核合意への道/イラン・アメリカ関係の軌跡(3)-ビル・クリントン
ラフサンジャーニーの対米関係改善の努力は、それでも続いた。イラン政府はワシントンで広告代理店と契約を結んでイランのイメージの改善に努め始めた。また1993年に発足したクリントン政権へのシグナルとして、イランの海底油田の開発利権をアメリカの石油会社に与えようとした。この会社とイラン政府との交渉は、アメリカ国務省にも伝えられており、両者の新しい関係への第一歩となるものと期待されていた。ところが突然にホワイト・ハウスが大統領令を発して、この契約を止めた。1995年3月のことであった。翌1996年の大統領選挙での再選を目指していたクリントンは、イランに甘いと共和党に攻められるのを警戒していた。そこで先手を打っての対イラン経済制裁の大統領令による発動であった。これで共和党もクリントンがイランに甘いとは批判できなくなった。しかし、アメリカ国務省が見守る中で進められたアメリカの石油企業とイランとの契約交渉はつぶれてしまった。国務省もラフサンジャーニーも面子を失った。
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