【河内長野市】本日退任されます島田智明市長に2期8年務めた熱い思いをインタビュー。驚きの出馬事実も!
ご存じの通り、河内長野市の島田智明市長は、本日8月2日をもって2期8年の任期を終え、代わって西野修平次期市長が、明日から正式に第7代河内長野市長になられます。
先日配布された広報かわちながの8月号に、島田市長の退任のあいさつが載っていましたね。
私も地域の記者として活動して3年余りが経ちますが、地域の伝統行事や行政にかかわるいろんな事業のときなどの取材時では、それこそひんぱんに島田市長にお目にかかる機会がありました。市のトップとして、平日夜間や土日の休日にも市民と触れ合う公務をされていた姿がとても印象的でした。
そのため、最後にこの8年間を振り返ってということについてお話を伺いたいと、無理を承知で市の担当者にお願いしたところ、市長からインタビューの時間を昨日頂くことができました。
約束の時間に、市役所の3階にある専用応接室で市長を待ちます。
そして、反対側はこうなっています。よく広報誌で見る場所です!市長を訪問された方たちが一緒に記念撮影されていた場所ですね。
市長が来られました。せっかくの機会ですから、前から疑問に思っていたこと、最初に市長になられるまでの経緯をお伺いしました。これ以降は次期市長との混乱を防ぐため、島田さんと表記します。
島田さんは、河内長野市で生まれ育ち、中学、高校と有名進学校の星光学園に進学します。
島田さんは、もともとは医学部志望だったそうで、京大医学部を目指していました。高校卒業後一浪することになったのですが、受験勉強を続けるうちに、医師になることではなく自分で道を切り開く起業家に興味をもちます。
その中でもコンピュータ業界に将来性を見出した島田さんは方向転換。京都大学工学部情報工学科卒業後、東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻修士課程修了しました。
1990年代初期、当時はまだインターネットが商業利用できなかった時代とのこと。島田さんは大学院を出た後、外資系大手コンサルタント会社の「A.T.カーニー」に、100名以上の応募者から選ばれて採用となったのです。
ところが仕事をしていくうちに、自身の英語力の弱さを痛感し、それを極めるためにとシンガポールで働くことを選びました。シンガポールの会社「フラマトムコネクターズインターナショナルシンガポール」などで営業職に就いたとのこと。
島田さんはシンガポールで働くうちに、今度は経営学に興味を持ちました。働きながらシンガポール国立大学大学院経営学研究科MBA(修士課程)をとり、サプライチェーン(原材料・部品の調達から販売にまでの一連の流れ)の研究を極めようと考えました。
こうして島田さんは世界の名門校の一つ、フランスのINSEAD大学院経営学研究科PhD(博士課程)を修了します。
島田さんは日本に帰国後、神戸大学の准教授として専門の経営学以外にも英語、統計学(数学)などを教える研究者としての道を歩みながら、民間企業で確立していた経営学を地方自治体に生かせるのではと考えるようになりました。湯﨑英彦広島県知事と共同で論文も書いていたそうです。
さて、ここまで長々と略歴を書いてきましたが、島田さんが河内長野市長になることになったのには、驚くべき事実がありました。
大学での研究のひとつとして市長選の流れを実際に見てみたい、その思いで2012年に河内長野市長選の説明会があったので、立候補の予定はなかったけれどそれに参加してみたというのです。
その時の市長選は、現職(芝田啓治市長:当時)の他に候補者がおらず、無投票当選の恐れがありました。島田さんは説明会で名前を書いたために、河内長野市内のとある支援者の方から島田さんのもとに「出馬して欲しい」と懇願され、急遽出馬することになったというのです。
1度目は現職の前に敗れましたが、4年後の2016年に島田さんは再挑戦します。そして2回目の選挙でついに現職候補を破り、第6代河内長野市長になりました。市長として最初に考えていたことは、ベッドタウンからの脱却でした。
島田さんが8年間掲げていたキーワードは「スマート」でした。スマートは日本では痩せている意味にも使いますが、本来は「賢い」という意味です。河内長野市令和6年度施政方針(外部リンク)にも次のように書かれています。引用しましょう。
