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欧米の対ロシア制裁“第3弾”でウクライナ危機は去るか?

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
ロシアのプーチン大統領=大統領府サイトより
ロシアのプーチン大統領=大統領府サイトより

世界を震撼させた7月17日のウクライナ東部上空でのマレーシア航空機撃墜事件(乗員・乗客298人死亡)をきっかけに、米国と欧州連合(EU)は7月31日に、ウクライナ危機の早期解決に向けた金融制裁を柱とした第3弾の強力な対ロシア制裁措置を正式発表し、8月1日から実施した。しかし、その代償は大きく、欧米にとどまらず、世界経済への打撃が懸念される。

IMF(国際通貨基金)は7月29日に、対ロ制裁の悪影響について緊急リポートをまとめ、「制裁強化とロシアの報復制裁の悪影響が欧州や中央アジアにも広がっていく。欧州は天然ガス需要の40-100%をロシアに依存しており、ロシア産天然ガスの供給停止が最大のリスク。特に、オーストリアとフィンランド、ドイツの依存度は極めて高い」と指摘する。ロシアは以前から報復として欧州向け天然ガスの価格引き上げの可能性を示唆している。

米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルストリート(『WSJ』)のジェラルディン・アミエル記者は7月30日付電子版で、「欧米企業は対ロ制裁に警戒を強めている。仏石油メジャーのトタルは天然ガス生産大手ノバテクへの出資拡大を中止し、英石油大手BPも投資家に制裁で利益が落ち込むと警告している。仏自動車大手のルノーとプジョー・シトロエン・グループ(PSA)もロシア経済の後退による業績悪化の懸念を示した」という。独デュースブルグ・エッセン大学のフェルディナンド・デンホッファー教授も同日付のWSJ紙電子版で、「独自動車大手フォルクスワーゲンや米自動車最大手のゼネラル・モーターズやフォード・モーターも制裁措置で打撃を受ける」と警告する。さらには、欧州航空最大手エアバスと航空・宇宙大手ボーイングも異口同音に、機体製造でロシア産チタンの依存度が高いため、今後は供給不足に陥ると懸念している。

EUの新制裁措置では、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の側近8人の資産凍結とEU域内への渡航禁止のほか、ロシアの金融と軍需、エネルギーの3セクターが制裁対象となっている。金融制裁は、ロシアの国営銀行が欧州の資本市場で資本調達を禁止することを狙い、具体的には、欧州の個人投資家や銀行などの企業がロシア連邦貯蓄銀行(ズベルバンク)や対外貿易銀行(VTB)、国営天然ガス大手ガスプロム傘下のガスプロムバンク、開発対外経済銀行(VEB)、ロシア農業銀行の国営銀行5行が新規に発行する社債や株式、また、残存期間90日を超える社債や株式を購入、または売却することを禁止する。これによって、ロシアの国営銀行は長期の資金調達や債務償還などが困難となり、ロシア経済への悪影響が懸念される。ロシアの対外債務7160億ドル(約73兆円)のうち、国営企業が保有する債務は全体の43%も占めている。

軍需・エネルギーセクターに対する制裁は、高度先端技術の対ロシア輸出を禁止するのが狙いで、ロシアへの武器輸出だけでなく、ロシアからの武器購入を禁止するほか、軍事転用が可能な民間用機器や深海底油田、北極圏の石油開発、ロシア国内のオイルシェール(油母頁岩)開発に使われる高度先端技術の輸出も禁止される。ただ、エネルギーに関してはガスプロムやロシア産天然ガスを黒海経由で欧州各国に送るガスパイプライン「サウスストリーム」(輸送量は年間630億立方メートル)など天然ガス分野は制裁の対象外としている。

また、武器禁輸は既存契約には適用されないことになったため、フランス政府が強く反対していた、総額12億ユーロ(約1640億円)に及ぶ、ロシア海軍へのフランス製ミストラル級ヘリコプター空母の引き渡し禁止は除外され、制裁はしり抜けとなったようにEU加盟28カ国は一枚岩ではない。また、ロシアのノーボスチ通信が7月26日付電子版で、「オーストラリアのトニー・アボット首相は記者会見で、“対ロ制裁はEUの問題であり、オーストラリアは制裁に加わる考えはない”と表明した」と伝えたように、米・EUの対ロ制裁に追随すると表明したG7(先進7カ国)でも足並みは揃わない。

