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アフリカ・ブームの国際政治経済学 6.日本の対アフリカ・アプローチ(2)

六辻彰二国際政治学者

(3)貿易・投資の強調

初期TICADでは「南南協力」の一環として、東南アジアなどを通じたアフリカとの貿易・投資が奨励され、1999年にはその一環としてアジア、アフリカの企業の商談の場として第一回アジア・アフリカ・ビジネス・フォーラムがマレーシアで開催された。しかし、日本自身のアフリカとの経済関係は、ほとんど言及されなかった。

しかし、表6-2から確認されるように、TICAD III 以降、日本とアフリカの間の直接的な貿易・投資が段階的に強調され始め、特にTICAD IVは日本企業の関与を強める契機となった。IVで採択された横浜行動計画では、日本企業のアフリカ向け投資を促すために2500億ドル相当の基金を設けることが約束され、これを受けて2009年にはJBIC(国際協力銀行)に、「アフリカ投資ファシリティ」(2013年に「アフリカ貿易投資促進ファシリティ」に発展的改編)が設置されている。

これらと並行して、図6-3で示すように、1990年代に低下していた日本の貿易額に占めるアフリカの比率は、2000年代に入って緩やかながら回復し始めた。図6-4からは、投資においても、2000年代に段階的に増加したことが分かる。さらに、図1-11で示したように、2000年代後半からアフリカ産燃料の輸入が、徐々に増加してきている。

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2000年代半ば以降、アフリカに対する経済的な関心が世界的に高まった状況に鑑みれば、TICADで日本の直接的な貿易・投資が強調され始めたことは不思議でないが、アフリカ外部の動向も、これに拍車をかけたといえる。従来と異なり、中国やインドなど新興国が「相互利益」を前提とするフォーラムが活況を呈し、AGOAフォーラムやアフリカ・EU戦略パートナーシップなどでも民間ベースの経済交流の活発化が大きなテーマになった状況は、「アフリカの開発」を主要テーマとしてきたTICADでもビジネスを取り上げるハードルを低くした。これに加えて、日本自身の財政状況を鑑みれば、援助のみによる対アフリカ・アプローチの強化に限界があることも確かである。

これらの背景のもと、TICADにおけるアフリカの立場は、「援助の対象」から「ビジネスパートナー」へシフトしてきたのである。

(4)政治問題から距離を置く姿勢

従来、日本の援助は相手国の「自助努力」を旨とする。この観点から、TICAD の基本原則の一つがオーナーシップであったことは不思議でない。ただし、自助努力ないしオーナーシップを強調することは、一面において「相手国の内政への関与を控える」という意思表示でもある。「政経分離」の原則に基づき、アパルトヘイト体制の南アフリカとも通商を続けたことは、この思考に基づく。この点においても、日本と中国の類似性は顕著である

それでも、表6-1で示すように、冷戦終結から間もなく、共産主義に対する自由民主主義の勝利が喧伝されていた1990年代の初期TICADでは、当時の先進国のトレンドとして、首相や外相の演説でも民主化や人権保護が言及されていた。日本自身が国際的に政治的な関与を増加させようとしていたことに加えて、1980年代末の南アフリカ問題に関する日本の対応が記憶に新しかったことも、これを促したといえよう。

しかし、III以降のTICADでは、少なくとも基調演説において「人権」や「民主主義」の語はほとんど用いられなくなった。また、それぞれの宣言や行動計画においても、「民主主義とグッド・ガバナンスは社会の安定にとって重要であり、そのためのアフリカ自身の努力を支援する」といった趣旨で触れられるにとどまっている。

この傾向の背景としては、2000年代の米国主導による「対テロ戦争」のなかで、自由や民主主義といった理念が露骨なまでに政治的に利用され、これが中東・北アフリカ以外の開発途上国でも広く反感を買ったことがある。これに加えて、先述のように2000年代に日本の開発協力の主流において、欧米諸国が強調する「貧困削減」への反動が生まれ、その結果、いわば伝統的な日本の援助手法への志向が強まり、さらにアフリカ諸国との経済関係の強化が強調されるようになった

