2年前のチャンピオンズC。大一番に愛馬を送り出す直前、彼にかかってきた電話で伝えられたのは……
G1直前にかかってきた1本の電話
12月2日に行われたチャンピオンズC(G1)はルヴァンスレーヴが優勝して幕を閉じた。
男はこのレースをどんな思いで見ていた事だろう……。
話は2年前、2016年のチャンピオンズCまで遡る。
1977年7月20日生まれで、当時39歳だった中垣功。4歳上の兄と4歳下の妹と共に、生まれ故郷の奈良で育てられた彼はこの時、美浦・高木登厩舎で持ち乗り厩務員をしていた。
担当していたのはサウンドトゥルー。
同馬の担当となったのは2016年の秋。前年に東京大賞典を勝っていたサウンドトゥルーだが、担当厩務員が定年。後任者も体調を崩したため、更なる後任として、高木から指名を受けた。
「交流G1を勝っているほどの実力馬をやらせていただく事になり、高木先生に感謝しました」
担当となった初戦はJBCクラシック。ここは追い込み届かず3着。そうして迎えたのがチャンピオンズCだった。
「厩務員になって初めて参戦するG1でした。週の頭から少なからず緊張気味でした」
落ち着かせてくれたのはサウンドトゥルーだったと中垣は言う。
「サウンドは普段から大人しい馬で、いつも堂々として、僕の方が『緊張するなよ』って言われている気がしました」
そんな中垣に、実家から1本の電話が入った。
大好きだった祖母の体調がすぐれないと伝えられたのだ。
このような連絡が中垣の下に届けられたのは、実はこれが初めてではなかったのだが、それはまた後述しよう。
祖母の事を心配しつつ、中京へ向かったのはレース2日前の事だった。
「チャンピオンズCが終わったらすぐに実家へ様子を見に行こうと思いつつサウンドと一緒に馬運車に乗っていました。その時、実家からメールが届きました」
中垣の帰郷を待たずして、祖母は天に召されてしまったのだ。
この年のチャンピオンズCは12月4日に行われた。ゲートが開くと序盤はいつも通り後方から。4コーナーでもまだ後方のままだった。
「正直『届かないかな?』と思える位置でした。でも、最後は一完歩ごとに差を詰めて、見事に差し切ってくれました」
その直線では自分でも驚くくらい大声が出てしまったと苦笑して、続ける。
「他の出走馬の厩務員さんに『おめでとう』と言われて、申し訳ない気持ちで一杯になりました」
その後、地下馬道までサウンドトゥルーを迎えに行った。馬が戻るのを待つ間、2人の顔が浮かび、胸が熱くなったと言う。
「1人は祖母です。直前に亡くなった祖母が応援してくれてサウンドも一所懸命に走ってくれたのかな……と思いました」
そして、もう1人……。
祖母の時と同様、実家から連絡が入ったのは20年近くも前の話だった。当時、牧場で働いていた20歳の中垣は耳を疑った。
「妹が白血病で余命1年と診断されたと言われました」
きっちり1年後、妹は息をひきとった。僅か17年の人生だった。
「チャンピオンズCの後、サウンドを美浦まで届け、無事を確かめてから帰郷して、祖母と妹の墓前にG1勝ちを報告しました」
突然の移籍と新たなる相棒
今年のチャンピオンズCが行われたのは12月2日。サウンドトゥルーが勝った年より2日早い開催日は、中垣の祖母の命日だった。
前走のJBCクラシックで久々に良い末脚を披露して5着したサウンドトゥルーだが、残念ながらチャンピオンズCの出馬表に名を連ねてはいなかった。JBCのレース直後、船橋競馬への移籍が決まり、美浦を後にしたのだ。
「JBCの2日後に聞かされて驚きました。そのJBCはレース直後、上がってきた大野(サウンドトゥルー騎乗の大野拓弥騎手)君が『次のチャンピオンズCが楽しみになりました!!』って開口一番に言っていました。それだけに移籍と聞いた時は驚くと同時にガックリしました」
それから日が経ち、今では落ち着いたと言い、次のように語る。
「高木先生は勿論ですが、なかなか結果を出せない間も、いつも温かい眼差しで見守ってくださった山田弘オーナーや岡田スタッドの方々、良い状態で厩舎に戻してくださった育成牧場のスタッフ。今は皆さんに感謝しかありません」
さらにサウンドトゥルーとの日々を振り返って続ける。
「最初と最後がJBCだから、2年と少し一緒に過ごしたという事ですね。G1を勝たせてくれたのは勿論、その舞台に連れて行ってくれたのもサウンドが初めてでした。当然、JRA賞を受賞できたのも初めて。本当に色々な経験をさせてもらい、様々な事を教えてもらいました。彼にも感謝しかありません」
サウンドトゥルーが厩舎を去った直後、中垣は2歳馬ホウオウトゥルースを担当する事になった。父アイルハヴアナザー、母はキョウエイトルース。サウンドトゥルーの弟だ。
「大人しかった兄と違い、気性はヤンチャで全然似ていません。でも、顔の流星の感じは似ています」
今度は弟との大仕事を、墓前に報告できる日が来る事を、願おう。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)