多くの施策の中には他の自治体も行なっているものが多いのですが、河内長野市独自の例として、75歳以上の方を対象としたお出かけチケットがあります。
このほか教育支援のひとつとして、将来の担い手を育てるための英語村構想があります。これは東京都や韓国、台湾などでも行われていることでしたが、河内長野市は財政が厳しいこともあり、できる範囲でやろうということになりました。
具体的な例のひとつとして、中学3年生の英検3級受験の無料化に取り組みました。2級の場合は3級の受験料の差額を払う仕組みです。
島田さんは、市長として子育て世代を重視したいがために、どうやって財源を割り振るか頭を悩ましたそうです。高齢化で非課税世帯が増えていく中、その人たちを市全体で支えていくためにも、不要な財源を削りながらやりくりすることを考えます。
就任の最初の年は、事業仕分けを行いました。わかりやすく言えば民主党政権のときに蓮舫さんがやっていたような無駄の排除です。ところがある部署から、「外から言われるより、自分たちの部署内で不要なものを削る仕組みのほうが良い」という意見が出ました。
背景には、複数年にわたって必要となるような予算について、単年で不要とみられるのはおかしいという職員側の意見があったのです。
そこで次の年からは包括予算制度を導入し、各部署内で不要な予算を削り、必要なものにその予算をまわす方法を行ないました。これを実施したことにより、現場の視点で行なうことで、各職員にコスト意識が芽生えたとのこと。そしてどうしてもできないような難解なものに関しては、市の執行部が間に入って対応しました。
具体的には日々の業務がルーティン化しているので、それを紙にして表して、自分たちがしている仕事を「見える化」させました。そのワークプロセスの中で、必要不要なものが何かを見えるようにし、必要な中でも可能であればデジタル化を推進していきました。
そしてそのワークに協力してくれたコンサル会社の力もあり、不要なものを削減化、デジタル化も推進したことで大きな成果が生まれました。それは自治体サービス度の高さです。
全国自治体行政サービス改革度ランキングでは、驚いた事に、2022年、2023年と2年連続で河内長野市が1位です!これは全国にある自治体(1,718市町村)の中での1位なので、いかにすごいことかわかりますね。
この成果を生み出したのは、まさに島田さんの前職での研究のひとつであった行政のBPR(仕組みやそのデザイン)やDX(デジタルでのデザイン)等を積極的に行ったためといえるのではないでしょうか。
そして島田さん自身が行う業務を増やすことで秘書課の人員を減らすなど、市行政全体を上げて不要業務の削減を繰り返しながら、必要な施策を進める努力を続けた結果、任期中の8年で財政調整基金を取り崩すことなく歳入と歳出のバランスが良くなったとのこと。
また、河内長野市は企業版ふるさと納税実績は、大阪府にある43の市区町村で5年連続トップであるとのこと。南花台で工事の進むサッカースタジアムは、企業版ふるさと納税で得た資金と補助金を利用して行っているそうで、市の予算は使っていないそうです。
この8年の間で大きな施策のひとつであったのが、赤峰市民広場の産業用地化でした。河内長野市では、前市長の時代から産業用地不足で企業が市外に流出してしまうという問題が起こっていました。
企業が市外に抜けると、企業が払う税金がなくなり、また企業が移転するとその企業で働いている人も一緒に移動してしまうので、税収にも大きな影響が出ます。商工会もかなり頭を悩ませていたとのこと。
そこで、企業が流出しないようなまとまった産業用の土地が必要ということで、いくつか候補地があげられました。例えば小山田西地区や高向上原地区もその対象ですが、これらには地権者が多くいるので簡単には進みません。
ところが赤峰市民広場は市の所有物なので、その気になればすぐに産業用地化できたわけです。とはいえ、これについては市職員の中でも意見が二分しました。赤峰市民広場は市民に多く利用され、とても愛されている公園だったからです。
しかし現実問題として、赤峰市民広場から生み出される利益が少ないという現状があることから協議等を重ねた結果、赤峰市民広場を産業用地化し収益を上げるようにすれば、そのことが事例となる。そうすることで高向上原地区や小山田西地区でも動きが加速するのではという結論に達します。