これらの背景のもと、2000年代以降の日本政府には「うるさいことを言わない」傾向がより強くなり、相手国の内政にほとんど関与しない、80年代末以前のスタイルへの回帰が、TICADで鮮明になったといえる。

TICAD V にみる日本の対アフリカ・アプローチ

以上に述べた、2000年代に生まれた4つの変化は、TICAD V において極めて鮮明になったといえる。まず、V で提示された、5年間でODA約1兆4,000億円を含む約3兆2,000億円の資本投入は、その金額において、それまでTICADで約束された金額と比較して飛び抜けて大きい

なかでも、援助以上の金額の民間投資を掲げたことは、アフリカとの直接的な経済交流を強調するものであった。これに関連して、TICAD V 開催の約1年前の2012年7月には「TICAD推進官民連絡協議会」が設立され、玄葉光一郎外相とともに小松製作所会長の坂根正弘経団連副会長が共同座長に就任した。これは日本経済界のアフリカに対する関心とともに、日本政府による経済界を巻き込んだ対アフリカ・アプローチを本格化させる意思を内外に示したといえる。のみならず、例えばTICAD V の会期中に、安倍総理とケニアのウィリアム・ルト副大統領の間で投資協定締結のための協議を始めることで合意されるなど、個別の国との協議も進められた。

他方、ODAに目を転じると、約6,500億円がインフラ整備に向けられることとなった。なかでも「アフリカ五大成長回廊整備計画」など、国境を超えたいわゆる広域インフラの整備が強調されている。これに関連して、スムーズな物流を可能にするため、橋脚など施設建設だけでなく、手続きに関する法整備支援や国境施設職員の研修をパッケージで行う「ワン・ストップ・ボーダー・ポスト」は、IV でアフリカ全土に14ヵ所設置することが約束されて以来、TICADの一つの目玉となっている

インフラ整備とともに日本が重視する援助として農業がある。なかでもアジア稲とアフリカ稲を交配したネリカ米(New Rice for Africa: NERICA)の普及はその中心であり、TICAD IVでは10年間でコメ生産量を倍増させる目標が掲げられた。これを踏まえて、Vでは農業指導員を5年間で1,000人育成することが約束されている。

こういった生産量の拡大に加えて、IV で大分県が発祥の農村開発「一村一品運動」が13ヵ国で導入され、V では青年海外協力隊の隊員が開発した、市場で売れる作物の栽培を農村住民とともに生み出すアプローチであるSHEP(Small Horticulture Empowerment Project: 小規模園芸農家強化計画)を10ヵ国で導入することが打ち出されるなど、よりきめの細かい農村開発アプローチが重ねて強調されている。これにより、他の援助国との差別化が促されるとみられる。

この他、TICAD Vでは、中等教育における理数科教育の支援、基礎医療の普及を図るための人材育成、1,000万人が安全な水にアクセスできるようにするための支援、30,000人の産業人材育成などに加えて、治安・テロ対策でも従来以上の協力が約束された。

従来、日本政府はAUやUNDPを通じて、復興支援、難民の帰還支援、地雷除去などの協力を行ってきたが、2013年1月のアルジェリア人質事件を念頭に、V ではアフリカ10ヵ国11ヵ所にあるPKO訓練センターへの支援を通じた3,000人の人材育成や、ソマリア沖での海賊対策への協力なども約束された。米国やフランスのように独自に展開する軍事能力に乏しく、他方で中国のように国連PKOに大規模に参加することも国内事情から困難ななか、現状でできる範囲で日本としてアフリカ最大の懸案の一つであるテロ対策への協力姿勢を強く打ち出したものといえる。

このように、従来以上にアフリカへのアプローチを強めたTICAD V であったが、他方で政治的な関与については微温的な姿勢を貫いた。その象徴は、スーダンやジンバブエなど人権状況について欧米諸国から批判を集める国の首脳が、従来通りほとんど問題なく出席したことである。