制裁強化でプーチン大統領の戦略にほころび

ニューヨーク・タイムズ(『NYT』)紙のネイル・マックファーカー記者は7月29日付電子版で、「ロシアの最新の世論調査でも国民の大半はウクライナ危機に対し“痛くも痒くもない”という態度を示し、表向きは平静を装っているが、今後は制裁強化でロシア経済への打撃が一般市民レベルにまで感じられるようになる」とした上で、「これまで成功を収めてきたウラジーミル・プーチン大統領のウクライナ反政府組織を支援する一方で、ロシアの新興財閥が最も嫌うEUとの関係断絶の事態を避けるという両睨みの戦略にもほころびが出始めてきた」と報じた。

この戦略のほころびの背景には、プーチン大統領の西側に依存しなくてもロシアの繁栄は可能だという“慢心”があるとの批判が多い。ロシアの政治評論家ニコライ・ペトロフ氏(元カーネギー財団モスクワ・センター主事)もその一人で、NYT紙の7月29日付電子版で、「プーチン大統領とその取り巻きは、西側は自ら犠牲を払ってまで過激な制裁は行わないと見くびっていた。彼らが想像していたのとは違う事態が起きている。マレーシア航空撃墜事件は、プーチン大統領がリベラルな財界人や新興財閥、国粋主義者、一般国民から万遍なく支持を得ようとする努力を葬り去った」と指摘する。

米国のAP通信社もローラ・ミルズ記者らは、7月30日付電子版で、「米・EUの金融とエネルギーの分野への新制裁措置で、ロシアは今後数カ月にわたり深刻な打撃を避けられない」とし、「専門家は短期的にはロシア経済に甚大な損害を及ぼさなくとも、長期的にロシア経済の成長を阻み、金融セクターを減退させる。エコノミストは今年のロシアの成長率を下方修正し、リセッション(景気失速)に入ると予想している」と予想する。また、ロシア証券大手BCSファイナンシャル・グループの主席エコノミスト、ウラジーミル・チホミーロフ氏はAP通信の同日付電子版で、「国営5行はすでに国際資本市場での資金調達が困難になっているので、今後は、これら5行が国内の他行や小規模金融機関への信用供与がますます細くなる」という。昨年、ロシアの国営銀行はEUで起債した75億ユーロ(約1兆円)の約3分の1を占め、ロシアの銀行システムの中心的な役割を果たしている。

一方、ロシア国内では制裁の影響は短期的には問題はないとの見方が大勢だ。7月30日のモスクワ証券取引所では主要株価指数のRTS指数(ドル建て)はむしろ、前日比1.25%高と反発した。地元の投資会社ベレス・キャピタルのアナリスト、アレクサンドル・コスチューコフ氏は地元プライム通信の同日付電子版で、「市場参加者はもっと厳しい制裁を予想していたが、短期的に容認できる内容だった」という。米英大手信用格付け会社フィッチ・レーティングスも7月25日に、ロシアの長期発行体デフォルト格付けに対する見通しを引き下げ方向で見直すことになる「ネガティブ」に引き下げたが、「現時点では、ロシアの外貨準備は7月11日時点で4770億ドル(約50兆円)と、年初来で6.5%減となっているものの、現行の格付けを維持する上で重要なバランスシートは依然強い」とし、短期的には制裁の影響は小さいと見ている。

また、ノーボスチ通信は8月1日付電子版で、「アレクサンドル・ガルシカ極東発展相は現在、極東地方の経済・社会開発の起爆剤として期待されている輸出加工型産業を集約した経済特区「先進経済発展区」の運用が始まれば、海外から650億ドル(約6.6兆円)の投資資金の流入が見込め、西側の経済制裁によるロシア経済への打撃もかなり緩和されることをプーチン大統領に伝えた」と報じており、ロシアも強気の姿勢は崩していない。

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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