しかしながら、この決定は、まさに苦渋の選択だったわけです。島田さんは、当時のことを「近隣住民との説明会を担当した職員は、ほんとうにつらかったと思います」と語っていました。
赤峰市民広場は今年の6月末で閉鎖となりましたが、代わりとして、長野北高校の跡地利用や寺ヶ池公園の拡張化などを考えているそうです。
そして島田さんが動いたもののひとつに、日本遺産があります。2016年度から河内長野の日本遺産登録への働きかけを続けていましたが、文化庁の考え方との方向性との違いもあり、最初はなかなかうまくいきませんでした。
それでも文化庁が目指す方向に企画を修正しながら毎年繰り返して申請を重ね、4年後の2019年に「中世に出逢えるまち」として河内長野市が初めて日本遺産に認定されました。
さらに翌年は、女人高野と葛城修験が日本遺産に選ばれます。実は、多国籍国家であったシンガポールの居住体験から、就任当初から島田さんは外国人の観光客の誘致や移住も頭の中に入れていました。
そのためにも、人気観光地高野山にあやかって、女人高野の街であることをアピールすれば多くの外国人観光客(インバウンド)が誘致できるのでは、またその中で河内長野に住みたいという外国人が現れるかもしれないと考えたそうです。
ところが、さぁ動こうとしたときに、世界中を混乱に陥れたコロナ禍が起こり、3年間の沈黙状況となりました。また悲しいことに、コロナ禍前に盛り上がっていた市民まつりや高野街道まつりも、高齢化などの人手不足で行わないことになってしまいました。
島田さんにやり残したことを伺うと、「このインバウンドがうまくできなかったことかもしれない」とのこと。南海電車との連携なども次期市長に委ねることになるだろうということでした。
コロナ渦が原因でストップする事業が多かった中で、市議会の後押しもあり、島田さんのライフワークでもあるマラソン大会だけは復活させることができました。
コースを変えて滝畑ダムを3周するマラソン大会は好評で、有名個性派ランナーの吉住さん、土井さんなどやYoutuberのこわだ君など有名な方々が自費で参加してくれてSNSで発信してくださったことにより、河内長野市のPRに一役かってくださいました。
市長退任によりマラソン大会はどうなるか心配でしたが、来年1月の開催は決まっています。島田さん自身は、フルマラソンで2時間50分を切ることを目標としているそうです。
最後に退任に当たって島田さんから市民にメッセージを求めたところ、市役所と市民の協働が重要だとおっしゃっていました。例えば見守り活動は犯罪低下につながりますし、各種ボランティアも重要、市に意見を言うことも協働となり大切だといいます。つまり市と市民が一緒に町づくりに参加することが、住みよい街づくりに重要となるというわけです。
西野次期市長にお願いしたいこととしては、引き続きベッドタウンからの脱却を目指し、閉鎖はしたもののこれから動き出す赤峰市民広場跡地、それに続いて高向上原地区や小山田西地区の産業用地化などを進めていってほしいということです。また農業の後継者問題もあって難題は山積みですが、新市長は必ず難題をクリアしてくれるだろうと、島田さんは言われました。
島田さんは市長を退任されますが、引き続き、外から河内長野を良くしていくために動くことを考えているそうです。もしそういうことが許される立場になれば、データセンターを河内長野に誘致したいというような話もされました。南河内地域は地盤が固く、地震にも強いからだそうです。いずれにしても南河内地域を盛り上げていけたらということでした。
ということで退任前日のお忙しい中、2時間にわたるロングインタビューが終わりました。本日8月2日の夕方17時半から市役所で、島田市長の退任式が行われます。
島田さんは市長退任後も別の立場で南河内を盛り上げていきたいという言葉が印象的でした。また私個人としても、ゆっくりと詳しいお話が聞けたのはとても良い機会でした。関係者の皆様に厚く感謝いたします。
河内長野市役所
住所:大阪府河内長野市原町一丁目1番1号
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 河内長野市役所前バス停下車すぐ
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