108年の歴史に幕 蛙の詩人・草野心平のふるさとの木造駅舎 磐越東線 小川郷駅(福島県いわき市)
蛙の詩で知られる詩人・草野心平。その出身地、石城郡小川町(現:いわき市)は阿武隈高地の山懐に抱かれたのどかな農村地帯だ。その小川町の玄関口にあたるのが磐越東線の小川郷(おがわごう)駅である。この駅には大正4(1915)年7月10日開業時に建てられた木造駅舎が残っているが、建て替えによりまもなくその姿を消す。
小川郷駅の駅舎は入口に庇の突き出た古風なデザインで、かつての賑わいを今に伝えるかのようにその床面積は大きい。磐越東線がいわきを出てから最初の交換可能駅で、折り返し列車も設定されているが、平成元(1989)年3月11日に無人化されている。現駅舎の床面積約182平方メートルに対し、建て替え後の新駅舎の床面積は約30平方メートルと6分の1まで縮小される予定だ。
工事のため、駅舎内は片付けられてそのほとんどは立入禁止となっている。駅舎のうち利用者が立ち入れるのは入口からホームへの通路となっている一部のみだ。
今ではガランとしている駅舎内だが、かつては地元住民の「小川郷(さと)の会」によって本棚が置かれ、壁には子供たちの絵や草野心平の額が掲げられていた。これらは建て替えのため7月中に会が持ち帰ったとのことである。会は無人化された小川郷駅を活性化しようと平成5(1993)年5月に「小川郷の駅を明るく会」として結成され、定期的な駅清掃やイベント「エンジョイ小川郷駅」を行ってきた。図書コーナーが設置されたのは平成11(1999)年のことだ。建て替えに伴い、7月30日には「ありがとう小川郷駅」というイベントが開催され、ピアノ演奏なども行われている。
駅舎の隣にはかつて古い便所があったが、令和3(2021)年頃に建て替えられたようで、筆者が再訪した時には消えていた。駅舎だけでなくこうした古い便所も全国の駅から消えつつあり、風前の灯火状態だ。
工事が行われるのは9月中旬から来年3月下旬頃まで。段階的に仮囲いし、駅舎が完全に囲われるのは11月からとのことである。新駅舎のデザイン等については検討中で、決まり次第改めて公表するとのことだ。
駅舎とは地下通路で結ばれているホームは島式1面2線。ホーム上には昭和11(1936)年に建てられた木造待合室がある。その背後の上屋も建て替え予定だが、待合室については言及がないので今後も残るのだろう。
駅舎と同じく建て替え予定の上屋もまた短いながらも立派なものだ。木造のしっかりとした梁からは一昔前のデザインの駅名標が吊り下げられている。柱にはホーロー看板も設置され、レトロな雰囲気だが、こちらも見納めとなる。ホーローの駅名くらいは新駅舎内に飾ってほしいところだが。ホームと改札を結ぶ地下通路は国鉄時代、水戸鉄道管理局管内では唯一の存在だった。
ところで、小川郷駅の駅名についてだが、開業前の仮称は「西小川」だった。「西小川」は駅南西部の地名で、当初の計画では西小川地区に駅を設置するつもりだったのだろう。ところが、実際に駅が設置されたのは「赤井村大字高萩」。地名から取るなら駅名は「高萩」となるところだが、常磐線に既に高萩駅があったため、地域名の「小川」を駅名に採用することになった。「小川」も既に駅名として使われていたこと、当地が「小川八ヵ郷」の中心に当たることから、「小川郷」としたとされる。駅の設置場所については炭鉱会社の資金提供により現在地に決定したという地元古老の伝聞も残されているが、真偽のほどは定かではない。
ホームから見えるところには国鉄水戸鉄道学園で運転士教育に使われていた教習車「ナヤ11-2」という珍車のカットボディーが置かれている。10系客車を改造したもので、2両しかいないレアな車両だった。相方とも言うべきナヤ11-1もいわき市内の山中に残っており、かつては飲食店として使われていたが、現在は廃業している。
昭和17(1942)年10月、南京から一時帰国した草野心平は、小川郷駅に降り立った時のことを『故郷の入口』に詠んでいる。この詩も改札からホームへの地下通路に掲げられていたが、建て替え工事に合わせて撤去されてしまった。地元住民から愛された駅舎の108年に及ぶ長い歴史もあともう少し。草野心平の詩にも詠まれた駅舎を目に焼き付けたいなら早めに行っておいた方がいいだろう。