【インタビュー後編】ジーザス&メリー・チェイン、2019年5月来日。兄弟の絆とグラスゴーの音楽シーン
2019年5月に来日公演を行うジーザス&メリー・チェインのヴォーカリスト、ジム・リードへのインタビュー後編。
前編記事に続いて、ジムの兄ウィリアムとの関係、そしてバンドの出身地であるグラスゴーの音楽シーンについて語ってもらった。
<昔の心の傷が癒えたんだ>
●2007年に再結成してから12年間活動してきましたが、現在のバンドの状態はどうですか?
ウィリアムと俺の関係について君が訊いているならば、今のところ良好だよ。何も問題はない。今後のことは判らないけどね。バンドが再結成したとき、既に関係は良かったんだ。まあ、少しばかりぎこちなくはあったことは事実だ。そのせいで、しばらくアルバムを作ることはなかったんだ。2ヶ月間もスタジオの閉鎖的な環境にいたら、お互いの感情が暴発する可能性があるだろ?それで『ダメージ・アンド・ジョイ』(2017)を作る決心をするまで、10年を要したんだ。バンドを再崩壊させるリスクを冒したくなかったんだよ。ただ、『ダメージ・アンド・ジョイ』を作っている間、俺たちの関係はいたって良好だった。昔の心の傷は癒えていたんだ。“ダメージ”よりも“ジョイ”が上回っていたよ。
●そもそもウィリアムとの関係は、いつからこじれてしまったのですか?
バンドを結成したとき、俺たちはすごく仲が良かったんだ。“兄弟のように”といえるぐらいね(笑)。お互いの親友だった。口論するにしても、より良い音楽を作るための、建設的な口論だったんだ。でも、いつの間にか、そうではなくなった。どんなことでも合意するのが不可能になった。肉親であることで、さらに敵意が強くなっていったんだ。
●同じバンドに兄弟がいると、不仲になることがしばしばありますね。キンクスのレイ&デイヴ・デイヴィス、オアシスのノエル&リアム・ギャラガー、スコーピオンズのルドルフ&マイケル・シェンカー...。
兄弟だとお互いのことを知り尽くしているし、相手が最も傷つくポイントを知っているんだよ。何か大きな事件があったわけではなかった。徐々に関係が崩れていったんだ。1997年頃になると、同じ部屋にいるのも苦痛だった。相手を殺さなければ決着が着かないと考えていたんだ。
●1998年にウィリアム抜きでやった日本公演について、どんなことを覚えていますか?
うわあ、神様...思い出したくないな。とにかく気が滅入って、ダークな想いに包まれたツアーだった。今から思えば1998年、バンドは1年オフを取るべきだったんだ。そうしてウィリアムとしばらく距離を置いて、クールダウンするべきだった。毎日顔を見合わせているから殺意が生まれるのであってね。でも当時のマネージャーはワールド・ツアーをブッキングしてしまった。アメリカをツアー・バスで回ることになったんだ。...ツアー・バスだぜ!想像し得る最悪のシチュエーションだよ。それから3日後、殺し合いが始まる直前に、ウィリアムはバンドを去った。それで残りの日程は彼抜きでやったんだ。その頃、彼のことは大嫌いだったけど、彼がメリー・チェインにとって不可欠な存在であることは判っていた。ウィリアムが去ったことで喧嘩はなくなった一方で、バンドがもう終わっていることは明らかだった。とにかく気が滅入ったね。さっさとツアーを終わらせて家に帰りたかった。もうバンドなんてクソ食らえと思っていたよ。
<新作アルバムはきっと良いものになる>
●そんな状態からバンドが完全復活して、日本公演を行って、再結成後2作目となるニュー・アルバムも作ると聞いて、本当に嬉しいです。
うん、今年(2019年)の夏には曲を書いて、レコーディングするつもりなんだ。メリー・チェインの歴史でも最高の部類に入るアイディアが幾つかあって、きっと良いアルバムになるよ。
●(2019年)5月の日本公演で新曲をプレイする可能性はありますか?
まだ新曲は細部のディテールまで完成していないし、レコーディング前の曲をライヴで演奏するのはあまり好きではないんだ。久しぶりの日本だし、馴染みのない新曲よりも、日本のファンが聴きたいフェイヴァリット・ナンバーを楽しんでもらいたい。
●ニュー・アルバムではあなたとウィリアムで共作もしていますか?
基本的に、別々に曲を書いているよ。元々俺たちは滅多に共作しないんだ。それは1980年代から変わらない。『ダメージ・アンド・ジョイ』では2人の作曲クレジットになっているけど、別々に書いたんだよ。
●『ダメージ・アンド・ジョイ』ではユースをプロデューサーに迎えましたが、彼とは1980年代、初期キリング・ジョークの頃から面識はありましたか?
もちろんキリング・ジョークは知っていたけど、ユースとはこれといった接点がなかったんだ。『ダメージ・アンド・ジョイ』では外部プロデューサーと一緒にやりたかった。俺とウィリアムをスタジオの同じ部屋に詰め込むのはまだ不安があったんで、仲裁役が必要だと思ったんだよ。2時間ぐらいで怒鳴りあいになって、レコーディングどころじゃなくなる可能性もあったからね。もうひとつ、バンドとしてのアルバムを作るのは『マンキ』(1998)以来だったから、スタジオ・テクノロジーの知識がある人が必要だったんだ。キャリアを通じて外部プロデューサーを起用したことがほとんどなかったし、試してみたかったというのもあった。誰だっけな、「ユースと会ってごらんよ」と言ってくれたんだ。それで彼と話してみた。彼は俺たちが求めるものを提供してくれそうだったし、熱意も感じられた。最初に2曲のトラックを渡して、どんな作業になるか試してみたんだ。とても良い出来になったんで、一緒にやることにしたんだよ。
●2019年の夏にレコーディングする新作アルバムでは外部プロデューサーを起用する予定ですか?
