【恵那市】恵那のファンタジーストーリー?伝説の人、根津甚平さんにまつわるの不思議なお話とは?
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中山道に甚平坂という坂があります。
これは鎌倉幕府の頃、信濃国の御家人であった根津甚平から名づけられた坂なのですが、すぐ近くにお墓があるのです。
お隣の信濃の方のお墓が?そしてなぜ坂の名前がつけられているのか?
そこで今回中山道近くにある根津神社に立ち寄ってみました。
車で来ると、見落としそうな場所で、鬱蒼とした森の中にありますが、何よりも階段が険しいです…!
こちらは根津甚平のお墓とも供養塔とも言われています。
鬱蒼とした森の中にある塔。
さて、この根津甚平さんには様々なエピソードが。
40代になっても子宝に恵まれなかった甚平さん。恵那市にある長国寺の観音様に祈願したところ、子供ができたというお話があったり(長国寺には鞍とあぶみが残されています)信濃国に現れた怪鳥退治のため、甚平さんは馬と犬とともに奮闘するのですが、みんな疲弊して息絶えてしまったお話があります。
そして「自分が死んだら埋葬してほしい」という遺言を残したことで今の供養塔(墳墓)が作られたこと。
悲しいお話が多いのですがこれほどエピソードがあるということは、甚平さん慕われているのですね。
さて、根津氏はその後も信濃国の勇敢な士族として活躍したそうで、江戸時代の松前藩の家臣としても名が残っています。
恵那市民から今も親しまれている甚平さんにまつわる不思議なストーリー。
ハイキングの際、思いをはせてみましょう。
【甚平神社】
住所:岐阜県恵那市大井町
岐阜県ホームページ:関戸宝篋印塔について