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ジャパニーズ・ドリームを追いかけて地球の裏側からやってきたブラジル人独立リーガー、ルーカス・ホジョ

阿佐智ベースボールジャーナリスト
今年、日本の独立リーグの門を叩いたWBCブラジル代表選手、ルーカス・ホジョ

 プロ野球(NPB)への登竜門としてすっかり市民権を得た独立リーグ。その存在は、広く世界にも知られ、今年も多くの外国人選手たちが「ジャパニーズ・ドリーム」を追いかけて海を渡ってきた。プロリーグとは名乗ってはいるものの、あくまで「本物のプロリーグ」であるNPBを目指すものが集まる修行の場、その条件は決して良くない。月10数万の薄給に渡航費自弁などは当たり前の環境ではあるのだが、それを覚悟で、ある者はより上位のリーグへのステップアップの場として、またある者はプレー継続の場として、独立リーグをとらえ、その門を叩く。そういう彼らの姿は、プロ野球の助っ人外国人の姿とは少々違う。NPBの助っ人の出身国は、野球の母国、アメリカや野球の盛んな東アジア、ラテンアメリカというのが相場だが、独立リーグを目指す外国人選手の中には、野球の世界ではあまり耳にしない国から来た者も多い。

 今年、ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスに加入したルーカス・ホジョもそういうひとりだ。彼はサッカーの国、ブラジルから白球を追いかけてやってきた。

ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのセカンドとして活躍するルーカス
ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスのセカンドとして活躍するルーカス

「日系人のスポーツ」に飛びついたブラジル人

 ブラジルは言わずと知れたサッカー大国だ。それでも、実は、野球はマイナースポーツではあるのだが、「日系人のスポーツ」としてそれなりの市民権を得ている。2013年のWBCでは、予選でパナマ、コロンビア、ニカラグアと中南米の強豪がひしめく「死の組」に入りながら、誰もが予想しなかった「下剋上」を演じ、本戦出場を果たし(このため、本戦ではプエルトリコで戦うことになっていたこの組の勝者は、日本でのA組に振り替えられた)、本戦では、優勝候補の侍ジャパンをあと一歩まで追いつめる大健闘を演じた。このことは、ブラジルの野球人気に多少のインパクトを与えたようで、それ以降、日系人以外の野球少年が増えているという。

 実際のところ、野球というスポーツをブラジルに伝えたのはアメリカ人なのだが、先述のように、一般には、野球は日系人スポーツとみなされている。しかし、スペイン系ブラジル人のルーカスには日系人の血は一滴も入っていない。彼もまた、ものごころついたときにはサッカーボールを蹴っていたという。しかし、国民的スポーツに夢中になっていた少年は、祖父に連れて行かれた球場で野球にであったことで、日系人スポーツに心を奪われてしまった。

「8歳の時だったかな。おじいちゃんに野球場に連れていってもらったんだ。僕の育ったイビウーナという町は、日系人が多くて、彼らが野球をしているんだ。それで、実際プレーしているのを見て興味をもったんだ」

 世界中からの移民が集まった国、ブラジルだが、その中でも肌の色の違いなどから、アジア系の日系人に対するまなざしは、好意的なものばかりではない。日系人自身、自分たちを「ニッケイ」、そのほかの人々を「ブラジル人」と表現することがあることから、日系人がブラジル社会にあって特別なマイノリティ集団であるという認識がいまだにあることがわかる。実際、子どもたちの間でも、日系人の子どもが他人種の子どもを野球に誘っても、「あれはニッケイのスポーツだろ」と断られることもあるという。

 しかし、ルーカスは、この日系人スポーツをプレーすることになんのためらいもなかった。

「だって、日系人も、ブラジル人だろ。同じブラジルで生まれ、同じ文化の中で育ったんだから」

ブラジルの野球について語ってくれた
ブラジルの野球について語ってくれた

つかみ取ったプロへのチャンス、そして世界放浪

 町のクラブチームに入った彼は、めきめきと頭角を現し、さらに上位の場で腕を磨く機会を手にした。彼の育ったイビウーナには、日本でプロチームをもつヤクルトの関連会社が、野球ソフトボール連盟とともに運営する野球アカデミーがあるのだ。彼は、全寮制のこの施設で野球を学び、ついにメジャー球団との契約をつかむ。

「高校から大学に進んだんだけど、フィラデルフィア・フィリーズから声がかかったんで、すぐに辞めて、契約したんだ。プロになるチャンスだったから迷うことはなかったね」

 しかし、彼がアメリカに渡ることはなかった。彼が送られたのは同じ南米のベネズエラだった。ここで球団が運営するアカデミーの契約選手として、2012年から3シーズン、ルーキー級のベネズエラン・サマーリーグで二塁手、三塁手としてプレーし、計108安打、打率.275とまずまずの成績を残すも、フィリーズは彼をアメリカに連れていくことはなかった。

 ルーカスは、20歳でリリースの憂き目にあったが、プレーを諦めることはせず、2015年の夏をフランスのトゥールーズで送ることにした。ブラジル以上に野球の認知度の低いこの国だが、クラブチームの中には、「外国人助っ人」を雇うチームもあるのだ。月給600ユーロに住居、食事付きだが、渡航費は自弁という条件だったが、ルーカスは野球ができればいいとヨーロッパに渡った。ここで1シーズンプレーした後は、ブラジルに帰り、野球のコーチとして後進の指導に当たりながらナショナルチームのメンバーとして練習に励んだ。

