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広辞苑にも誤りあり? 「伊藤宗看」「将棋所」の記述をめぐって

松本博文将棋ライター

「伊藤宗看」の項目修正

 2018年1月12日。『広辞苑』第7版が発売されました。筆者はその発売直前、「伊藤宗看」(いとう・そうかん)の項に誤りがあるのでは?という記事を書きました。

広辞苑にも記された名棋士8人(Yahoo!ニュース 2018年1月9日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20180109-00080287/

 その細かい考証(?)らしきものは、以前の記事をご覧いただければと思います。ここでは旧第5版(1998年刊)、旧第6版(2008年刊)と新第7版(2018年刊)の比較のみを引用しておきます。(以下、引用中、漢数字を算用数字に直したところがあります)

いとうそうかん【伊藤宗看】

(三代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家三代目。将棋宗家伊藤家始祖。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「詰むや詰まざるや」など。(1706-1761)

出典:(『広辞苑』第5版、第6版)

いとうそうかん【伊藤宗看】

(三代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家三代目。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「象戯作物」(俗称「詰むや詰まざるや」)など。(1706-1761)

出典:(『広辞苑』第7版)

 三代伊藤宗看とはすなわち、伊藤家の三代目当主です。よって、「将棋宗家伊藤家始祖」は、明白な誤りでした。これは初代宗看(3世名人)と三代宗看(7世名人)の経歴の「混同」によるものです。岩波書店の方からはその旨、丁寧なメールをいただきました。

 初代大橋宗桂(1世名人)や初代伊藤宗看(3世名人)以来、「宗桂」や「宗看」といった大名跡を名乗る人は複数います。さらに多くの人が「宗」の字のついた名前でした。そのためか、将棋史上の文献をひもとけば、多く混同による、誤った記載が見られるようです。

 誰も好きこのんで、間違ったことを書こうとは思いません。まあ、とにかく、ややこしいんです。どこかでミスが出てしまうのは、ある意味、仕方のないところです。

 伊藤宗看に関する上記の誤りは、筆者の指摘以前に、どなたかが先に気づいていて、既に修正済みだったようです。第7版では1刷目から、当該箇所は削除されていました。

 辞書は人智の結晶ともいうべきものです。しかしながら、多くの正確な記述の中に、ごくわずかに、誤りがまぎれこんでしまうことも、当然あります。

 『広辞苑』で誤った記述が見つかれば、大きなニュースとなります。それは逆に言えば、それだけ信頼が寄せられてきた、という証明でもあるのでしょう。

 以下、浅学非才の筆者が、どんな間違いを書くか、わかったものではありませんが、これまでに調べてきたいくつかを、書き残しておきたいと思います。

「将棋所」とは何か?

 先ほどの引用を再掲します。

いとうそうかん【伊藤宗看】

(三代)江戸中期の将棋棋士。初名、印寿。将棋所の伊藤家三代目。7世将棋名人。鬼宗看と謳われる。著に詰将棋集「象戯作物」(俗称「詰むや詰まざるや」)など。(1706-1761)

出典:(『広辞苑』第7版)

 上記の記述中、依然、違和感を覚えるところがありました。それは「将棋所の伊藤家三代目」という個所です。

 そもそも「将棋所」(しょうぎどころ)とは、何でしょうか。最初に、代表的な辞書の記述を並べてみます。

しょうぎどころ【將棊所】

江戸幕府に、碁所と並んで将棊を以て仕へた家柄。大橋・伊藤の二氏が世襲す。

出典:(博文館『辞苑』初版、1935年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

江戸幕府に、碁所と並んで将棋を以て仕えた家柄。大橋・伊藤の二氏が世襲。

出典:(岩波書店『広辞苑』初版、1955年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

江戸幕府に、碁所と並んで将棋を以て仕えた家柄。大橋・大橋分家、伊藤の三家が世襲。

出典:(岩波書店『広辞苑』第2版補訂版、1969年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

江戸時代、碁所と並び、将棋をもって幕府に仕えた家柄。大橋本家・同分家・伊藤家の三家が世襲。

出典:(小学館『大辞泉』第2版、2012年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

将棋の技をもって代々江戸幕府に仕えた家柄。大橋・大橋分家・伊藤の三家が世襲。

出典:(『広辞苑』第7版、2018年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

近世、将棋の名人の別名。将棋の指南・免状の発行権などの特権を持つ。初代大橋宗桂以下、大橋・大橋分家・伊藤の三家から出た。

出典:(三省堂『大辞林』第3版、2006年刊)

