日本での2連勝で飛躍した王者が統一戦へ WBA世界Sバンタム級王者ダニエル・ローマン インタヴュー
4月26日
カリフォルニア州イングルウッド ザ・フォーラム
WBA、IBF世界スーパーバンタム級王座統一戦12回戦
WBA王者
ダニエル・ローマン(アメリカ/28歳/26勝(10KO)2敗1分)
対
IBF王者
TJ・ドヘニー(アイルランド/32歳/21勝(15KO))
無印ファイターが世界王座統一戦へ
ーーほぼ無名の立場から過去数年の間に一気に上昇した印象があります。今振り返ってみて、ブレイクできた理由を自分ではどう分析しますか?
DR : 自分の実力を信じられたことだと思います。キャリアの早い時期に喫した2敗も私の成長に役立った。勝っても、負けても、一戦ごとに向上しようと考え、その通りにやってこれたがゆえにここまで辿り着けたんです。
ーースキルよりもメンタル面が大きかったということでしょうか。
DR : その通りです。まずメンタル面で向上するための準備ができていないといけない。それがあるからこそ、スキルも向上していける。それを続けることによってより良いボクサーになれるのだと思います。
ーー自分が成長できているとはっきり感じられたターニングポイントを挙げるとすれば?
DR : 8回戦に上がった頃から、自分はこの世界でもやっていけると感じられるようになりました。そして、やはりWBA挑戦者決定戦に勝ったことが私のキャリアにとって大きかったと思います。
ーー2017年1月にアトランティックシティで行われたアダム・ロペス(アメリカ)戦ですね。
DR : その通りです。ランキングを徐々に上げて、あの試合こそが私にとってのチャンスでした。ついに機会を得て、そこで力を示すことができたのです。
ーーロペス戦では試合前は完全にアンダードッグの扱いでしたね。
DR : トンプソン・プロモーションズの興行でローカルファイトを戦ってばかりだったので、試合前は“ダニー・ローマン”なんて名前は誰も知りませんでした。相手は僕を過小評価していたのだろうと思います。
ーーある意味で世界タイトル獲得以上に人生が変わった一戦でしょうか。
DR : あの試合のおかげで私の自信は大きく膨らみました。当時はネオマール・セルメニョ(ベネズエラ)が世界王者でしたが、のちに久保隼(真正)がタイトルを奪いました。その後に世界タイトル挑戦の機会を待つことになったんです。
ーー久保選手に勝ってついに世界王者になって以降、順調に階段を上っています。そしてここで統一戦を迎えることになりました。IBF王者ドヘニーの印象を話してもらえますか?
DR : ドヘニーと私には共通点があります。そう、日本に行って世界タイトルを獲ったことです。相手の母国で世界チャンピオンを倒すのは簡単なことではありません。だから彼のことをファイターとしても、人間としてもリスペクトしています。そんな選手との戦いは厳しいものになるはずですが、それでも4月26日に私は必ず勝利を手にしてみせます。
ーー1月にドヘニーがマディソン・スクウェア・ガーデン・シアターで高橋竜平(横浜光)選手を相手に防衛戦を行った際には会場に来ていましたね。
DR : ドヘニーは再び日本人選手と戦いました。ジャパニーズ・ファイターがタフなことはもう十分に分かっています(笑)。TJの相手もタフでしたが、彼はリングの使い方、自身のスキルの生かし方を熟知した選手ですね。ただ、TJが何をやってこようと、私は準備を整えて臨みます。アウトボクシングをしてきたら距離を詰めるし、そうでなければそのときはまた適応を進めるつもりです。
ーードヘニーの愛称は“ザ・パワー”で、パンチングパワーは見た目以上にあるという話を聞きます。その点は警戒が必要ですか?
DR : このレベルまでくると、誰もが標準以上のパワーを備えているもの。言えるのは、TJが最高の状態で臨んでくることを想定して準備するということだけです。スピード、スキルもあり、ニックネームは“ザ・パワー”で、KO率も高い。ただ、リング上で彼のパワーに驚かされることはないとはっきり言えます。
日本でのサプライズは
ーー日本での2度のタイトル戦であなたは大きく飛躍しました。日本という国の印象は?
