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生産性を高めたければ、労働時間ではなく「業務」を削れ

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:ペイレスイメージズ/アフロ)

 GW明けの一週間、予想通り「もう辞めたい」とか「やる気がでない」といった声が続出している。

 いわゆる五月病とは、4月からの新しい環境に適応できないことで、学生や社会人らにあらわれる精神的な症状である。基本的に人は、放っておくとネガティブなことを考える傾向がある。4月中に生じた様々な出来事をGW中に思い返すことで、休み明けにはまたキツイ毎日が始まるのかと、気分が落ち込んでしまうのである。

 それゆえGWなどはないほうがよいと考える人もいるようだ。しかし、人には休みが必要である。とくに新しい環境に飛び込んだ人は、リフレッシュするための休暇がなければ、つぶれてしまう可能性がさらに高まるだろう。愚かなマネジメントはGW中の課題を出したり、社内イベントを入れたりするようだが、彼らは何のための休暇なのかを理解していないのである。

 よって問題は、長い休暇ではない。休暇の後に待ち受ける、つらい日々にある。つまり、GWがあるかどうかにかかわらず、与えられた業務が個人の精神を削ってしまうことが問題なのである。いったい日本人は、何のために働いているのか。我慢がまんの連続で、何が楽しくて生きているのか。

業務を削れ

 ピーター・ドラッカーは『マネジメント』のなかで、組織で働く従業員を幸せにできなかったら、組織の存在意義はないと言い切っている。

 仕事 work と労働 working の二つの観点から考えるとよい。「仕事を生産的なものにするうえで必要なものと、人をして成果をあげさせるうえで必要なものとはまったく異なる。人は、仕事の論理と労働の力学の双方に沿ってマネジメントしなければならない。働く者が成果に満足したとしても、仕事が生産的でなければ失敗である。逆に仕事が生産的であっても、働く者が成果をあげられなければ失敗である。」

 いくら労働効率を高めても、人が成果に向けて意欲をもてなければ、うまくはいかない。よって仕事は、人が満足することで生産性もまた上がるよう、設計しなければならない。あるいは、既存の仕事を設計し直さなければならない。

 またドラッカーは、何のために仕事があるのかを明確にしなければ、無駄な仕事を見事に設計する結果になりかねないとも言う。とりわけ組織においては、たんに過去から続いてきたというだけで存続している仕事が多い。それらの仕事はすでに役目を終えているのに、あたかも必要であるかのような顔をして、従業員の業務(=やるべきこと)に組み込まれている。従業員は、その仕事が生産的でないことを知っている。労働時間を圧迫していることも実感している。

 仕事に誇りを持ち、自らの意思で働くときにこそ、人は生産性を高める。たとえ単調な業務であっても、それは重要な業務なのだと納得できるときには、意欲をもって働くことができるからだ。ドラッカーは例えば、第二次世界大戦におけるアメリカの勝利は、働く者が自らの仕事の目的を知り、それに献身していたからだと述べている。「自動車のドアの蝶番の生産は、飛行機のコックピットのそれよりはドラマ性に欠ける。しかし自動車の蝶番の生産さえ、それが何であり何のためのものなのかを知るならば、仕事の意味と満足感が違ってくる。」

 人は、人生に意味をもちたいと感じているものだ。それゆえ、上から降ってくるばかりの業務、やらされ感あふれる業務に従事し続けていれば、仕事自体が嫌になってしまう。マネジメントは、従業員の満足につながらない業務を削り、意味のある業務、満足の得られる業務に専念できるように努めなければならない。

意思を発揮する仕事

 働き方改革が残業削減や効率化にばかり目を向けていれば、従業員が喜んで取り組む仕事まで削ってしまうことになる。それでは会社は、たんに生活費を稼ぐだけの場所になる。時間に追われてギスギスしてしまえば、組織は崩壊していくだろう。

味の素は、これまで段階的に進めてきた労働時間の短縮をやめたようだ。これ以上短縮すれば、一定の時間内に仕事を終えることにとらわれる社員が出てくるなどの弊害が生じかねない。今後は、どれだけ創造的な仕事に時間を割けるかを考える、とのことである。7時間15分の労働時間は維持し、そのなかで創造的な仕事、面白みの得られる仕事を増やすことができれば、仕事の満足度は向上する。

 漫画『刃牙』の第267話で、モハメド・アライJrは次のように述べた。「ひとは時に、トイレに行くことさえ面倒だと思う。しかし同じ人間がバケーションの為なら、何万キロも離れた海外へ旅行する。」重要なのは、目的へと向かう人間の意思である。意思を発揮する機会が仕事によって得られれば、自ずと人は、その仕事に意欲的に取り組むだろう。

 仕事とは、自分の人生そのものだ。多くの人は、生活のほとんどを仕事のために費やしている。それゆえ、やりたくない仕事、意味を見出せない業務は、生きていても仕方がない人生に直結するのである。だからこそ、ドラッカーは言う。マネジメントは権力をもたず、責任をもつのみである。よってマネジメントは、組織を生産的なものとし、働く人々を幸せにするための、権限をもつのである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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