しょうぎどころ【将棋所】

江戸幕府の職制の一つ。将棋を以て仕える。また、江戸時代の名人の別称。慶長17年(1612)大橋宗桂は幕府より祿を賜わり、のち、本因坊算砂から将棋所を譲られて1世名人となる。のちに、将棋家の世襲制が定まり、将棋所は将棋三家の者が世襲することとなった。天保期(1830-44)に、10世名人伊藤宗看(引用者注:伊藤家六代当主)が死んだあと、将棋所は空位のまま明治を迎えて自然消滅した。しょうぎしょ。〔宝永三年武鑑(1706)(古事類苑・遊戯三)〕

出典:(小学館『精選版 日本国語大辞典』、2005年刊 略称:日国)

 似たようなことが書いてありますが、少しずつバージョンアップしたり、微妙に辞書の個性が表れている点があります。

 整理すれば、将棋所とは、(1)将棋宗家の三家という「家柄」か(2)将棋指しの頭領の地位たる「職制」か、(3)最も将棋が強い、優れた技量の持ち主である「名人」の別称、別名か、ということになります。

 『辞苑』は『広辞苑』の前身です。昔の『広辞苑』と『大辞泉』の記述はそっくりですね。「コピペみたい」と言われると怒られそうですが、過去の正確(と思われる)な記載に習えば、似たような記述になるのでしょう。

 『広辞苑』は一貫して、(1)家柄を第一義としてきました。第7版の伊藤宗看の項「将棋所の伊藤家三代目」という記述は、その意味を踏まえたものといえるでしょう。

 『大辞林』は(3)「名人の別名」としています。

 『日国』は(1)(2)(3)が併記されているという感じでしょうか。

 ではこれらのうち、現代の辞書の記述として、どれが最も適切でしょうか。もし筆者が選ぶとすれば、『大辞林』の記述ではないか、という気がします。「将棋所」という言葉は、筆者がこれまで目にしてきた限り、将棋史の文献では、ほぼ(3)の意味、すなわち、名人の別名・別称で使われているからです。

 江戸時代、名人・将棋所は、大橋本家、大橋分家、伊藤家の中から輩出されてきました。これらの三家は「将棋家元」「将棋宗家」などと総称されます。

 名人と将棋所は、細かいことを言えば、正確にはイコールではないようです。喩えて言うなら、現代の将棋界では、名人と日本将棋連盟の会長は、同じではありません。しかし江戸時代では、名人が棋界の頭領としての役割を同時に担ったため、名人と将棋所は、ほぼ同一視されていました。ですので、将棋所≒名人という説明は、個人的には一番しっくりきます。

 一方で、将棋所と将棋宗家の三家(大橋本家、大橋分家、伊藤家)とでは、やや意味が離れているように思われます。

 名人将棋所の地位をめぐっては、三家を代表する強豪の間で、時に争いが起こりました。しかし多くの場合は、誰もが認めるような形で、時代の第一人者が仲間内から推されて、その地位に就いたようです。

 名人碁所の地位をめぐる争いは、将棋のそれとは比較にならぬほどに、激しかったようです。囲碁宗家の四家(本因坊、井上、安井、林)を代表する強豪同士はしばしば、何十番もの争い碁を、相手の息の根を完全に止めるまで打ち続けました。

 岩波書店の方には、「将棋所」に関する典拠は『古事類苑』であると、教えていただきました。『古事類苑』とは何か? 広辞苑を引いてみましょう。

こじるいえん【古事類苑】

日本最大の百科史料事典。官撰。本文1000巻。洋装本51冊。1896~1914年(明治29~大正3)刊。1879年(明治12)文部省に編纂係を設けて以来、35年を費やし、神宮司庁により完成。小中村清矩・佐藤誠実らが参加。歴代の制度、文物、社会百般の事項を天・歳時・地など30部門に類別し、六国史(りっこくし)以下1867年(慶応3)以前の史料を項目ごとに原文のまま掲げる。

出典:(『広辞苑』第7版)

 要するに、明治の時代に作られた、すごい辞典です。そのアーカイブは、ネット上でも見ることができます。筆者は安易に「日本すごい」という言葉を使うことには抵抗がありますが、それでもこういう辞典を見せられると、「日本すごい」と思わずにはいられません。『古事類苑』に限った話ではありません。日本初の近代的国語辞典である『言海』から、現在に至る大小様々の辞書まで、その編纂に携わる、多くの人々の営々たる努力に、敬意を表さずにはいられません。

 『日国』の典拠にも記されている「遊戯三」の項は、将棋(將棊)に関する説明に当てられています。その記述を見ると、古典文献における、将棋に関するあらゆる事項を網羅されています。