DR : 日本の人たちはとても礼儀正しく、そしてボクシングをよく理解していますね。アメリカでは試合に勝つと相手のファンに汚い言葉で罵られたりしますが、日本人は私にも敬意を払ってくれて、そのようなことはありませんでした。カルチャーが大きく違うことには驚かされました。素晴らしい人たちで、日本のことが大好きになりました。
ーーボクシングファンのそういった姿勢以外に驚いたことは?
DR : 街が綺麗だったことです。ゴミ箱をほとんど見かけず、みんながゴミを自宅に持ち帰ります。アメリカみたいにそこら中に投げ捨てたりはしません(笑)
ーーああ、それはわかります。私もニューヨークに長く住んでいますが、日本に帰ると最初はゴミを持ってウロウロしてしまいます。
DR : そう、ゴミを持って「ゴミ箱はどこだ?!」と。結局、自分のバッグにしまってホテルに持ち帰りました(笑)
ーー久保戦、松本亮(大橋)戦で印象に残っているのは?
DR : 久保は素晴らしいファイターでした。彼のことは高く評価していましたが、私は勝つつもりでリングに立ちました。試合前は彼のジムでトレーニングしたのですが、みんなとてもよくしてくれたことも覚えています。松本もパンチ力のある良い選手で、彼のジムで練習した際にも誰もが親切でした。これまでパンチャー、スピードのある選手、テクニシャンと様々なタイプと対戦してきて、その経験が松本戦でも役立ったと感じています。それは今回のドヘニー戦でも同じのはずです。
ーーもちろん今はドヘニー戦に集中しなければならない時ですが、スーパーバンタム級には他にも良い選手がいます。レイ・バルガス(メキシコ)、エマヌエル・ナバレッテ(メキシコ)、そして亀田和毅(協栄)選手もタイトルホルダーですね。
DR : 言われた通り、ドヘニー戦以降のことは今は考えるべきではないですが、いつかバルガス、あるいはナバレッテ対アイザック・ドグボエ(ガーナ)の勝者とも戦ってみたいと思っています。それらのファイトを勝ち抜けば階級最強と誰もが認めてくれるでしょうから。
ーー亀田選手の試合を見たことはありますか?
DR : WBC暫定王者ですよね?少し前の試合だと思いますが、見たことはあります。ボクサータイプの好選手です。間違いなく実力者です。
ーーボクサーとしての最終目標は階級最強として認められることですか?
DR : まずはTJに勝って統一王者になることが今の目標です。その後に他の王者たちにも勝って全団体の統一王者になりたいですね。さらにその先はバンタム級に下げてチャンピオンに挑むか、あるいは逆に階級を上げてフェザー級で戦うのも良いと思っています。
ーーあとどれくらいボクシングを続けたいと考えてますか?
DR : それは難しい質問ですね。私の身体が私に“もうここまでにしよう”と言うまでです。いつか私の身体の方が“ダニー、もうやめよう”と言うでしょう(笑)
ーーあなたは非常に聡明な印象ですが、ボクシングを辞めた後にやりたいことはあるんですか?
DR : ずっと警察官になりたかったんですよ。子供の頃からずっとです。ボクサーか警察官。何が起こるかはわかりませんが、それに挑めたら良いですね。
ーーなぜボクシングを選んだ、というか始めたんですか?
DR : 子供の頃にサッカーをプレーしていた際、乱闘が起こって、他の子供たちに殴られてしまったんです。その時は泣いて家に帰りました。父親、叔父、従兄弟はみんなボクシングをしていて、そこで叔父に「おまえも自分の身を守る術を学ばなきゃいけない」と言われ、ジムに通うことになったんです。無理やり連れて行かれたので、最初は嫌で仕方ありませんでした。しかし、少しずつ上達して、少しずつこのスポーツが好きになっていきました。そんな私が世界チャンピオンになって、統一戦まで行うことになったのだからわからないものですよね。
ーー今、小さい頃に痛めつけられた子供たちに言いたいことはありますか?(笑)
DR : いえいえ、ないですよ(笑)子供の頃の話です。子供は一緒に遊び、ケンカし、やり合った後にハグするものですから。私もそんな子供の一人だったんです。