両国は米国のAGOAフォーラムではメンバーになっておらず、2007年のEU・アフリカサミットでは、ジンバブエのロバート・ムガベ大統領の出席を批判して、経済制裁を敷いている英国首相が退席する事態となっている。これに対して、「不干渉原則」を掲げる中国のFOCACでは、これら両国が支障なく出席している。ただし、FOCACで採択される行動計画では、「援助をテコに相手国の内政に介入すること」が批判され、「一部の先進国による意思決定でなく、多くの国の意思を反映した国際的な民主主義」が要望されており、その意味で政治的なトーンが強い

これらと比較すると、TICAD Vにおいては、国連改革・安保理改革の必要を訴える共同アピールを除けば、政治的なテーマはほとんどみられない。アフリカ諸国を招くフォーラムのなかで、TICADは最も脱政治的でプラグマティックなものとさえいえる。

日本の官民ギャップ

政治的な問題に関わらず、摩擦や対立を避けるプラグマティズムは、いわば日本らしい立場といえるかもしれない。しかし、これは翻って、日本の対アフリカ・アプローチにおけるアキレス腱になり得るといえる。

5.テロと政治変動のリスク(2)の末尾で述べたように、現代のアフリカでテロや政治変動のリスクが高まるなか、自国企業の進出を促す際、政府には「援助などを通じて貧困対策に協力し、間接的に相手国の政治的安定に寄与しながらも、相手国政府に『耳の痛いこと』も伝え、さらに当該国の政府が権威主義的である場合には、少なくとも相手国の一般市民から『敵の味方』とみなされにくくする」ことが必要である。これに照らすと、TICAD に象徴される日本の対アフリカ・アプローチは、貧困対策の観点から評価できるものの、相手国政府に対する姿勢において、日本企業の進出を促しやすいものとは必ずしもいえない

欧米諸国の多くは、ダブルスタンダードがあるとはいえ、「独裁者」に対する批判を強めることで、アフリカの注意を喚起する存在である。したがって、アフリカ諸国政府もその意向を無視しえない。他方、場合によっては欧米諸国からの圧力を阻むことで、中国はその存在感をアフリカで示してきた。それによって中国は、西側先進国と敵対的な国や中立志向の国を中心に、影響力を保っている。これらと比較すると、日本のアプローチは、アフリカとのトラブルを生みにくいものの、アフリカからみて日本の要望や意見の優先順位を高くしにくいものでもある。

そして、これはアフリカ進出に関する官民ギャップを大きくする要因でもある。図6-5は、既にアフリカに進出している日本企業を対象にJETRO(日本貿易振興機構)が行ったアンケート調査である。ここから、「市場の将来性」や「市場規模」などが多くの企業の進出動機であることが見て取れる。一方で、政府が期待する天然資源の確保や、アフリカとの関係強化のためのODAなどへの関心は、総じて低い

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次に、図6-6は同様に行われた調査のうち、「経営におけるアフリカ側の問題」に対する回答である。テロや政治変動、貧困といった政治的・社会的不安定が最も多く、規制・法令の整備、運用がそれに次ぐ

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最後に、図6-7は「日本政府に期待する支援内容」に対する回答である。ここから、アフリカに進出している日本企業が日本政府に期待するのが、華々しい「二国間協定の締結」や「トップセールス」よりむしろ、「相手国への各種要望伝達」や「情報提供」であることが分かる。

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1.アフリカ・ブームの現状と背景(2)で示したDoing Businessのランキングでも確認できるように、モーリシャス、南ア、ルワンダなど対外投資を呼び込む環境が整備されている国もあるが、それらはアフリカでむしろ少数派である。行政制度の効率性や透明性が総じて低く、インフォーマルな人的関係によって手続きのスピードが変わることも珍しくなく、ビジネス関連の法令が不十分な国もある

