イ・ガンイン”卓球事件” 韓国ではこう見られている 「ミステリー」「真の問題人物」「意外な論客」
もはやサッカー界を超え、韓国社会全体を騒がせている「イ・ガンインとソン・フンミンのアジアカップ準決勝前の騒動」。事が大きく報じられた2月14日には、ユルゲン・クリンスマン氏の韓国代表監督の事実上の更迭が決まったこともあり、大きな話題となっている。
事は先のアジアカップ準決勝ヨルダン戦(韓国時間2月7日)の前日に起きた。韓国代表の滞在するホテルにて、夕食を早く切り上げたイ・ガンインら若手選手をキャプテンのソン・フンミンが強く注意。イ・ガンインらの目的が「卓球」だったからだ。この過程に両者を含めた複数選手間でもみ合いが起き、ソン・フンミンが指を脱臼したというもの。
関連ニュースは14日に国内最大ポータルサイト「NAVER」でのメディア別デイリーアクセスランキングでも上位に入った。スポーツ・エンタメの話題が上位に入りにくいこのランキングにあって、全81媒体中15媒体でサッカー関連の記事が1位を獲得したのは異例の注目度。韓国ではもはや「卓球事件」あるいは「卓球ゲート」といった呼称も生まれているほどだ。
もちろん二人の不仲、周辺の選手の世代間葛藤など、それ自体もスキャンダラスに報じられている。さらに同時期の「クリンスマン前監督批判」「大韓サッカー協会批判」「同協会チョン・モンギュ会長への批判」と折り重なり、メディア・ファンによる大ブーイングへと繋がっている。ここ20年で幾度も聞く「韓国サッカー界史上最大の危機」と報じるメディアも。
ここではできる限り全容をお伝えしつつ、日本では報じられていない「現地の視点」のご紹介を。視点は3つ。「ミステリー」「真の問題人物」「意外な論客」だ。
そもそもの「一次報道」は英国の大衆紙から
全ては2月13日のイギリス大衆紙「Sun」の報道から始まった。
記事のタイトルは「PING PONG DING DONG Spurs star Son Heung-min dislocated finger in ping pong bust-up with team-mate on eve of S. Korea’s shock Asian Cup exit」(ピンポンでの衝突により、ソン・フンミンがチームメイトとの乱闘で指を脱臼、韓国がアジアカップでの衝撃的な敗退の前夜に)。
ここで伝えられた事の顛末は下記の通り。
この報道が、韓国での大騒動の引き金となった。その後、韓国メディアの後追い報道で「ソンとイの二人のみならず、もともと世代間の対立があった」「ソンらベテラン組がイ・ガンインのメンバー除外をクリンスマン前監督に要求」などといった点が日本でも紹介されたが、これらは大韓サッカー協会側が事実として認めているわけではない。
この流れを聞いた際に日本でも感じ取られることはこういったところではないか?
「代表チームの輪を乱したイ・ガンインがけしからん」
「先輩たるソン・フンミンに楯突くとは何事?」
「若手3人(イ・ガンイン、チョン・ウヨン=シュトゥットガルト、ソル・ヨンウ=ウルサンHD)のエゴ」
しかし、韓国では少し違う視点でも捉えられている。
1. 誰がリークしたのか?
3時間。このスピード感が逆に「疑い」を生んでいる。
この記事が発表された13日(韓国時間では14日)は、「クリンスマン監督の去就が事実上決まる日」でもあった。大韓サッカー協会の技術強化委員会によるアジアカップ総括が行われる日。
韓国記者団はこの日に“ターゲット”を定め、クリンスマン更迭キャンペーンを繰り広げていた。実際に会見終了予定とされていた14時には、大挙してソウル市光化門近くの大韓サッカー協会に押しかけた。
そんな日の韓国時間早朝にイギリスから発信された「チーム内紛」の報。現地人気解説者で、YouTuberとして知られるパク・ムンソン氏は「YTN」など既存メディアのニュースに出演し、こういった疑念を提起した。
「大韓サッカー協会が事実を認めるスピードが異常に速い」
「こういうケースでは『事実を調査する』と発表し、しっかりと状況を把握してから改めて真相を発表すべき」
つまり「クリンスマンの話から目を逸らすために誰かが情報をリークしたのではないか」という疑いだ。根拠となっているのが「The Sun」が早朝に第一報を報じてから、韓国メディアが「大韓サッカー協会の事実関係済みの記事」がでるまでにわずか3時間しかかかっていない点だ。
The Sunが最初に本件を報道したのが、韓国時間で14日午前5時25分頃だった。いっぽう、国内で最初にこれを報じたのが同系列の「スポーツ朝鮮」「朝鮮日報」で、両媒体が記事をアップした時刻はそれぞれ6時10分過ぎ、7時20分だった。そして10時40分に修正された段階で大韓サッカー協会の「裏取り」の内容が含まれていたのだ。
内容は以下の通り。
「大韓サッカー協会の関係者はこれについて、『The Sunが報じた内容は大体正しい』と述べ、『ソン・フンミンが卓球をしに席を早く立つ若い選手たちに不満を表明し、若い選手たちがこれに反発して争いが起こる過程で、ソン・フンミンが指を怪我した』と明らかにした。
韓国での最初の報道があって、わずか3時間。ちょっとした「ミステリー」だ。「監督人事の話題から話を逸らすためのリーク」「選手とクリンスマン監督を"悪役"にして協会が批判を回避」とい疑いがかけられている。
「SBSニュース」のスポーツ担当記者は14日のクリンスマン解任関連報道の際にこの話題をキャスターが触れるや「代表チームではこういった出来事はあるものです」と即座に切り返し、「問題は大韓サッカー協会とクリンスマンの去就問題です」とまるでスルーするかのような反応を見せている。
