ライオンのようなヘアスタイルの母の存在、ヤングケアラー状態だった自身の体験が作品の出発点
白石和彌、中野量太、片山慎三ら現在の日本映画界の第一線で活躍する監督たちを輩出している<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭>が7月15日(土)から開催を迎える。
本映画祭は今年節目の20回目。メインのプログラムとなる国際コンペティション、国内コンペティションのほか、本映画祭をきっかけに大きな飛躍を遂げた監督たちをゲストに招く「SKIPシティ同窓会」といった特別上映も行われ、例年にも増した充実のラインナップが組まれている。
その開催に先駆け、昨年の国際コンペティションで見事受賞を果たしたフィルムメイカーたちに受賞直後行ったインタビューを届ける。
二人目は、最優秀作品賞(グランプリ)を受賞したフランス映画「揺れるとき(英題:Softie)」のサミュエル・セイス監督。
東フランスの貧しいエリアで暮らす10歳の少年の成長と性の目覚めを描いた本作について同行したプロデューサーのキャロリーヌ・ボンメルシャン氏を交えながらと話を訊く。全五回。
自身の映画はほぼが私小説的といっていい
前回(第一回はこちら)は、サミュエル・セイス監督が役者からキャリアをスタートさせている点について訊いたが、今回から本格的に作品についての話を。
まず、自身の手掛ける作品の出発点についてこう明かす。
サミュエル「まず今回の作品の話に入る前に少し自分の映画作りに関して話しをさせてください。
僕の場合は、(自身の映画は)ほぼ私小説的といっていいです。自身の体験したことがもとになっている。
自身の体験したことをベースにしながら、そこに客観的な他者の視点も入れていくような形で物語を作り上げていく。
つまり、まず自分が発信したい、物語りたいことがあって、そこがいつも映画作りの第一歩になります。
それから、フィクションとドキュメンタリーの間にある境界線のようなところを往来したり、交わったりすることがすごく面白いと思っているところがあって。
そういった映像表現の可能性と戯れることができる。それも自分の中での映画作りの大きな魅力であり、踏み出す一歩になる。
そして、もうひとつ僕の映画作りの原動力となっているのは、ある種の社会階級に属している人たちを真摯に描くこと。
現代を生きるさまざまなタイプの人間をリアルに描きたい。
フランス映画というと、たとえばブルジョア=悪といった形で描かれがちです。
そういった固定観念みたいなものにしばられたくないというか。
いかなる社会階級に属する人間も、労働階級だろうとブルジョアだろうと、平等にみつめて、その人物をリアルに描く。そこからいまの社会であったり、世界につなげていく。
そういった思いがあって、僕の映画作りは始まります」
ひとつ主軸に置いたのは『脱却』
今回の「揺れるとき(英題:Softie)」に関してはこう明かす。
サミュエル「今回の作品に関しても、自伝的映画といっていいです。
その中で、ひとつ主軸に置いたのは『脱却』といっていいかもしれません。
主人公のジョニーは10歳で、東フランスの貧しい地域でシングルマザーの母と二人の兄妹と共に暮らしている。
その現状からの脱却を彼ははかろうとする。
ただ、そこでいろいろと葛藤がでてくる。
たとえば、ジョニーは母に頼られっぱなしで。ほとんどヤングケアラーのような立場に置かれている。
ですから、この現実から飛び出したいとは思うけれども、自分が家を出てしまうと家族が崩壊するかもしれない。
妹はどうなるんだ?家族の生活が立ち行かなくなるのではないかと悩みが尽きない。
そのことを主軸に描こうと思いました。
なぜ、その点を主軸に考えたかというと、同じような境遇にいる子どもがそれこそ世界各地にいるかと考えたからです。
そして、描くことで、こうした現状をどうすれば打破できるのか、現状を打破できる人とできない人に違いはあるのかなど、わたし自身が考えてみたかったのです」
ジョニーと一緒で家において僕はいろいろな責任を負っていた
自身が反映されているとのことだが、監督自身は10歳のころ、どういうことを考えていたのだろうか?
「いろいろな複雑な気持ちが、ないまぜになっていてうまく消化できていない時期だった気がします。
10歳のころは、大人にすごく強い憧れがありました。
たとえば食卓を囲むにしても、同世代、同年代の子どもたちと一緒のテーブルにつくのはうんざりしていて。
僕はいつも大人のテーブルの方にいって、大人たちに囲まれながら、彼らの話すことをきくのが好きでした。
と同時に、ジョニーと一緒で家において僕はいろいろな責任を負っていたんです。
シングルマザーの家庭だったので、たとえば母に代わって、役所関連の書類を書いて提出したり、なにかの手続きをしたり、といった10歳という年齢で負うべき責任ではないことをしなければならない場面がありました。
いまとなってはいい経験だったと思っているんですけどね。
そういったことがあったので、自分の置かれたこの環境が非常に不公平だと考えていました。
10歳でしたけど、社会にすでに不満を抱いていた。
で、弁護士になって僕と同じような境遇にいる人を助けてやるんだとか、えらくなって母のために家を買うんだとか、夢を抱いていました。
その一方で、周りに同化したいという気持ちもありました。
というのも母がぶっとんでいたというか。母は厚化粧をしてライオンのような髪型をして、丈が異常に短いスカートをはいて、みたいなファッションの人で。
否応なく周りから視線を注がれる。ある種、近所の有名人だったのでみんなが知っている。
子どもの自分としてはやはり恥ずかしいし、その視線が気になる。
だから、周りに同化して悪目立ちしたくないなと思っていました。
まとめると、自分はちょっとほかとは違う人になって上を目指すという大志を抱いていながら、周りの子たちと同じような普通な生活を送りたいと願うという、相反する気持ちが同居するような、ちょっともやっとする毎日を送っていました」
(※第三回に続く)
【「揺れるとき(英題:Softie)」第一回インタビューはこちら】
<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2023(第20回)>
会期:《スクリーン上映》2023年7月15日(土)~ 7月23日(日)
《オンライン配信》2023年7月22日(土)10:00 ~ 7月26日(水)23:00
会場:SKIP シティ彩の国ビジュアルプラザ 映像ホール、多目的ホールほか
詳細は公式サイト:www.skipcity-dcf.jp
ポスタービジュアルおよび授賞式写真はすべて提供:SKIPシティ国際Dシネマ映画祭