いや、おそらくセルフ・プロデュースになるだろうね。俺たちはメリー・チェインをどうプロデュースすればいいか知っているし、セルフ・プロデュースに慣れている。これから最高のプロデューサーと素晴らしい出会いがあれば一緒にやることはやぶさかでないけど、知らない人との関係を1から築くのは時間のロスが大きすぎるよ。
<グラスゴー・シーンの流れにはない>
●ジーザス&メリー・チェインの出身地であるイースト・キルブライドはスコットランドのグラスゴー近郊の都市だそうですが、グラスゴーの文化圏にあるでしょうか?
うん、グラスゴーから8マイル(12km)ぐらいの距離だし、十分に文化圏といえるだろうね。
●アレックス・ハーヴェイからジャック・ブルース、AC/DCのマルコム&アンガス・ヤング、マーク・ノップラー、ミッジ・ユーロ、ティーンエイジ・ファンクラブ、フランツ・フェルディナンド、モグワイ、ベル&セバスチャンまで、グラスゴーはさまざまなアーティストを育んできましたが、あなた達の音楽を貫くひとつの共通点・特徴はあると感じますか?
まったく感じないね。メリー・チェインは“グラスゴー・ミュージック”の流れにあるバンドだとは思わない。だいたい、俺たちのデビュー・ライヴはロンドンだったんだ。アラン・マッギーがやっていた“リヴィング・ルーム”というクラブで(1984年6月8日)、トテナム・コート・ロードのパブ“ローバック”の2階にあった。地元のグラスゴーでやりたくても、誰もブッキングしてくれなかった。1984年当時、ノイズ・ギター・バンドはグラスゴーではお呼びではなかったんだ。俺たちは地元のバンドと交流がなかったし、ロンドンでやるしかなかった。当時はまだイースト・キルブライドに住んでいて、わざわざロンドンまで行ったんだよ。デビュー・ライヴを見ていた観客は8人ぐらいだった。でも不思議なことに、その後、2千人ぐらいから「あのライヴを見た」と言われたけどね。
●ジーザス&メリー・チェインはしばしば元祖シューゲイザーのひとつと呼ばれますが、初期のライヴでは暴動が頻発していたとも言われます。人々はあなた達の音楽を聴いて、足下を見ながら暴動を起こしていたのですか?
いや、足下を見ていたのがバンドで、暴れていたのはオーディエンスだよ。同時にやっていたわけではない(笑)。“シューゲイザー”というのは“NME”紙がでっち上げた名前で、俺たちがその代表格のひとつとして祭り上げられただけだ。意味なんてありゃしない。観客が暴動を起こしてライヴを中断したことは、せいぜい2回ぐらいだ。そんなに頻繁に暴動があったわけではないよ。「アイ・ヘイト・ロックンロール」は暴動のBGMとして最適だ。この曲はショーの最後にプレイすることが多い。暴動が起きたら、俺たちはそのまま帰ればいいからな。
<ローファイで生々しいブルースが好き>
●最近でもプレイしている「ブルース・フロム・ア・ガン」では「I guess that's why I’ve always got the blues」と歌っていますが、アメリカの黒人ブルースには関心がありますか?
その曲でいう“ブルース”は“ブルーな気分の音楽、憂鬱な音楽”という意味で歌っているけど、アメリカ黒人ブルースは好きで、よく聴いているよ。ロバート・ジョンソンやサン・ハウス、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズ...当時のローファイで生々しいサウンドが好きなんだよ。シンプルでパワフルな、ロックンロールが生まれる前のロックンロールだよ。
●ジーザス&メリー・チェインの音楽にブルースからの影響はありますか?
音楽への直接的な影響はないけど、そのエモーションは俺たちの音楽に流れているよ。ウィリアムがブルースを聴いているのは見たことがないけど、彼のギターにはブルースと同じダークな情熱が込められている。
●「ジャスト・ライク・ハニー」や「サム・キャンディ・トーキング」のドラム・ビートは1960年代のガールズ・コーラス・グループ的なものを感じます。フィル・スペクター的というか...。
まあ、それは偶然だよね(笑)。ロネッツやシャングリラズは大好きだけど、「ジャスト・ライク・ハニー」を書いたときに彼らのことは頭になかったよ。
●「ヘッド・オン」のコーラスも、1960年代アメリカン・ヴォーカル・ポップっぽいですよね。
ハハハ、意識していなかったよ。当時の自分たちがそんなにアメリカのヴォーカル・グループを意識していたわけではないけど、潜在的にこういうスタイルが好きだったんだろうね。
●『ナイトライダー』や『ベイウォッチ』などでお馴染みの俳優デヴィッド・ハッセルホフが「ヘッド・オン」を彼の新作でカヴァーするそうですが、そのことについてどう思いますか?
...どう思うかって?まあ驚いたし、奇妙だとは思う。俺から言うべきことは何もないよ。 俺は『ベイウォッチ』を見るためにテレビの前にかじりついたことは一度もないけど、ミスター・ハッセルホフにはグッド・ラック!と言いたいね。
【THE JESUS AND MARY CHAIN JAPAN TOUR 2019】
- 5月19日(日)東京 STUDIO COAST
OPEN 17:00 START 18:00
- 5月20日(月)大阪BIGCAT
OPEN 18:00 START 19:00
【日本公演ウェブサイト】