 「將棊所」に関しては、以下のような記述が見られます。

徳川幕府ニ於テハ、將棊所数人ヲ置キテ、世々之ニ俸禄ヲ給セリ

出典:『古事類苑』「遊戯三」

[宝永三年武鑑]御將棊所

 麻布六本木 伊藤宗看

 増山殿下屋敷 大橋宗桂

 上同断 大橋宗与

[將棊雑編]

 將棊家三家系

(後略、大橋本家[宗桂家]、大橋分家[宗与家]、伊藤家の人々をリストアップ)

出典:『古事類苑』「遊戯三」

 上記の記述に従えば、「将棋所」は幕府から俸禄を受け取る数人、あるいは将棋三家、ということになりそうです。しかし、名人将棋所は、将棋三家の中から選ばれた、同時代に一人だけ名乗ることが許される称号だとすれば、『古事類苑』(及びその出典)の記述を、そのまま現代の辞書の参考とするのは、どうなのだろうか、と思われます。

将棋史の最新研究より

 『日国』は将棋所の起源から説き起こしています。かつての囲碁史、将棋史の文献には、まず最初に「棋所」(きどころ)なるものがあり、本因坊算砂がその職について、後に「碁所」と「将棋所」に分かれて、初代大橋宗桂が「将棋所」を譲られた、という記述がよく見られます。そのあたりも含めて、遊戯史研究の第一人者である増川宏一さんは、大橋本家に残された文書を精緻に研究することにより、従来の通説を、おおむね否定されています。

 従来、碁所、将棋所は幕府公認の職制とされてきました。それは両分野にとっては古くからの誇りであり、アイデンティティの根幹に関わるような主張です。

 1612年。本因坊算砂、大橋宗桂らが、徳川家康から、囲碁や将棋の優れた技量の持ち主ということで、俸禄を受けたことは事実のようです。しかしながら、「碁所」「将棋所」という言葉は、当時の公的な文書には残っていない。なぜか。

 碁所、将棋所は、幕府公認として当時に設けられた職制ではなく、後の世にあっても、実は仲間内の自称に過ぎなかった――。それが増川さんが唱えられている、最近の通説です。

 岩波書店の方からのメールでは、『広辞苑』の「将棋所」の記述もまた、増川さんの説を受けて、今後、書き改められる可能性を示唆されていました。

 以下、増川さんの説がまとめられている記述を引用します。

 第一に、名人は将棋三家の代表による相談で決められていたこと。

 第二に、将棋家では名人と将棋所は一組になったものと考えていたこと。

 第三に、名人将棋所は官賜の役職名ではない。将棋家(および碁家)が自称していたにすぎないこと。

 第四に、支配方の寺社奉行としては、将棋所や碁所を勝手に名乗ろうが、これによって体制に何等の影響も与えず、扶持を増額するなど処遇を変える必要もないので、黙認していたこと。

 第五に、将棋所や碁所を寺社奉行は「頭役」として、いわば連絡係とみなしていたこと。(中略)

 第六に、しかし碁所・将棋所になった者は常にこの名称を名乗り、名人を基準にして段位を定めて交付した免状に記入していたので、あたかもこれが役職名であるかのような印象を続けてきた。そのため通称として定着したこと。

 碁所・将棋所について、これまですべての人々が長期にわたって疑うことなく誤認してきたのは、家禄を受けている碁・将棋の者の執拗な努力による成果といえる。

出典:(1996年、増川宏一『碁打ち・将棋指しの江戸』)

 囲碁界、将棋界の先人たちは、俸禄を受けるという形で徳川家康に認められたということが、大変なアイデンティティだった。そしてその誇りはそのまま、現在に受け継がれているところもあるようです。

 しかしながら、碁所、将棋所は、本当は自称だった。幕府に対してはごまかせなくても、対外的には、実情から離れ、多少は盛って、あたかも幕府公認の職制のように、長年に渡ってふるまってきた。それが正確なところのようです。

 囲碁家や将棋家の間において、名人(碁所、将棋所)は仲間内の自称だった。もしそれが事実だったとしても、これまでの名人たちの名誉を、何ら損なうものではありません。名人となる人物はほとんど、同時代に抜きん出るような、素晴らしい技量の持ち主だった。それは棋譜に残されているままの事実であり、そのことに、何ら変わりはないからです。

 最近、囲碁の井山裕太七冠と、将棋の羽生善治竜王(永世七冠)の国民栄誉賞受賞が決定しました。それはいずれの分野においても快事と言ってよさそうです。ただし、国から認められて初めて、両者は偉人となった、というわけではないでしょう。国から認められようと、そうでなかろうと、両者はそれぞれの分野の歴史に燦然と名を刻む、スーパーヒーローである。そのこともまた、何ら変わりはないでしょう。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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