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熊野灘・七里御浜を望む築85年の木造駅舎 建て替えへ 紀勢本線 阿田和駅(三重県南牟婁郡御浜町)

清水要鉄道・旅行ライター
阿田和駅

 「年中みかんのとれる町」として知られる紀伊半島南東部の南牟婁郡御浜町。その玄関口である紀勢本線の阿田和(あたわ)駅が建て替えられることが、8月30日の紀南新聞の記事で報じられた。老朽化と白アリ被害が理由で、令和8(2026)年1月以降の撤去が予定されている。8月27日の御浜町議会全員協議会ではこの建て替えについても話題となり、町の玄関口である駅周辺整備の機会として、駅舎の活用について積極的な取り組みを求める声も上がったという。

駅舎
駅舎

 阿田和駅は昭和15(1940)年8月8日、紀勢西線が新宮から紀伊木本(現:熊野市)まで延伸した際に開業した。当時の所在地は南牟婁郡阿田和町で、昭和33(1958)年9月1日の合併で御浜町となっている。駅がある阿田和地区は御浜町の中心にあたり、駅前から南側にかけて市街地が広がっている。役場は隣の紀伊市木駅との間にあるが、最寄りは阿田和駅だ。

駅舎内
駅舎内

 駅舎は開業前の昭和14(1939)年12月に建てられたもので、今年で築84年。昭和58(1983)年12月21日の無人化からも40年以上が経過しており、傷みが目立つ。待合室は天井が高く明るい雰囲気で、町の玄関口にふさわしい風格が感じられる。昭和10年代以降の駅舎らしく壁はモルタルで、腰部分はタイル仕上げだ。

窓口跡
窓口跡

 かつてきっぷを販売していた窓口跡にはシャッターが下ろされ、潮風にさらされて錆が目立つ。年一回、熊野大花火大会の日のみ臨時で営業するが、それ以外で使われることがない。

 「JR東海をよろしく」の文字が添えられたみかんの枝のイラストはJR発足時に描かれたものだろうか。同様の文字とイラストは線内の駅に多く残っており、駅によってイラストが違うので、駅巡りの際は着目してほしい。

ホーム
ホーム

 ホームは島式1面2線。駅舎側の1番線が新宮方面、反対側の2番線が熊野市・尾鷲・多気方面だ。駅裏の住宅が建つあたりにはかつてホッパーがあり、内陸の入鹿鉱山から索道で運ばれてきた鉱石を貨車に積み替えていた。鉱石の積み出しは駅の開業数か月前から行われており、その関係で駅舎も開業より9か月も前に建てられていたのだろう。

七里御浜
七里御浜

 駅の規模の割に立派な駅前通りをまっすぐ行くと、国道42号線に突き当たる。その向こうに広がるのは水平線へと続く熊野灘。紀伊半島南東部、熊野市・御浜町・紀宝町の3市町に跨る全長約25キロ(七里)の七里御浜は、日本一長い砂礫海岸として知られ、御浜町の町名にもなっている。

 国道42号と駅前通りの交差点には「道の駅パーク七里御浜」があり、紀南の地のものを提供するレストランも入居している。列車の本数が少ない阿田和駅だが、待ち時間をつぶすのに道の駅と七里御浜はうってつけだ。

歩道橋から見た阿田和駅
歩道橋から見た阿田和駅

 80年以上もの間、熊野灘から吹きつける潮風に耐えてきた木造駅舎もあと1年余りで見納めとなる。紀南の地は他地方から訪れるとなるとなかなか行きにくい地域だが、七里御浜に熊野古道、丸山千枚田、鬼ヶ城など魅力的な観光地も多い地域でもある。紀南観光のついでに阿田和駅にも立ち寄って、木造駅舎の最後の雄姿を目に焼き付けてみるのはいかがだろうか。

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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