立てを起こすに至ったという事情があるからだろうが、さて今回の場合はどのくらいで結論が出るものか。
今回、山田被告は5月18日土曜日の夜に控訴取り下げの同日付け書類を提出するのだが、彼がその手続きを行ったことは、朝日新聞が5月21日にスクープして皆が知るところとなったようだ。朝日新聞デジタルの記事「寝屋川中1男女殺害、死刑が確定 被告が控訴取り下げ」の配信時間は21日の13時30分だ。朝日は週明けの20日に情報をつかんだらしいのだが、記事を出す前に21日朝、山田死刑囚に接見してコメントをとろうとしたようだ。でも、本人が拒否したらしい。
しかし、そのニュースを受けて各社が拘置所に駆けつけ、なぜかそこで山田死刑囚は毎日新聞の接見に応じて、取り下げの事実を認め、「もうどうでもいいと思った」などとコメントした。
毎日新聞は21日23時32分のネットニュースで詳細をこんなふうに配信している。
https://mainichi.jp/articles/20190521/k00/00m/040/293000c
5月22日も各社が拘置所につめかけるのだが、早朝から並んで一番最初に接見申し込みを行った読売新聞の接見に山田死刑囚は応じ、22日の朝刊に「山田死刑囚『深い考えない』」という記事が掲載された。
その後、23日と24日も他社は拘置所につめかけたが、私が接見するのを知った山田死刑囚は全ての接見を断ったのだった。
ついでに書いておくと、山田死刑囚は22日に1審の弁護人、23日に2審の弁護人の接見も拒否している。その理由は割愛するが、私は24日に接見した時、弁護人の接見を断ってはだめだと説得した。今後、山田死刑囚の控訴取り下げ無効の申し立ては弁護人の手続きによって行われるはずだ。
さて上記の経緯の中で、補足しておきたいのは、22日付読売新聞の記事で山田死刑囚がこうコメントしていることについてだ。
「(死刑になることが)自分にできる唯一のしょく罪。結果として遺族に望ましい方向になったので、あまり後悔はない」
24日の私の接見の時には「後悔している」「まずかった」と語っているのだが、これは矛盾しているわけではない。読売新聞の取材を受けた時点では、山田死刑囚は控訴取り下げ無効の手続きができることを理解しておらず、取り下げはやってしまったことだから受け入れざるを得ないと考えていた。
ただ、報道を知った知人などから心配する手紙も届き始め、今回の控訴取り下げについては「まずかった」という気持ちを持つようになっていく。ただ私に24日にそう語っていた時も、「後悔」とはパニックになって後先考えずにやってしまったことについてであって、結果的に死刑になることについてはまた別の思いがあるように言っていた。
山田死刑囚は、『創』3月号の手記でわかるように、2018年12月の死刑判決を受けた当初はそれを受けとめることができなかったのだが、その後、いろいろ考えており、「結果として遺族に望ましい方向になったので、あまり後悔はない」というのもその時点の彼の心情だったように思う。
さていろいろ書いたが、本当はほかにも伝えるべきことはある。ただ、5月27日以降、取り下げ無効の申し立て手続きが始まる前に、あれこれ書いて弁護人に迷惑をかけては申し訳ない。今回はここまでにしておこうと思う。
山田死刑囚の控訴取り下げについては被害者遺族を始め関係者もコメント出しているが、毎日新聞が掲載した1審で裁判員を務めた男性の「真相を究明する道は閉ざされたと感じる」というコメントが印象に残った。1審判決では、星野君殺害動機については「具体的なところはわからない」と書かれている。2審をきちんと開いてぜひその解明をやってほしかった。本当にそう思わざるをえない。
(2019年5月25日午後2時45分)