中1殺害 控訴取下げ撤回は?
被告人の控訴取下げで一審の死刑判決が確定した寝屋川中1男女殺害事件。ただ、2人の殺害を認めて反省したからではなく、自暴自棄の心境によるものとも見られる。真意ではなかったと主張して撤回などは可能か――。
【控訴取下げの経緯】
報道によれば、次のような話だ。
裁判で死刑の言渡しを受けて確定した者のことを正式には「死刑確定者」と言うが、ここでは一般に耳馴染みのある「死刑囚」と呼ぶこととする。
もともとこの死刑囚は、一審の裁判員裁判で、中1の男女2名に対する殺人の容疑につき、男子は熱中症などの体調不良で死亡したとして無罪を主張し、女子は静かにさせようと口を押さえたら手が首にずれたもので殺意がなかったから傷害致死罪にとどまると主張していた。
そのうえで、発達障害の影響で心神耗弱状態だったと主張し、刑の減軽を求めていた。
一方、2018年12月19日の判決は、2名の遺体の状況などから窒息死と認定し、強固な殺意に基づく残忍で冷酷な犯行だとしたうえで、完全責任能力があったとして、検察側の求刑どおり死刑を選択した。
これに対し、一審判決に不服だとして控訴したのがこの死刑囚だった。
しかし、面会した記者に対する説明によれば、5月18日に大阪拘置所の刑務官とトラブルになった挙げ句、もうどうでもいいという自暴自棄の心境になり、そのまま控訴取下げの書面を提出したということになる。
もちろん、刑務官とのトラブルの件を含め、この死刑囚の話を額面どおりに受け取ってよいのかという問題もあるが、少なくとも死刑判決を真摯に受け止め、2人の殺害を認め、反省の情を示したから、ということではなさそうだ。
【控訴取下げの効果】
そうすると、今後、この死刑囚や弁護人、支援者らが「取下げは真意ではなかった」などと述べ、裁判所に撤回を認めるように求めたり、取下げの無効を主張するといった展開が考えられる。
それが可能なのかについては、まず「上訴」、すなわち控訴や上告の取下げの法的な効果について見ておく必要がある。
すなわち、捜査や裁判の手続について定めた刑事訴訟法には、次のような規定がある。
「検察官又は被告人は、上訴をすることができる」(351条1項)
「検察官、被告人…は、上訴の…取下をすることができる」(359条)
「上訴の…取下をした者は、その事件について更に上訴をすることができない」(361条)
「刑事施設にいる被告人が上訴の提起期間内に上訴の申立書を刑事施設の長又はその代理者に差し出したときは、上訴の提起期間内に上訴をしたものとみなす」(366条1項)
「前条の規定は、刑事施設にいる被告人が上訴の…取下げ…をする場合にこれを準用する」(367条)
拘置所も、ここで言う「刑事施設」の一つだ。
すなわち、たとえ裁判所に対する提出があとになったとしても、拘置所に収容されている被告人が控訴取下げの書面を拘置所の担当職員に渡し、職員が受け取った時点で、裁判所に提出された場合と同じく、取下げの法的効果が生じる。
その具体的な内容だが、控訴取下げで上訴できなくなるわけだから、死刑判決か否かにかかわりなく、取下げの瞬間に刑事手続が終了し、判決も確定するということになる。
今回の件で言えば、5月18日に拘置所の職員に控訴取下げの書面を提出しているようなので、判決確定日もこの18日になる。
これが最高裁の判例でもある。
なお、被告人側が控訴した事件のうち、約2割が控訴取下げで確定している。
期限までに控訴を申立てないと一審で確定してしまうので、ひとまず申立てだけしておき、控訴の理由をあとから考えるとか、少しでも暖かい時期に服役するために、冬場の一審判決に対して形だけ控訴し、春になったら取下げて確定させるといった例も見られるからだ。
また、死刑の確定はその大部分が最高裁の上告棄却によるものではあるが、中にはさまざまな理由にもとづく本人の控訴取下げや上告取下げも見られる。
【撤回などの申立てがあったら…】
とはいえ、実務では「やっぱり撤回したい」とか「思い違いをしていたから無効だ」といった申立ても現にある。
ただ、先ほどの刑事訴訟法には、取下げの撤回に関する規定がない。
経緯や理由がなんであれ、有効な取下げがありさえすれば、そこで裁判手続は終了するわけで、もはや撤回など許されないからだ。
