米国民主主義の衰退と日本の民主主義の未発達
フーテン老人世直し録(551)
極月某日
12月8日、米国では大統領選挙の結果を受けて各州が選挙人を認定する期限を迎えた。すでにほぼすべての州で結果がそのまま認定されており、トランプ大統領が選挙結果を覆す可能性は小さくなった。
しかしその日もトランプ大統領は、「議会になるか、最高裁判所になるか分からないが、彼らが国民のだれもが正しいと思っていることを実行するか見てみよう」と述べ、議会か最高裁判所によって選挙結果は覆るべきとの考えを改めて表明した。
認定された選挙人が投票するのは来週の14日で、それが開票されるのは来年の1月6日だから、確かにそれまでは選挙結果が正式に確定したとは言えない。しかしこれまでは過半数の選挙人を獲得したと分かった時点で、獲得できなかった候補者が敗北宣言を行い、獲得した候補者が勝利宣言した。そのため正式の選挙手続きを報道する必要がなかった。
そしてそれは権力の平和的な移行を実現する民主主義の美点だと理解されてきた。選挙戦は戦いではあるが弁論による戦いであり、選挙結果は国民の判断であるから厳粛に受け止める。選挙が終わったら敵対関係に終止符を打ち、結果を覆そうとは考えない。暴力革命を肯定する共産主義と異なり、平和的な政権交代は民主主義の証と考えられた。
しかしトランプは「選挙に不正があった」と主張する。だが根拠は示さない。そして選挙結果を議会か最高裁に判断させようとする。州議会は全米99のうち61が共和党多数で民主党多数は37に過ぎない。連邦議会が正副大統領を決めることになればトランプが選ばれる。最高裁判事も9人のうち6人が保守派である。
しかし不正に根拠がなければ州議会も最高裁も動けない。選挙人が確定すれば連邦議会が正副大統領を決めることにもならない。フーテンはトランプが敗北を認めるのを遅らせ、その後の身の処し方で時間稼ぎをしているように見える。むしろ問題は民主主義の美点とされた平和的な権力交代に傷がつき、民主主義が衰退の方向に向かう気がすることだ。
古来、権力の交代には血で血を洗う暴力が付き物だった。平和的な話し合いで権力が変わることなどありえない。人間の性と言うべきか歴史が教えてくれるのはそうした事実である。その中で民主主義の元祖を自負する米国は平和的な権力交代を自慢してきた。
それが二大政党制による権力交代である。そして選挙人の過半数が決まった時点で、まだ選挙結果は確定していなくとも、敗者が敗北宣言を行うルールである。敗者はそこで新大統領に「協力」する姿勢を国民の前で表明する。それが米国民主主義の約束事だった。
それは初代大統領ジョージ・ワシントンや独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンら「建国の父たち」の遺産だと国民は教え込まされてきた。1989年に冷戦が終わり、ソ連共産主義に米国が勝利した時、米国民は民主主義の強さを確信して喜びに沸いた。しかしそれは長く続かなかった。
冷戦を終わらせた共和党ブッシュ政権から民主党クリントン政権に交代すると、まず核拡散の恐怖に直面する。ソ連崩壊はソ連が管理してきた核技術の流出を意味し、米国はソ連の核だけでなく、中東や北朝鮮を筆頭にテロ組織が持つかもしれない核と対峙せざるを得なくなる。
冷戦時代に日本経済の挑戦を受け、米国の製造業はボロボロにされたが、クリントン政権は製造業を見捨てIT革命を起こして情報と金融に力を入れた。また中国を世界市場に招き入れ、中国を世界の工場に育て上げた。ところがITバブルがはじけ、リーマン・ショックは米国を「百年に一度」と言われる深刻な不況に陥れる。
冷戦に勝利したはずの米国民主主義は、泥沼となった「テロとの戦い」と、格差拡大と貧困を招いた。それが政治の素人であるトランプを大統領に押し上げる。米国民は民主主義の理想より資本主義のビジネスの論理にすがろうとした。トランプは理想より実益、「タテマエ」より「ホンネ」を重視する。
するとリベラル派の代表格であるニューヨーク・タイムズ紙が昨年、米国の建国は英国との独立戦争によってではなく、奴隷が連れてこられた1619年であるという記事を掲載した。米国の黒人差別の根深さを指摘しようとしたとみられるが、これは「自虐史観」というべき歴史の歪曲である。
その影響を受け、今年コロナ禍の中で起きたBLM(黒人の命も大事)運動の中で、左翼過激派は独立宣言を書いたジェファーソンや奴隷解放を行ったリンカーンの銅像引き倒しまでやろうとした。かつて「建国の父」たちは聖人とされたが、歴史の書き換えがそれをも許さなくなっていた。
これはトランプから批判され、逆にトランプの再選戦略に利用される。こうなると米国の民主主義は左右双方から攻撃され今や息も絶え絶えである。もしトランプの言うように選挙結果が議会や最高裁によって覆れば、それを阻止する暴力運動が起こる可能性がある。南北戦争以来の内戦状態が到来するかもしれない。
一方で戦後の日本は米国から民主主義を教えられた。しかし日本には米国のような二大政党制も平和的政権交代もなかった。自民党と社会党による「二大政党制もどき」はあったが、内実はまるで異なる。社会党は政権交代を目指す政党ではなく、憲法9条を守れと国民に訴えるだけの政党であった。
なぜなら敗戦国の日本は米国によって占領され、独立後も事実上の占領体制は続く。米国が9条を押し付けたのは、日本が二度と米国に歯向かわないようにするためだが、冷戦が起こると米国はアジアの戦争は米兵でなく日本人にやらせようと考えた。再軍備を要求するが、吉田茂は憲法9条を盾に再軍備を拒んだ。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2020年12月
税込550円(記事6本)
2020年12月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。