 そういう中で、栃木に独立リーグ球団ができた。実は、北関東はブラジルと縁が深い。機械工業が盛んなこの地域は、1980年代後半からブラジル日系人の出稼ぎ先となっており、現在、栃木球団が本拠を置く小山市はブラジル人の多いところである。この町にある白鴎大学はブラジル野球連盟との関係が深く、これまで多くのブラジル人選手を受け入れてきている。そのような縁もあって、ルーカスの元にも栃木でのプレーの話が舞い込んで来た。プレー先を求めていたルーカスは、この話に飛びついた。幸い、土地柄もあって球団スタッフ、チームメイトにも日系ブラジル人がいるので、新天地・栃木ではその力を思う存分発揮している。正二塁手として彼は、6月2日現在、全25試合に出場、試合数を上回る27安打を放ち、.290の打率を残している。

 独立リーグが、さらに上を目指すべきところであることは十分承知している。せっかく日本でプレーするチャンスを手にしたのだから、当然目指すはNPBだ。まだ24歳。NPBだけでなく、アジアのプロリーグ、あるいはマイナーへの復帰も念頭に置きながら、ルーカスは栃木で野球に取り組んでいる。

小柄ながらパンチ力ある打撃が魅力のルーカスは、クリンナップを任されることもしばしばだ
小柄ながらパンチ力ある打撃が魅力のルーカスは、クリンナップを任されることもしばしばだ

野球人生のハイライト、WBC

ルーカスにとって日本でのプレーは今回が初めてではない。覚えているだろうか、2013年の第3回WBCを。福岡での第1ラウンド、優勝候補の侍ジャパンをあと一歩まで追いつめたブラジルは、あの大会序盤の主役だった。このチーム・ブラジルのメンバーとしてルーカスは初めて日本の土を踏んだ。

「正直、勝てるとは思ってなかったね」

とルーカスは、本大会の前年にあった予選を振り返る。2012年秋、パナマシティで行われたこの予選にブラジルは参加した。それまでの2大会は予選なしで16チームが本戦を戦ったが、この大会からは、予選が導入され新たに12か国が参加したのだ。初出場のブラジルが入った予選3組は、WBC常連のパナマに、国内に冬季プロリーグをもつコロンビア、ニカラグアが入る「死の組」。予選突破は難しいだろうと誰もが予想していたが、初戦の地元パナマ戦に3対2で辛勝すると、波に乗ったブラジルは、続くコロンビア戦は7対1で大勝、最後は打線が爆発し敗者復活戦を勝ち抜いてきたパナマに完封勝ちして本戦出場を決めた。ルーカスはこの大会で控え二塁手として参加、1試合に出場して、ヒットは記録できなかったものの、2回打席に立っている。

「相手は強かったけど、僕らはみんな顔見知りで結束は堅いからね。多くの選手がアカデミーに入って、みんな近くのカントリーキッズ高校に通ってたんだ。日本と違って『高校野球』というのはないから、試合の時はみんな別のクラブチームでプレーするんだけど、州対抗戦なんかになると、選抜チームのメンバーとして同じユニフォームを着ることも多いんだ」

 ルーカスは、チーム・ブラジルの快進撃の秘密はその結束力にあったと振り返る。日本でプレーしていた日系人が多数派を占めたチームだったが、肌の色、人種、民族にかかわらず、メンバーたちはブラジルの旗のもとでプレーすることをこれ以上ない名誉として、日本に乗り込んできた。

「日本の球場はどこも素晴らしかったのを覚えているよ。でも、負ける気はしなかったね。予選でみんな自信がついたんだ。それにみんな国のためにプレーすることに喜びを感じてたね。多くの選手がプロだったけど、契約のこととかそういうのは抜きでみんな集まってたよ。アンドレ・リエンゾ(ブラジル人初のメジャー投手)なんか、メジャーキャンプを抜けて参加していたからね。ブラジル人はお金のためにプレーするんじゃないんだ」

 しかし、本大会初戦で、ブラジルは8回に逆転を許し、侍ジャパン相手の大金星を逃してしまう。この敗戦が尾を引き、続くキューバ戦、中国戦も接戦で落とし、次回大会の本戦出場権も逃してしまった。ルーカスは最終の中国戦にスタメン出場、第2打席でレフト前ヒットを放ち3打数1安打と気を吐いた。

「日本戦で負けたんで、それまで結束していたチームがバラバラになってしまったね。そういう国民性なのかって?それはわからないけどね」

 ブラジルは、前回2017年大会の予選にも出場したが、初戦のパキスタン戦は大勝したものの、予選を勝ち抜いたイスラエル戦、イギリスとの敗者復活戦とも1点差負けという悔しい展開で本戦出場を逃した。それでも、ルーカスは、ここで正三塁手として全試合に出場、10打数3安打と堂々たる成績を残した。

 WBC次回大会は、東京オリンピックの翌年、2021年だ。オリンピックイヤーの秋には予選があるだろう。もちろんルーカスの視線の先には、予選突破の上での2度目の本戦出場がある。

 野球新興国、ブラジルの将来は、この小柄な男がカギを握っている。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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