なぜ未来は「やりたいことが見つからない」人のほうがうまくいくのか?
「やりたいことが見つからない」のが当たり前
「夢がない」「やりたいことが見つからない」若者を見ると、私と同世代(40~50代)の経営者やベテラン社員の多くは、嘆きます。
「最近の若い者は、やりたいことが見つからないと言う。どうなってるんだ。私が若いころは夢に満ち溢れていたのに」
このようなことを口にする教職者もいますが、もはや時代遅れの感覚と言えるでしょう。「モノがあふれている時代となり、さらに豊かになりたいという感覚がないのだ」などと言う人もいますが、論点がずれています。
「金持ちになりたい」「幸せな家庭を築きたい」「お客様に感動を与えるビジネスをしたい」といった抽象的な概念での目標なら達成するかもしれませんが、今の若者たちが「IT企業を起ち上げて4年後に上場を目指す」「2年後に渡米して5年以内に自動運転のエンジニアになる」といった具体的な目標を掲げることそのものは非常に難しい。
私と同世代の40~50代の人が、昔語っていた夢や人生の目標というのは、前述したような「漠然」としたもの。マイホームを持ちたい。都心のマンションを買いたい。週末にマイカーで家族とドライブしたい……この程度です。若者たちは親の世代で、こういったものはすでに手に入れてしまっているため、もっと具体的でかつ刺激的な夢のほうがソレっぽくなります。しかしソレっぽい夢を作ることなど、なかなかできません。
どんなに自分を見つめなおしても、どんなに内省しても、「自分が本当にやりたいことって何だろう」と問いかけたって、堂々巡りを繰り返すだけ。夢がなくてもいいのです。やりたいことが見つからなくても、それが当たり前。そのことを批判する人がおかしいのです。
やりたいことを決めるリスク
我々の世代でもそう。3年や5年後の目標ならともかく、将来の夢とか人生の目標をきちんと掲げ、それを達成している人など、ごくごく少数です。
結局、誰もがプランドハプンスタンス的な生き方になるのです。ご縁を大事にしながら目の前の仕事を一所懸命にし、キャリアを積んでいく、という考え方です。
幸せになりたい、豊かな生活を送りたいといった――どうなりたいのか、という「あり方」ならともかく、あまりに変化が激しすぎるため、何をやりたいのかという「やり方」は決めようがありません。
もしも仮に具体的な目標を設定したら、将来の夢が固定されるがゆえに、予想もしなかった出会いによって巡ってきたチャンスをつかみ損ねるリスクさえ抱えます。
「強み」よりも「強さ」
株価や為替の値動きを、どんなにプロであっても予想できないのと同じで、いまや外部環境の変化スピードは、私たちコンサルタントでさえ予測できないぐらいに速い。
それに何年もかけて資格をとったり、何らかの免許を取得しても、数年後には陳腐化しているかもしれません。
3大メガバンクが3万人超の人員削減を決めてしまう時代です。どんなに高学歴で、人気の高い大企業に入社しても、未来永劫、安泰ではありません。
今の時代に大事なのは「強み」ではなく「強さ」です。
そして、強さといっても「鋼のような強さ」ではなく、どんな変化が起ころうと折れることなく、その変化に適応できる強さです。未来に夢や、やりたいことがあってもいいし、なくてもいい。どちらであろうと、ドンドン周りが変化していくことは間違いない。環境に正しく適応する能力、柔軟な発想力が、これからの時代、よりいっそう求められるのです。