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「手作り」の境界線

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

小ネタ。唐突だが、2月は手作りの季節だ。

いったい何の話だといわれそうなので、1つグラフを出しておく。これはGoogleトレンドで「手作り」というキーワードでの検索トレンドを追ったものだが、定期的にスパイクがあることに気づかれるだろう。これらは毎年のいずれも2月だ。要するに、日本人が最も「手作り」に関心を持つ時期ということになろうか。

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というわけで、2月が手作りの季節という意味はおわかりいただけたかと思う。想像がつくと思うが、これはもちろん、2月にバレンタイン・デーがあるからだ。これに関連して、かねてより疑問に思っていたことがある。

ここでいう「手作り」とはいったい何を意味しているのだろうか。

バレンタイン・デーに女性が好意をもつ男性にチョコレートを贈るというのは、欧米の習慣を日本企業がアレンジして打ち出したキャンペーンから定着したものだ。実際にチョコを贈る女性が今どのくらいいるのかよく知らないが、このウェブアンケートでは8割近くの女性が「バレンタインデーにプレゼントをする」と回答している。この中には同性の友人や自分にチョコを贈るみたいな場合も含まれているが、それらを含めれば、「バレンタインにチョコを贈る」のは女性の間で比較的定着した習慣、といえそうだ。

で、その際、そのチョコレートを「手作り」する、ということが贈る側の気持ちの表れという考え方があるんだろう。「義理チョコ」という風習が広範に行われている中で本命の人への差別化を意図しているのかもしれないし、「料理ができる」という、いわゆる女子力のアピールなのかもしれない。あるいは、高級チョコを買うより安くすむ、という実利的な判断もあるかもしれない。ともあれ、「手作り」チョコには買ってきたチョコよりも価値がある、というのが一般的な評価とされていることについては、さほど議論の余地はないものと思う。

で、問題は、「手作り」とはどの範囲なのかということだ。

「手作りチョコ」といっても、いろいろなものがある。「手作りチョコ レシピ」で検索すると、さまざまなレシピが出ているが、簡単にできるものとして紹介されているのは、市販のチョコレートを溶かして別の形に成型したものだ。たとえばこのページで紹介されている「テンパリングいらずのチョコ」は、おおざっぱにいえばこんな手順だ。

(1)ボウルにチョコを入れ、湯せんで溶かす<br />

(2)チョコを円形に垂らし、固まらないうちにナッツ類をのせる<br />

(3)冷蔵庫で冷やす

もっと簡単に、溶かしたチョコレートを型に流しこんで別の形、たとえば動物やら星やらの形にするだけ、というのも考えられる。これなら、私も子どものころにやったことがある。

こういったものは「手作りチョコ」とは呼べない、とか言いたいわけではない。むしろこれらは私の基準では「手作りチョコ」に入る。その「手作りチョコ」における「手作り」の基準が、他の料理ジャンルにおける「手作り」の基準と同じなのだろうか、というのが私の疑問だ。チョコレート以外にも範囲を広げて考えるなら、「手料理」と言い換えた方がいいかもしれない。たとえばラーメンやらご飯料理やらでは、どこからが「手作り」になるんだろうか。

まずラーメンの場合。インスタントラーメンにお湯を注いだものを「手作り」ないし「手料理」と呼ぶ人はまずいないだろう。では、インスタントラーメンにお湯を注いだ後、できあいのチャーシューやシナチクなどを載せる、だとどうだろう。これも厳しいかな。そこに生卵を割って落とす、もいまいち。しかし茹で卵や茹でた野菜だったら?ここまでくると、人によっては「手料理」と呼んでもいいと考えるかもしれない。さらに、これがインスタントラーメンではなく生麺だったら、けっこう多くの人が「手料理」の範疇に入れるんじゃないだろうか。

ご飯の場合も、似たことがいえるかもしれない。ご飯を炊いて茶碗に盛ることは、一般には「手料理」に分類されないと思う。炊いたご飯にふりかけやらお茶やらをかけてもまだ「手料理」とは呼びにくい。買ってきた天ぷらやレトルトカレーを載せるのも若干厳しそう。しかし、買ってきた材料を混ぜたものを載せてネギトロ丼にする、なら、やや「手料理」っぽくなる。自分で揚げた天ぷらや、自分で切った野菜や肉を煮込んだカレーなら完全に手料理だろう。

そもそも「手料理」かどうかを単品で判断することがおかしいという議論もありうる。お椀に盛ったご飯を「手料理」とは呼ばないとしても、そこに自分で材料を切って煮込んだ肉じゃがが添えてあれば、全体として「手料理」という評価を受けるのではないだろうか。つまり、いくつか組み合わせて全体として「手料理」ととらえられる料理であれば、その中に単品では「手料理」とはいえないものが混じっていたとしても、「手作り」感はさほど影響を受けないのかもしれない。

もちろんこれらはすべて、あくまで私の主観だが、一般的にも、「手作り」と「手作りでないもの」の間には、何らかの「境界線」がありそうな気がする。かけた手間数か、元の形からの変化の度合いか。あるいはかかった時間か、そこに加えられた創意工夫やアレンジの度合いか。そうしたものの組み合わせかもしれない。

「手作りチョコ」と「手作りチョコでないもの」との間にも「境界線」はあるんだろう。その意味では、「これは手作りチョコではない」という事例を見つけなければ、と思って探したら、あった。ロッテのサイトで紹介されているこの「パン・オー・ガーナ」はどうだろう。要は、トーストの上に板チョコを載せただけのものだ。これはさすがに「手作りチョコ」とも「手料理」とも呼ばないだろう。

つまり、この「パン・オー・ガーナ」と上の「テンパリングいらずのチョコ」(ないしチョコをただ他の形に成型しただけのもの)との間に、「境界線」があることになる。元の形からの変化の度合いとかけた手間、あたりになるのかもしれないが、正直よくわからない。ただ、上に挙げたラーメンやご飯料理と比べて、チョコレートの場合は、「手作り」と呼んでよいと思われる範囲がやや広いような気がするがどうだろうか。「テンパリングいらずのチョコ」は、ラーメンの例でいえば「ゆでた麺にできあいのチャーシューをのせる」ぐらい、ご飯料理でいえば「炊いたご飯の上に温めたレトルトカレーをかける」ぐらいの加工度のように思われる。

このような差が仮にあるとして、それはどこからくるんだろう。ラーメンやご飯料理とちがって、チョコレートはふだんあまり作らないから、だろうか。それともチョコレートの食材としての「完成度」が、麺や米と比べて高いということなんだろうか。

やっぱりよくわからないが、1ついえそうなのは、「手作りチョコ」において「手作り」とされる基準が他の料理よりやや低いということが、「手作りチョコ」を作ろうという動機付けになっているのではないかということだ。比較的簡単な作業で「あっ手作りチョコだねありがとう」と喜んでもらえるのであれば、やってみようかと思う人も出てこようというものだ。となれば、もらう側としても歓迎すべきものということになろう。たいていの場合、贈り物というのは、そのモノ自体よりも、そこに込められた贈り手の思いとか手間とかがうれしいのだろうし。ちなみに上で紹介した調査では、約半数の男性が「バレンタインギフトをもらえる期待している」と回答しているようだ。もちろん、既成品でも喜ぶんだろうけど。

いや、だからといってチョコが欲しいとかいってるわけじゃないよ?ないからね?

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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