こういった環境でビジネスを行う際、海外企業が相手国政府に改善を直接要望することには限界があり、自国政府にそれを求めざるを得ない。また、例えばテロ関連の情報など、相手国政府の透明性が低ければ民間企業がアクセスしにくい情報を、自国政府を通じてシェアできるか否かは企業にとって死活問題である。現在のアフリカの状況に鑑みれば、この調査結果は当然とさえいえる。しかし、先述のように、「耳の痛いことを言わない」日本政府の姿勢は、相手国政府と波風を立てにくいものの、他方で日本企業の要望を反映させやすい関係を作るものとはいえない

TICAD V で援助や投資を大幅に増やすことを約束したにせよ、国際的関心が停滞していた1990年代と異なり、2000年代以降のアフリカは「新たな争奪戦」と呼ばれるほどの、いわば売り手市場の状態にある。この環境のなか、いわばアフリカにアプローチしようとする姿勢のみが前面に立つ日本政府が、仮に何らかの要望を表明したとしても、相手国がそれを優先順位の高いタスクと捉えるとは考えにくい。2013年のアルジェリア人質事件の際、アルジェリア政府から日本政府への情報伝達が遅れがちだったことは、これを象徴する。TICAD V では司法関係者や行政官など5,000名の能力開発なども明示されており、汚職対策をはじめとするグッド・ガバナンス支援も打ち出しているが、これらは相手国政府の体質に問題が多い場合、実質的な効果を期待しにくいといえる。

日本はアフリカに向かうのか

「主なアプローチの対象は相手国の政府で、しかも耳の痛いことは言わない」という日本政府のスタンスは、かつての東南アジアなどでもみられた、いわば伝統的なものである。確かに、日本が主に援助した東南アジアが劇的に成長し、欧米諸国なかでもヨーロッパが主に援助したアフリカが停滞し続けたことに鑑みれば、日本の援助方式を全面的に否定する必要もないだろう。

ただし、1970年代のインドシナ3国を除く東南アジアは、冷戦の国際環境のもとで、国内の分離独立運動や他の武装組織が米国の支援によって徹底的に鎮圧されていた一方、西側先進国以外から資金を調達する機会はほとんどなかった。そのため、日本からみた競争相手は、西側先進国なかでも米国にほとんど限られていた。これに加えて、アフリカと比較して東南アジア諸国は、政府機構や官僚制度なども比較的整備されていたうえ、戦前から日本との関係が深い地域であった

これらのアドバンテージがあるなか、相手国政府に「うるさいことを言わない」日本政府のアプローチが成立したとするならば、これまでに述べてきたような特徴を備えた現代のアフリカにおいて、これを適用することで同様の効果をあげられるかは疑わしい。少なくとも、アフリカへのアプローチに関する官民ギャップは明らかである。

TICAD V を契機に、日本には一躍アフリカ・ブームが訪れた感がある。全てのブームには仕掛け人があり、日本におけるアフリカ・ブームの仕掛け人は政府といえる。日本政府の対アフリカ・アプローチの目的のなかに、仮にそれが全てでないにせよ、国連改革・安保理改革と資源確保があることは否定できない。いずれも相手国政府との良好な関係が欠かせないテーマであり、それは日本政府をして「自助努力」やオーナーシップを隠れ蓑にする傾向をも生んでいる

1990年代の欧米諸国に顕著であったように、援助をテコにして強圧的にガバナンス改善、民主化、人権保護といった政治改革を求めることが、どの程度認められるべきかには疑問の余地がある。しかし、少なくとも相手国政府が聞きたくないことに耳を傾けさせ、自国企業にとってのビハインドを挽回しようとする意思が明確に打ち出されなければ、民間企業が最も求める支援とならず、政府が期待する「官民共同」の成果もあがり得ない。さらに、これは「豊かさを感じにくい成長」に直面するアフリカの発展にとっても好ましいことといえない

これらに鑑みれば、日本政府には援助額の多寡よりもっと根本的な部分で、「成功体験」にとらわれず、対アフリカ・アプローチを見直す必要に迫られているといえるのである。

(完)

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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