一方、有効な取下げか否かについては検討の余地がある。
控訴取下げも判決確定という法的効果を生じさせるものだから、錯誤やそれに至った本人の不注意の有無などが問題になるだろう。
例えば、最高裁の判例にもなった有名な事件として、詐欺で有罪となり、上告を申し立てたあと、いったんはこれを取下げたものの、最高裁にその撤回を求めたという事案がある。
示談などの話し合いが一部の被害者との間でしかできないと思って上告を取下げたものの、ほかの被害者との間でも話し合いができそうなので、上告審議を続けてほしいという主張だった。
これに対し、最高裁は、仮にそうした錯誤があったとしても、その錯誤が被告人の責(せめ)に帰することのできない事由に基づくものとは認められないから、取下げを無効とすることはできないし、上告は取下げによってすでに終了しているから、取下げの撤回も認められないとした。
このほか、高裁レベルでも、殺人などで死刑判決を受けて控訴中、被告人自ら控訴取下げの書面を作成して拘置所長に提出したものの、弁護人らがその無効などを主張した事案があった。
弁護人の主張は、次のようなものだった。
(1) 被告人は控訴取下げの意味を認識し、理解できる訴訟能力を有していなかったから、取下げは無効。
(2) 精神鑑定を回避する手段として控訴取下げに及んだもので、それにより直ちに死刑判決が確定するとは思っていなかったから、被告人の真意にでたものではなく、無効。
(3) 仮に有効でも、実母あての手紙で取下げ撤回の意思を表明し、裁判所にもその意思表示をしたから、有効に撤回された。
これに対し、東京高裁は、被告人の訴訟能力に欠けるところはなく、控訴取下げがもたらす効果などを十分に認識したうえで、あえて取下げに及んだものであるから、無効とすべき理由はないとした。
また、有効な取下げが行われた以上、いったん終了した訴訟状態を撤回によって復活させることはできないとした。
【取下げの効果を認識していたか】
今回の死刑囚の場合、裁判員裁判における被告人質問や拘置所における面会時の受け答えなどからして、少なくとも控訴取下げの書面を提出した時点で訴訟能力があったとされることは間違いないだろう。
そこで、取下げの法的効果などを十分に認識していたか否かを検討することになるが、冒頭で挙げた面会時の記者とのやり取りなどのほか、この死刑囚が外部と取り交わしてきた手紙の内容が重要な証拠となるはずだ。
すなわち、この死刑囚は、手紙の中で次のように記していた。
この記載からは、この死刑囚が控訴取下げの法的効果、すなわち死刑判決が確定すること、それにより死刑の執行という自らの生命に対するリスクが生じること、しかも執行時期が早まる可能性まであることを十分すぎるほど認識していたと認められる。
こうした重大事件の場合は拘置所でも発信時の検査の際に手紙のコピーをとり、「身分帳」と呼ばれる簿冊に綴っているはずだから、拘置所もその内容を把握していることだろう。
生まれて初めて裁判を受けるというのならまだしも、この死刑囚は多数の前科を抱え、これまで何度も裁判を受け、刑務所での受刑歴まであるわけだから、控訴取下げによって自分がどうなるのか、という重要な事実を知らなかったとは言い難い。
死刑確定で面会や手紙のやり取りなどが著しく制限されることにはなるが、たとえこれをよく分かっていなかったとしても、あくまで付随的効果にすぎず、「控訴取下げ=死刑確定=死刑執行による生命剥奪あり」という本質的な法的効果さえ認識していれば足りる。
だれかに騙されたり脅されたりして控訴取下げに及んだというわけでもなく、絶対に返品が許されていない店で熱くなってつい衝動買いをしたものの、やっぱり返品したいと言っているに等しい。
そうすると、確かに死刑は誤判の場合に取り返しがつかず、裁判から執行に至るまでの間、慎重の上にも慎重を期すべきものではあるが、「取下げは真意ではなく、無効だ」といった主張についても、裁判所に一蹴されるのではなかろうか。
ただ、たとえこの死刑囚が自ら控訴取下げをしていたとしても、再審の請求は可能だ。
「開かずの扉」と言われる再審の狭い門戸が開かれる可能性は乏しいが、死刑の執行を少しでも先延ばしにすることはできるだろう。(了)