安倍元首相銃撃事件後の社会:誹謗中傷暴力から犯罪に負けない思いやりある社会へ
■安倍晋三元首相、銃撃を受け死去
日本中に衝撃を与え、報道が世界を駆け巡った大事件。私たちの心は揺すぶられました。私も、ニュースを聞くたびに、心がざわつきます。
首相在任期間は、史上最長の通算8年8カ月。最も長く権力の座にあり、また最も激しく攻撃された人かもしれません。
「安倍一強」などとも呼ばれたのですから、反自民の人々の攻撃を受けるのは当然でしょう。もちろん、「攻撃」は適切な言論においてなされるべきなのは、言うまでもありません。
報道によれば、今回の事件で逮捕された容疑者は、政治的なことが動機ではないと供述しているようですが、元首相が選挙演説中に銃弾で倒れる映像は衝撃的でした。
■事件を伝えるニュースのコメント欄が荒れてしまった
事件の第一報を伝えるヤフーニュース。多くのアクセスがあり、多くのヤフーコメントが寄せられました。しかしほどなく、コメント欄は閉鎖されます。禁止コメントが多くなりすぎたからです。
ヤフーコメントは、次のようなコメントを禁止しています(ヤフーニュースコメントポリシー)。
・公人を含む特定の個人に対する人権侵害、誹謗(ひぼう)中傷
・不快感・嫌悪感を生じさせるような表現を使った攻撃
・穏当さを欠く苛烈な表現や品位を欠く表現
・被害者・被害者の親族、加害者・加害者の親族などに対する不謹慎な心ない投稿
・モラルや配慮に欠ける批判や悪口、全否定的な投稿
(その他、違法な投稿やヘイトスピーチなども、もちろん禁止)
安倍元首相が銃撃を受けて心肺停止。そのニュースを受けて、悲しいことに、このような投稿があふれたれたのでしょう。
■罵り合い
安倍元首相の死去の報を受け、安倍さんに酷いことを言っている人がいます。その酷いことを言っている人たちに対して、また酷いことを言っている人がいます。
誰に対しても誹謗中傷はやめましょう。
銃を使った暴力も、言葉を使った暴力も、やめましょう。
議論は大変結構ですが、人格攻撃はやめましょう。
大きな事件の時ほど、冷静さが必要です。
■「死ね」「撃たれろ」と言われて良い人はいない
安倍元首相銃撃事件後、ある野党議員に対して、「おまえが撃たれれば良かったのに」「テロリストは撃つ相手を間違えた」とのメールや、SNSのメッセージが寄せられたと、本人がツイートしていました。
なぜ、こんな事件の直後に、また乱暴な言葉が出てしまうのでしょうか。
右の人でも左の人でも、政治家でも芸能人でも、撃たれて殺されて良い人はいません。
「撃たれろ」「死ね」と言われて良い人はいません。
こんな事件が起きた後で、なおそんなことを言う人たちがいることを、ても悲しく思います。
「死ね」も冗談なら良いでしょうか。若い人たちも使うし、漫才師も相方に向かって言います。仲間内や芸人さんの言葉まで批判するつもりはありません。
「あべしね」が、流行語のように使われ、それを認め、賞賛する人もいました。もちろん、総理を批判し言論で攻撃することは許されます。ただ、この表現については疑問でした。
たとえば、ある学校で、生徒の一部が「校長死ね」と公言し、それを黙認していたらどうでしょうか。その校長が、確かに問題のある校長だったとしても、校内はすさんだ雰囲気になるでしょう。
「死ね!」「校長死ね!」と、大声で誰の前でも平気で叫ぶ生徒が増えれば、誰かが、校長に卵をぶつけるかもしれません。その行為をうやむやに済ませれば、今度は石を投げる生徒が現れるかもしれません。
乱暴な言葉が飛び交う環境は、暴力を許容する環境を作り出すでしょう。
ただし、こんなたとえで、自由な発言を縛ってはいけません。言論を萎縮させてはいけません。今回の事件も、安易に「あべしね」が原因だなどと軽々に語ってはいけません。政治問題なら激しい論戦にもなるでしょう。ただそれでもやはり、誹謗中傷はいけないと思うのです。
「あべしね」と言っていた人も、今回の事件を喜んでいる人はいないはずです。つまり「あべしね」はレトリックであり本気ではないということでしょう。どの政治家、どの人に対しても、周囲を不快にさせかねない中傷や揶揄(やゆ)よりも、本気の批判を堂々としていきましょう。
*補足7/10:「いや、本気で死ねと思っていた人がいるぞ」「死去の報道で自業自得と言っている人がいるぞ」とのコメントをもらいました。たしかに、そうですね。ただそれはもう、論外です。そして、いわゆるインフルエンサーと言われる人は、さすがに言っていませんね。
■誹謗中傷
悪くて強い人(政治家や芸能人や有名人)には、誹謗中傷を含めて何を言っても良いと言う人がいますが、賛成できません。テレビに出ていた女子プロレスラーを、悪くて強い人だと思い込んだ人々による悲劇を忘れてはいけません。
個人に対する誹謗中傷は禁止、ただし悪くて強い人は除く、ではないのです。
政治家に対しても、芸能人に対しても、犯人に対してさえも、ヤフーコメントなど公の場での誹謗中傷や心ない発言はいけません。これはルールです。
政治家への批判は大いにするべきです。政治家を見張るのは、私たちの役割です。反対意見も、批評も、もちろん大切です。健全な批判精神を育てましょう。これは当然です。
当人が亡くなれば問題がなくなるわけではありません。亡くなってしまえば全員を善人にしてしまうわけにもいかないでしょう。ただ、タイミングの問題はあると思います。
誰かが亡くなった直後に、その人を批判するかどうか。それはマナーの問題です。個々人の考え方次第でしょう。
安倍元総理の死去報道直後に、「自民党の長期政権が招いた事件だ」と発言した野党議員は世間から批判され、党首も注意したと報道されています。
■犯罪に負けないために、議論と敬愛の念を両立させるために
犯罪に負けてはいけません。それは、防犯や犯人逮捕のことだけではありません。たとえば、テロリストは恐怖や復讐心を駆り立てる心の戦争を仕掛けています。
恐怖に負けてテロリストの要求に応じれば、テロリストの勝ち。復讐心に燃えて乱暴な言動をとり、その結果、世界からの支持を失うことになれば、それもやはりテロリストの勝ちです。
犯罪に負けないとは、恐怖や怒りに負けずに、愛と思いやりのある平和な社会を維持することです。
今回の安倍元首相死去の報を受け、共産党の委員長は次のようにツイートしています。
「安倍さんと私とは、政治的立場を異にしておりましたが、同じ年に生まれ、衆議院当選も同期であり、同時代を生きたものとして、とても悲しく、寂しい思いです。重ねて深くお悔やみを申し上げます。」
政治的立場の異なる人々が、自由に激しく言論で闘い合い、同時に、日本を良くしたい思いでは一致し互いに敬愛する。そんな社会を目指したいと思います。健全な批判と思いやりある社会。そんな社会を、子供たちに見せたいと思います。
「優しい舌は命の木である。乱暴な言葉は魂を傷つける。」(箴言15章4節)