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「環境殺人」とは何か―ある女性環境運動家の死が訴えるもの

六辻彰二国際政治学者
ベルタ・カセレス氏の殺害の真相究明を求めるデモ(2018.3.3)(写真:ロイター/アフロ)

 コスタリカに集まった中南米諸国は3月8日、環境保護に取り組む人々の安全を各国が守ることに合意。このエスカス合意が成立した背景には、世界各地で自然保護に取り組む人々が襲われ、生命を落す事態が頻発していることがあります。その人数は年間約200人にも及びますが、とりわけ2016年3月に銃撃されたある女性運動家の死は、このような「環境殺人」への関心を高める一つのきっかけになりました

「環境殺人」とは

 ここで「環境殺人」と呼ぶのは、森林伐採、農園開発、ダム建設、鉱山開発、密猟などから自然環境を守ろうとする運動に参加している現地の先住民族や、外国人NGO、さらに違法な伐採や狩猟を監視するレンジャーや警官などの公務員が標的となる殺人事件を指します。いわば土地をめぐる争いのなかで、自然環境を守ろうとする人が犠牲になる事件といえます。

 国際的な環境保護団体グローバル・ウィットネスと英紙ガーディアンの共同調査によると、その発生件数は増加傾向にあり、2015年以降は世界全体で年間約200人が生命を落としています。

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 国別でみると、2015年からの3年間で最も多いのはブラジルの145人。これにフィリピン(102人)、コロンビア(95人)、コンゴ民主共和国(34人)、インド(33人)と続きます。ブラジルとコロンビア以外にもメキシコやホンジュラスなど、とりわけ中南米諸国で「環境殺人」は目立ちます。

 犠牲者にはその国の先住民族だけでなく、外国人の運動家なども含まれます。グローバル・ウィットネスなどによると、2014年のブラジルの犠牲者29人のうち先住民族は4人で、被害者の多くは外国人でした。一方、コロンビアでは25人の犠牲者のうち15人は先住民族が占めます。

 「環境殺人」が広がる背景には、先進国やアジアの新興国、アラブ産油国を中心に、農業やエネルギー開発を目的に海外で大規模に土地を購入する「土地買収」が加速していることがあります。そのため、ほとんどの場合に「環境殺人」の加害者として、森林伐採、農地開発、ダム開発などを行う企業だけでなく、それに連なる政府や海外企業にも疑惑が向けられています。しかし、多くの機関がかかわるだけに、ほとんどの事件で解決が困難なままです

カセレス事件の衝撃

 こうした「環境殺人」が広く注目されるきっかけになったのは、中米ホンジュラスでアグア・ザルカダム建設工事に反対する運動の中心にいた女性運動家ベルタ・カセレス氏の殺害でした。

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 先住民族レンカ人の出身であるカセレス氏は、ダム開発や森林伐採などで居住地を追われる先住民族や貧困層の権利保護を求める運動を1990年代から行ってきた「ホンジュラス民衆と先住民族の協議会(COPINH)」の創設者の一人。環境保護と先住民族保護の活動の功績から、「環境保護のノーベル賞」とも呼ばれるゴールドマン環境賞を2015年に受賞するなど、国際的に知名度の高い運動家でした

 しかし、2016年3月2日、自宅に押し入った暴漢がカセレス氏を銃殺。カセレス氏が国際的に知られていたこともあり、その死はホンジュラスで広範な抗議デモを引き起こしただけでなく、環境保護に関心の高い欧米諸国で広く報じられ、「環境殺人」への関心を高める大きな転機となったのです。

川をめぐる戦い

 なぜカセレス氏は殺されなければならなかったのでしょうか。当時カセレス氏は、ホンジュラス西部のグアルカルケ川に建設中だったアグア・ザルカダムの問題に取り組んでいました。

 ホンジュラスの国土は日本の約3分の1にあたる約11万平方キロメートルで、その約8分の1が熱帯雨林に覆われています。2010年、ホンジュラス政府は産業化を推し進めるため、海外企業の投資を誘致し、河川流域の土地の民営化も認める法案を成立させ、この年だけで47のダム建設が認可されました。なかでも22メガワットの発電量が見込まれる巨大なアグア・ザルカダムの建設は、ホンジュラスの産業化の一つの象徴でもありました。

 しかし、それは現地に暮らし、生活用水から農業、漁業に至るまでグアルカルケ川に頼っているレンカ人の生活を脅かすものでもありました。そのため、レンカ人は川の譲渡を拒絶。やはりレンカ人であるカセレス氏を中心に、COPINHや国際的な環境団体による反対運動も活発化するようになりました。

 ところが、2013年3月には河川流域への立ち入りが禁止され、ホンジュラスの大企業デサロージョ・エナゲティコ社(DESA)と中国の国営企業である中国水利水電建設集団公司(シノハイドロ)が工事を開始。工事現場には警官や兵士が駐留し始めたのです。

