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私たちが「食品」と呼んでいる物の多くは、他の生物の死体である。

佐藤達夫食生活ジャーナリスト

■ヒトはあらゆる物を食べたはずだ

5月3日の原稿で「生鮮食品の機能性表示」について述べた。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/satotatsuo/20150503-00045361/

その中で

そもそも、生鮮食品は(多かれ少なかれ)必ず「機能性」あるいは「栄養性」を持っている。もっと正確にいえば、地球上に存在する数多くの生物の中でも、ヒトにとって「栄養性」あるいは「機能性」を持っている物を、私たちは「食品」と呼んでいるのである(このことは、またいつか別の機会に述べよう)。

としたが、今回はこれについて書きたい。

植物は光合成によって、水と炭酸ガスから炭水化物を合成する(光のエネルギーを化学エネルギーに変換する)ことができる。つまり植物は栄養素を生産する能力を持っている。

一方、動物は栄養素を作り出す能力を持ってはいない。そのため、動物は他の生物を食べることによって、栄養素を取得するしか生きる術がない。人類の科学がこんなに進歩しても(宇宙で生活することができるようになっても)、私たちは未だに「食品」を作り出すことができていない。私たちは栄養素を持っている他の生物を「食品」と呼んで食している。

ヒトは「食品の確保」に最大のエネルギーを費やしてきた。このこと(食品の確保の重要性)はヒトに限らず他の動物でも同じ条件なので、地球上の動物たちの「生存競争の歴史」は「食品争奪の歴史」といってもよかろう。

食品の争奪戦の結果、ヒトはつねに「飢餓状態」にあった。ときには、多少は食品が豊かな時代もあったかもしれない。しかしそんなときヒトは(ヒトに限らずすべての動物は)少しでも子孫を残そうと、子どもの数を増やしたに違いないので、その子たちが大きくなると、必ず、また飢餓状態に陥る。ヒトの歴史は飢餓の歴史でもある。

なので、ヒトは食品を確保するために、地球上のあらゆる生物を(ヒト以外の他の生物を)食べたはずだ。その中で、毒のある物はもちろん「食品」とはならない。また、栄養価値の低い物も「食品」とはなりにくい。食べ物争奪戦の地球では「栄養価値」の高い物を優先的に食べなければならない。もし、栄養価値の低い物を「主たる食品」にした動物がいたら、栄養不足で絶滅しただろう。

そのため、すべての「食品」はすべからく「栄養性」を持っている。同じ理屈で「機能性」をも持っている。

■地球上にある「元々食品」というのは「乳」と「果実」

ところで、先ほど「動物は他の生物を食べることによって、栄養素を取得するしか生きる術がない」と書いた。つまり、私たちの「食品」は「他の生物の体」である。もっとはっきりいうと(聞きたくないかもしれないが)私たちの食品は「他の生物の死体」である。

例外もある。

他の生物の死体ではない食品・・・それは「乳」と「果実」だ。たとえば、牛乳はウシのお母さんが子ウシのために作り出した「食品」である。他の生物の死体ではない。元々「食品」だ。

果実は、植物が自分の子孫=種子を遠くへ運んでもらうために、鳥や猿に食べてもらおうとして作り出した物、つまり、果実も元々「食品」である。

ときどき「牛乳はウシの食べ物なので人間が食べても役に立たない。食べないほうがいい」という人がいる。もし、その論理が正しいとすると、私たちには「食べる物」がなくなる。牛乳がウシの赤ちゃんのための食品であることは事実だが、少なくとも「他の生物の死体」よりは食品として優れている、と私は思う。

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食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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