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平安京さんぽシリーズ⑪ 知る人ぞ知る隠れ道「六条通」を歩く(前編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
現在の六条河原付近、見えている橋は五条大橋(※以下の写真も全て筆者が撮影)

 現在の六条通は、平安京の六条大路にあたります。東西両本願寺とその寺内町を結んだ通りで、現在でも仏具をはじめとした東西本願寺とかかわりの深い店も多く、狭い商店街が続くなど、今回のシリーズの中でも最も庶民的な通りです。

 東は河原町通から西は堀川通に至る1キロ強の短さであることから、知る人ぞ知る通りとなっています。

 まず六条通の東端、鴨川一帯は中世まで「六条河原」と呼ばれる罪人の処刑場でした。東国へ続く渋谷街道が走り、都を出入りする多くの人びとで賑わっていたことから、「見せしめ」を目的とした刑場が設けられたのです。

 保元の乱における源為義、平忠正、本能寺の変における斎藤利三、関ヶ原の戦いにおける石田三成、小西行長、安国寺恵瓊、大坂の陣における豊臣方残党など、著名な武将や政治家がこちらで最期を迎え、処刑後彼らの首級は、さらに人通りが多い三条大橋のたもとに晒されています。

 それでは、起点となる河原町六条の交差点へ向かいます。このあたり、つまり五条大橋の南西部一帯は、かつて源融の六条河原院跡と推定されます。

 4町(一説には8町)にわたる広大な敷地を有しており、源融はこちらの庭園の一部を奥州の塩釜の浦にみたてて、その風景を楽しんだほか、瀬戸内海から毎月30石の海水を運ばせて塩焼きを楽しんだとも伝わります。

 その後、宇多上皇の仙洞御所となりましたが次第に荒廃しました。明治初期まで付近は「籬(まがき)の森」と呼ばれる森であったとされ、現在はエノキの木がその名残を伝えています。

エノキの木の根元に六条河原院跡の石碑と駒札が立つ
エノキの木の根元に六条河原院跡の石碑と駒札が立つ

 さらにこの近辺には、河原町通を挟んで寺社が南北に並んでおり、歴代皇后の崇敬あつく、女人守護と名水天之真名井が湧く市比賣神社や、戦国武将の長宗我部盛親の墓や平清盛ゆかりの駒止め地蔵がある蓮光寺、後白河法皇が亡くなった長講堂などはぜひ立ち寄りたいスポットです。

蓮光寺の山門。本尊の「負別の阿弥陀」は快慶作と伝わる
蓮光寺の山門。本尊の「負別の阿弥陀」は快慶作と伝わる

 

 六条通は現在、河原町通から烏丸通間のわずかな区間のみ車の対面通行が可能で、ここが六条通と認知できます。烏丸通に出る前に、南北の間之町通を南へ行く(下ル)と、菅原道真の乳母とされる多治比文子が最初に道真を祀った文子天満宮が右手に見えてきます。道真の腰掛石も境内にはひっそりと置かれていますので参拝していきましょう。

文子天満宮の門前の間之町通は、かつて市電が走っていた(七条通~上枳殻通の間)
文子天満宮の門前の間之町通は、かつて市電が走っていた(七条通~上枳殻通の間)

 さらに南側には東本願寺の別邸である渉成園があり、春は梅、桜、初夏は水連、秋の紅葉と四季折々の庭園美を楽しむことができます。

 壮大なスケールの東本願寺も含め、余裕があれば、この辺りまで足を延ばしてみてもいいでしょう。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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