遺伝性がんリスクに立ち向かうプレバイバー BRCA遺伝子変異で高まるリスクとは?
HBOCって遺伝性乳がん、卵巣がんのこと
米国では9月が卵巣がん啓発月間で、10月が乳がん啓発月間。9月末から10月にまたがる週を「遺伝性乳がん、卵巣がん(HBOC: Hereditary Breast and Ovarian Cancer)」週間に位置づけている。乳がん、卵巣がんの発症リスクを高める遺伝子変異は複数あるが、特によく知られているのがBRCA1、BRCA2と呼ばれる遺伝子変異だ。
2013年5月、BRCA1遺伝子変異を持つ米女優のアンジェリーナ・ジョリーさんが、乳がん予防のために両乳房の切除と再建手術を受けたと公表したことで、BRCA変異が大きな注目を集めた。アンジーはその2年後、卵巣がんリスクを低減するために、39歳で卵巣と卵管の切除手術も受けた。
BRCA遺伝子変異で高まるがんリスク
BRCA遺伝子は傷ついたDNAを修復して、通常はがん化するのを防いでいる。ところがその遺伝子に変異があると、乳がんを含むいくつかのがん発症リスクが高くなる。10月22日、京都大の研究チームがBRCA1によるがん発症の仕組みを解明したと発表した。
BRCA1変異を受け継いだアンジーは、乳がんになるリスクが87%、卵巣がんになるリスクが54%だったそうだ。乳がんの多い米国でも、乳がん罹患の平均的リスクは12.5%、卵巣がんになるリスクは1.7%なので、BRCA変異を持つ人のリスクがいかに高いかわかると思う。アンジーは乳房を切除したことで、乳がんを発症するリスクが5%まで低下した。
一方、卵巣がんは未だに有効な検査方法が確立しておらず進行も早いため、発見された時にはすでに転移している場合が大半を占める。死亡率の高いがんでもあり、卵巣がんのリスクも軽視できない。
アンジー自身、卵巣がんのために母親のマーシェリーヌ・ベルトランさんを、56歳という若さで失っている。乳がんにも罹患していたマーシェリーヌさん、妹(アンジーの叔母)のデビーさんもBRCA遺伝子変異を持っていた。デビーさんは、自分に遺伝子変異があることを知った時はすでに乳がんに罹患しており、卵巣切除の予防的手術は受けたが、61歳で乳がんにより他界している。
がんリスクに立ち向かう
遺伝子変異を持っているからといって、必ずがんになるとは限らない。変異がなくとも高齢になれば、がんを発症するリスクは誰でも高まっていく。しかし特定の遺伝子に変異があると、一般集団よりも高い確率で、しかも40歳前後の若年でがんを発症することが多いという現実がある。
筆者はBRCA遺伝子に変異はなかったが、MSH2遺伝子の変異があるため、大腸がんや胃がん、婦人科がんのリスクが高い、リンチ・シンドロームと呼ばれる遺伝性がん症候群である。いたって健康だと思っていた私が、ある日、突然のように卵巣がんの診断を受けたのも、43歳の時だった。
米国ではこうした遺伝性のがんリスクにさらされている人達のため、1999年からFORCE(Facing Our Risk of Cancer Empowered:がんリスクに強く立ち向かう) という全米規模の支援団体が活動している。FORCEの創設者、スー・フリードマンさん自身もBRCA遺伝子変異を持つ乳がんサバイバーだ。
プレバイバーを知っていますか?