 同年7月、これに対する抗議デモが発生すると、兵士の発砲で2人が死亡。さらにこの前後から、反対運動をしている人たちへの嫌がらせや脅迫、襲撃も頻発するようになりました。その死の約2年前の2013年12月、海外メディアの取材にカセレス氏は、それまで幾度となく脅迫状を送り付けられたと明らかにしたうえで、以下のように語っています。「自由に出歩くこともできないし、…脅迫があるから子どもとも離れて暮らさないといけなくなった。…でも、私は故郷を離れたくない。亡命もお断り。私は人権のファイター。この戦いを決してあきらめない」

ホンジュラスの闇

 犠牲者の知名度で注目されたカセレス事件の展開は、さらにホンジュラスのダム開発が抱える闇を浮き彫りにしました。

 事件の後、ホンジュラスの政府・警察は捜査の名目で、ダム建設に反対していたCOPINH関係者を相次いで逮捕。また、事件の現場に居合わせたメキシコ人運動家などを拘留し、出国を禁じるなど、アグア・ザルカダム建設を批判する人々を一方的に容疑者として扱い始めました。これに抗議していた、やはり著名な環境保護運動家のネルソン・ガルシア氏がデモの最中に兵士に銃殺されたことは、ホンジュラス政府への批判をさらに高めるものでした。

 被害者がむしろ加害者扱いされた背景には、政府と企業の癒着があります。例えば、カセレス事件当時、議会多数派の国民党の党首を務めていたグラディス・ロペス国会副議長の夫は、各地でダム建設を行い、エネルギーを政府に売る企業の責任者でした。同様に多くの政治家が産業界と深く結びついた背景のもと、グローバル・ウィットネスの報告によると、カセレス事件以前からホンジュラスでは住民に対する事前説明も十分に行わないままにダム建設が強行され、これに住民などが抗議運動を行うと、兵士や警察、企業の雇った警備会社がこれを鎮圧する事態が珍しくなかったのです。

闇を暴く「蟻の一穴」

 ところが、ホンジュラス政府はその後、不公正な対応の修正を余儀なくされます。カセレス事件が海外でも関心を集めた結果、国内からだけでなく、最大の援助国で、ホンジュラス軍の後ろ盾でもある米国でも批判が噴出。ホンジュラス政府は、それまでのように「政府にたてつく者を犯罪者扱いして済ます」ことができなくなったのです。

 その結果、捜査は徐々に本格化。事件の3ヵ月後に当局は、ダム建設を行っていたDESAの社員、DESAが雇っていた警備会社の関係者、(米軍の訓練を受けた)元ホンジュラス軍の軍人など4名を逮捕。しかし、実行犯が逮捕されても内外の批判は収まらず、「首謀者を逮捕するべき」という声に押されて、カセレス事件から丸2年にあたる2018年3月2日、DESAの経営責任者ロベルト・メヒア氏が逮捕されました。

 先述のように、「環境殺人」の多くでは政府や企業の関与が疑われるものの、その関係者が逮捕されることさえ必ずしも多くありません。カセレス事件の場合、メヒア氏で逮捕者は9人にのぼり、関係する大企業の経営者にまで捜査が及んだ点で画期的といえます。ただし、先述のように政府と大企業の癒着が深刻なホンジュラスで、そこから先に捜査が進むかは不透明なままです。

 その一方で、カセレス事件は、国際的な影響の大きさでも例をみないものです。カセレス氏は生前、DESAだけでなく、そのパートナーであるシノハイドロや資金協力を行っていた世界銀行も批判。抗議運動の広がりにより、最初の大規模な抗議デモと発砲事件が発生した2013年にはこれらがいずれも撤退していました

 カセレス事件後はこの動きが加速し、2016年4月にはこのプロジェクトに出資していたオランダとフィンランドの援助機関が、2017年8月にはドイツの建設会社が、それぞれ撤退を決定。いずれも国際的な批判の高まりを受けてイメージダウンを恐れたものとみられます。

 海外からの支援の停滞は、アグア・ザルカダムをはじめホンジュラスのダム建設を大幅に遅らせることになっています。エネルギー需要や産業化の必要があるとしても、ダム開発を強引に推し進めたツケがホンジュラス政府に返ってきているといえるでしょう。

カセレス氏が残したもの

 カセレス事件はホンジュラスのダム開発をめぐる闇を浮き彫りにしただけでなく、「環境殺人」への国際的な関心を高めました。冒頭で取り上げたエスカス合意の成立にも、その影響はみてとれます。

 しかし、先述のように、カセレス事件の後も「環境殺人」は高止まりの傾向をみせており、これが一朝一夕になくなると想定することは困難です。

 一般的に、温室効果ガスの排出規制を進めれば新たな技術を導入しなければならないように、自然環境の保護にはコストがつきものです。とはいえ、開発途上国で自然破壊をともなう開発プロジェクトが増え、海外からの資金がこれを加速させるなか、「環境殺人」の広がりは環境保護のコストがこれまでになく高くなっていることを意味します。カセレス氏の死は、自然環境の保護に大きなコストが払われている現実を改めて世界中に知らしめた転機として、歴史に刻まれるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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