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永六輔さん追悼報道について、ピーコさんが指摘した気になるメディアの現実

篠田博之月刊『創』編集長
8月30日の永六輔さん「お別れ会」

8月30日、都内の青山斎場で永六輔さんを追悼する「六輔、永(なが)のお別れ会」が行われた。報道陣がものすごい数来ていたのには驚いたが、娘の麻理さんの「今日は笑ってお別れしましょう」という挨拶通り、黒柳徹子さんの弔辞など式場が笑いに包まれる楽しい会だった。テレビでも紹介されたので全体の様子は改めて報告するまでもないだろう。敢えてここに書いておきたいと思ったのは、このお別れ会もそうだし、この間の永さんの追悼報道で少し気になることがあったからだ。

お別れ会で永さんの友人の多くがスピーチの中で触れたのが、今の日本社会が永さんの望んでいなかった方向へ進んでいることへの危惧だった。永さんは、自らの戦争体験をもとに絶えず戦争に反対する意思を表明していた。お別れ会でも昨年永さんが書いたという詩がお孫さんによって朗読されたが、永さんの「死にはするが殺されはしない」という以前から語っていたフレーズが印象的だった。

気になるというのは、この間の永さんを追悼する報道の中でそういう永さんが危惧を表明した部分があまり触れられていないことだ。お別れ会の報道でも、友人の挨拶などでそういう部分を紹介したものは見かけなかった。どこを取り上げるかは編集権に属することではあるのだが、気になったのは8月20日の朝日新聞でピーコさんがこんな指摘をしていたことだ。

《だから、「戦争はいやだ」っていう話も、永さんや巨泉さんの口から出るとみんな聞いてくれる。昨年亡くなった野坂昭如さんと永さんのトークショーでも、そんなにすごい話はしてないんだけど、やっぱり心にしみる言葉を話してらしたし。そういう人たちがいなくなるのは、大きな財産を失っちゃったんだなと思う。私なんか、その人たちについて行っていればよかったわけですから。

NHKの追悼番組「永六輔さんが遺(のこ)したメッセージ」に出て、「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね。》(朝日新聞「ピーコさんが永六輔さんの追悼番組で言いたかったこと」)

http://www.asahi.com/articles/ASJ8D72S8J8DUCVL02L.html

永さんが戦争に反対していたことを語った一番大事な部分がばっさり落とされていて番組を見て力が抜けた、というのだ。ピーコさんが言及したのは、メディアの自粛が進んでいて、安倍政権が推し進めていることに反するような発言は、放送にあたってカットされてしまっているという現実だ。この記事が気になって、私は改めてそのピーコさんが出演したNHKの永さん追悼番組を見てみた。ただピーコさんのコメントの大事な部分を意識的に落としたのか、編集するなかでその大事な部分も結果的に落とされたものかはっきりわからない。

ただ、このピーコさんのように、見ていて「あれっ」と思うことを指摘するのは、今はすごく大事な気がする。というのも、これは現場の多くの人が言っているのだが、特にテレビの現場で自粛がとめどなく進行しており、政権批判ととられかねないような文脈に関わる部分については、局の上層部が神経過敏になっていろいろ口を出すので、現場がそれを忖度(そんたく)してあらかじめ落としてしまうという事態が進んでいるというのだ。それこそがまさに自粛とか自主規制と言われるものの怖いところなのだが、どこかから圧力がかかるわけでなくても現場がそれを忖度してあまり意識もせずに対処してしまうというわけだ。

例えば安倍政権になってから、憲法を守れというような集会には大学も自治体も、以前のように協賛しないし、会場も貸さなくなりつつあるのだが、これも具体的に圧力がかかっているというより、上の方を忖度した現場の自主規制によるものが大半だろう。つまり政権の意向に反するようなことをするとどんな目にあうかわからないので、やめておこうという意識だ。問題は、それが本来は権力批判が仕事であるはずの報道現場でも進行しつつあるという現状だ。報道機関の場合、特に深刻なのは、特定の事実を排除することが進んでいくと、その事実はなかったことになってしまう。