2. 「最も問題視される人物」は実は…
じつは、「クリンスマン解任劇」を含む一連の騒動で元々韓国メディアやファンが「最も批判されるべき人物」として捉えている人物は「当事者(選手)」たちではない。
大韓サッカー協会チョン・モンギュ会長。
2013年に大韓サッカー協会会長に就任後、3期めを務める。分かりやすく言えば02年W杯組織員会の共同委員長を務めたチョン・モンジュン氏のいとこ。ヒュンダイ自動車の社長などを経て、現在はHDC(ヒュンダイ産業開発)の会長、Kリーグ2の釜山アイパークのオーナーなどの重職も兼ねる。
この”重鎮”、表現が難しいのだが「ちょっとズレた御曹司」と見られている。2013年の東アジアカップ(現E-1)の際には、日韓戦を前にして韓国代表の前任監督(チョ・グァンレ氏、チェ・グァンヒ氏など)を集めて記者相手のブリーフィングを開催。まったく実現しなかった「日韓定期戦の復活」を宣言した他、その席で「Kリーグのオールスター戦を韓日対決でやるのはどうですか?」と提案してみせた。完全に周囲はキョトンとしていた。なぜならその企画案はすでに実現され、2008年を最後に終わっていたものだったのだ。
「週刊東亜」はその人物像をこう評している。
「勝負欲、自己主張が強く、頑固であり、決定的な瞬間には自分の主張を曲げないと言われている。彼の失策はしばしば彼の頑固さに起因しており、このような状況では、最高経営責任者や最高意思決定者として無能であっても、イエスマンの方がましなこともある。最も深刻な問題は、これらの失策に対して本人が責任を取るどころか、無責任に逃げ出して問題を大きくしてしまうこと」
2023年3月には突如「2011年にKリーグで大規模発生した八百長事件の犯人(元選手など)を恩赦する」という提案を行い、大韓サッカー協会の理事会で話し合いを持つにまで至った。メディア、サポーターの猛反発を食らったこの提案、複数名いた副会長・理事らは反対票すら投じることが出来ず、その後辞任するという事態が起きたため、会長自らこれを撤回する自体に陥った。
今回のアジアカップ時にも決勝トーナメント1回戦のサウジアラビア戦を終えた段階で現地入り。「世論が良くなった頃に都合よく現地に行くのか」といった批判の声も挙がった。
しかし、しかしだ。
大韓サッカー協会の”狙い”かどうかは別として、今のところ批判の最大の標的になっているのはイ・ガンインに他ならない。2月18日に行われたフランスのリーグアン第22節PSG-ナント戦で、韓国での中継権を持つ「Courpang Play」がメインビジュアルから彼を外すなどの処置が取られている。
チョン・モンギュ会長は15日の会見で今回の「卓球事件」に対して「男性ばかりの50人のグループが1ヶ月以上合宿しているという緊張状態で起きた」とし、イ・ガンインについてこう言及している。
「別途で懲罰は下せない。招集を行わないという方法しかない」
3. 意外な論客はあの「お騒がせキャラ」
そういったなかで、意外と韓国でも多く取り上げられている視点がある。筆者個人も「的を得ているかも」と感じる。
かの イ・チョンスの意見だ。02年W杯ベスト4に貢献、その後ソシエダ、フェイエノールト、大宮アルディージャなどでプレー。Kリーグ在籍時にコーチに暴行を働くなどのイメージもあり、地上波への出演が難しい。それゆえ近年はYouTuberとして活動の幅を広げている。
「ヨーロッパではこういった揉め事はよくあるもの。しかし場が韓国代表だということを忘れてはならない。韓国には先輩・後輩といった秩序が残っている。イ・ガンインはそこでそういう行為をするのは間違っている」
”当事者”たるソン・フンミンもイ・ガンインも10代にしてヨーロッパに渡った。当然メンタリティは”現地化”していっているはずだ。今回の「卓球事件」が起きた際、現場たるホテルの食堂にいたクリンスマン前監督は「何もしなかった」という。チームが良くなるための対立なら、あるべきだ。そう捉えていたのではないか?
ソン・フンミンとて、実際に2020年7月6日のプレミアリーグ33節エバートン戦のハーフタイムにGKウーゴ・ロリスと公論になった件は大いに知られるところだ。その後、当時の監督のジョゼ・モウリーニョ監督はこう言ったという。
「美しい」
選手は「欧州化」していき、時に強い主張を厭わない。それを評価している周囲は自分たちの固定観念で物事を見ている。大きく形は違うが、日本でも「選手の欧州化」は起きている。久保建英のカタールW杯スペイン戦試合後の「前半は僕が一番良かった」発言。またアジアカップ後には守田英正による”森保批判”とも捉えられた発言「局面を打開するコンセプト共有できなかったかも」がある。後者に関しては内田篤人が「欧州では言わなければならない」と解説している。選手が欧州を目指し、長く生活していけば考え方が変わる。かつては「自国の代表」と見ていたナショナルチームも、いつしか欧州化した選手たちの姿を見て応援する日も来るはずだ。2024年の現在、そんな時を過ごしているようにも思える。
ただイ・ガンインの「さっさと飯食って卓球」は幼稚な行為には違いない。しかも14日に彼の弁護士再度から発表された謝罪文にはファンへの謝罪はあったものの、チームメイトへのそれは含まれていない。彼には罰が下され、そして復活のチャンスも与えられるべきだ。それよりもチョン・モンギュ会長の追求を――。これが韓国での一連の事件の「見方」となっている。