がんにかかった人のことを、よく「サバイバー」と呼ぶが、FORCEは「プレバイバー」という概念を生み出した。プレバイバーとは、がんに罹患する以前(プレ)だが、遺伝子変異が原因で非常に高いがん罹患要因を持っている人達のこと。全米では約400人に一人がBRCA1かBRCA2の遺伝子変異を持っていると推定されている。
プレバイバー達は、「がんに倒れた家族が多い。自分も遅かれ、早かれそうなるだろう」という不安を抱えている。しかし遺伝子検査や、医療技術が進んだ今では、がんになるリスクを事前にコントロールする策がある。
「遺伝性がんリスクの恐怖に、一人で立ち向かわせてはいけない」という信念で結成されたFORCEでは、がんのリスク管理や最新の医療情報、心の問題、臨床試験の支援、ボランティアによる電話相談、経験談シェアなどあらゆる情報の提供を行っている。
頻繁な検査や予防的な手術で自らリスクを管理
予防的乳房切除や卵巣摘出もその一つだが、乳がんや卵巣がんのリスクを下げると考えられる薬剤療法や、頻繁な検査で監視していく方法もある。
米国のガイドラインでは、BRCA変異を持つ人は25歳くらいから毎年あるいは6カ月ごとにマンモグラフィーとMRIを受けることになっている。ただし卵巣がんは早期発見が困難なため、出産を終えたら35歳から40歳の間に、卵管と卵巣摘出手術を受けるのが最も有効とされている。
悩み深い遺伝子検査
遺伝子検査は比較的身近になったものの、検査費用は高額だ。また検査で遺伝子変異が判明した場合、具体的にがんリスクにどう対処していくのか、恋人や家族にどう伝えるのかなど、様々な問題に直面する。
米国では2008年に医療保険や雇用での差別を禁ずる連邦法が定められたが、生命保険や身体障害保険、長期療養保険には適用されないため、遺伝子変異があることで不利になる場合もある。
一方、検査で遺伝子変異がないとわかった場合でも、自分の兄弟、姉妹に変異を持つ人がいれば、「サバイバー・ギルト」(自分だけ助かったという罪悪感)で、精神的に苦しむ人も多い。遺伝子検査を受けてもはっきりとした結果がでない場合もある。
検査を受けるかどうかも含め、事前に遺伝子カウンセラーとよく相談することが重要だろう。
BRCA変異は女性特有の問題ではない
BRCAというと女性の問題のように捉えられがちだが、男性がBRCA遺伝子変異を持っている場合、前立腺がん、すい臓がん、乳がん、BRCA2の場合は黒色腫のリスクが高まるので、男性も知っておくべきことなのだ。
父親を含め、親が遺伝子変異を持っていれば、子供がそれを受け継ぐ確率は性別に関係なく50%である。子供には何歳で遺伝子検査の受けさせるのか、子供の意思をどう取り入れるべきなのか、兄弟姉妹、姪や甥など、誰に何をどこまで説明すればよいのかなど、正解のない疑問が数限りなくある。
FORCEのフリードマンさんがHBOCに詳しい医療従事者、遺伝子変異を持つ当事者らとともにまとめた「遺伝性乳がん、卵巣がんと生きる」(翻訳書籍あり *1)には、BRCA変異を持つ人が知りたい実際的な情報が、こと細かく網羅されているのでお勧めだ。
日本での取り組みも
日本でも医療従事者や遺伝子カウンセラーなどによる「日本HBOCコンソーシアム」が、遺伝性乳がん、卵巣がんの予防や検診、治療の向上に向けて活動している。同団体がまとめた一般向けのパンフレットもわかりやすい(無料ダウンロードあり)。
今年になり、BRCA変異がある再発卵巣がんや、BRCA変異がありHER2陰性の転移性乳がん患者を対象とした新たな治療薬(オラパリブ)と、BRCA変異を検出する遺伝子検査が日本でも承認された。(*2)
また今月、米国の食品医薬品局(FDA)は、やはりBRCA変異があり、HER2陰性の局所進行乳がん、または転移乳がん患者を対象に、タラゾパリブという治療薬も承認した。(*3)BRCA遺伝子変異に関連するがん研究は、世界中で急速に進んでいる。
かつては、遺伝性疾患は隠すべきものとする風潮があった。科学や医療技術が進んだ今、「がんの家系だから」と漠然とした不安を持ち続けたり、運命だとあきらめたりする必要はない。米国のプレバイバー達は、勇気をもってリスクを受け止め、情報を収集し、遺伝子カウンセラーや医師と相談しながら、自分で納得のいく健康管理を模索している。
日本でも、BRCA変異をはじめとする遺伝性がん症候群に対して、もっともっと多くの情報提供やサポートシステムが整っていくことを願う。
参考リンク ----------
FDAのオラパリブ承認の記事(海外がん医療情報リファレンス翻訳)
*3 FDAのタラゾパリブ承認の記事(海外がん医療情報リファレンス翻訳)
米国国立がん研究所(NCI) BRCA1、BRCA2遺伝子:がんリスクと遺伝子検査について (海外がん医療情報リファレンス翻訳)