ピーコさんの発言は「クローズアップ現代+」の永さん追悼番組でも使われていたが、この番組は周知のようにこの春、国谷裕子さんをキャスターからはずし、放送時間を夜10時台という遅い時間に移行するというリニューアルを行った番組だ。その結果、何が生じているかといえば、視聴率については以前より落ちたらしい。ただこれは想定内で、早い時間だと高齢者がよく見ていたのが、放送時間を遅くしたことで寝てしまう人もいてその層の視聴が落ちる。その代りにこの番組における若い人の視聴比率は増えたという。そうやって夜の時間帯の編成をあれこれ工夫しているのは、この何年かのNHK全体の編成方針で、「クロ現」についてもそういう狙いがあったらしい。

ただもうひとつの、そしてこっちの方が意味の大きな狙いは、国谷さんという外部キャスターを局アナに変えることで、現場が上層部の意に反するようなことができないようにすることだろう。国谷さんのように一人で帯番組のキャスターを長年務めていると、当然、番組についての発言権も大きくなり、政権批判を自粛するといったことについては、国谷さんが自分の信念に従ってはねのけるという局面が今まで何度もあったという。籾井会長のもとで安倍政権寄りに大きく舵を切ったNHK上層部にとって、国谷さんが番組を仕切るという現実は、「やりにくい」と思えたのだろう。局アナであれば、上層部の意向が現場に貫徹しない心配はなくなるからだ。

実際、NHKの報道現場では、政権の意に沿わないようなテーマや素材が通りにくくなっており、7時のニュース、9時のニュースに続いて、このところ「クロ現」も、安倍政権に直接関わるようなテーマは通りにくくなったりしているという。集団的自衛権をめぐって菅官房長官とやりあうといった国谷さんの時代のようなことは期待できなくなりつつあるというわけだ。怖いのは前述したように、日常的にそういうことが続くと、現場のほうが最初から「これはあげてもどうせ通らないから」とあらかじめ自粛をしてしまうという現実だ。これはNHKだけでなく、他局でも同じようなことが進行していると言われる。

永さんを偲ぶコメントで、お別れ会会場では、日本の現状を永さんがどんなに憂えていたか言及する人が多かったのに、それがメディアでは取り上げられないという現実は、ピーコさんのケースのように「あれっ」と思った瞬間に口にしていくことが大切だ。もちろん局側は、ピーコさんの指摘に対して、そんなことはありませんと答えるだろうが、指摘されるだけで現場は意識する。

表紙に永さんのラジオ収録中の写真を載せた『創』9月号追悼特集
表紙に永さんのラジオ収録中の写真を載せた『創』9月号追悼特集

永さんについては『創』も連載対談でお世話になったので、発売中の9月号で追悼特集を組んでいるのだが、5年間の連載の中での永さんの言ったことをテーマ別に整理してまとめたのだが、やはり戦争反対ということは欠かすことはできなかった。そのくらい永さんの発言の中で、実際に体験した空襲の悲惨などの話は落とせない大きなウエイトを占めていた。ピーコさんも言っているように、戦争世代の言論人・文化人にとってそれは世代的共通性と言ってよい。永さんが他界したことが報道された7月11日が(実際に亡くなったのは7日)、奇しくも参院選で会見勢力が3分の2を占めたことが報じられたその日だったことは象徴的かもしれない。

永さんの追悼は、このお別れ会ほど大きなものでなくても、この間、いろいろな形でなされている。近いところでは9月8日(木)夜に、東中野のポレポレ坐で小室等さんがやっているコムロ寄席において永さんの追悼を行う。別に宣伝を頼まれたわけではなく、私も行く予定にしているから紹介するのだが、ポレポレ坐に聞いたらまだ残席があるという。予約も可能なので、永さんを一緒に追悼したい人は参加してはどうだろうか。会場で、前述した『創』の永さん追悼特集号も販売する予定だ。

http://za.polepoletimes.jp/news/2016/06/201698.html

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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