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コロナ禍で激変する“美食の国・フランス”のレストラン事情

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
写真は「営業停止」以前のパリ市内。(写真:アフロ)

 フランスでは、COVID-19(以下「新型コロナ」と略)による感染者数や死者数が日本とは桁違いである。そのため、フランス国民は日本とは比べものにならないレベルの行動制限を受けている。たとえばパリでは現時点(2020年12月7日)で、基本的に外出禁止だし(証明書がなければ日中でも外出できない)、レストランは営業停止状態(営業できるのはテイクアウトだけ)が続いている。

 東京同様(それ以上?)に外食文化が発達しているパリで、レストランの営業停止は市民にどのような影響を与えているのだろうか?

 11月23日、東京・霞ヶ関で開催された食生活ジャーナリストの会シンポジウムで、パリ在住のジャーナリスト・関口涼子氏の報告があったのでレポートする。

■冷めてもおいしいフランス料理って?

 10月半ばの「夜間外出禁止」の段階では、パリのレストランは“ランチ イズ ザ ニューディナー”と称して、パリっ子特有の遅い時間からゆっくりと楽しむ夕食を断念し、早めに夕食を開始する、という食事スタイルを始めたらしい。どんな状況でもレストランで食事を楽しむというスタイルを崩さないところがすごい。

 しかし、10月末の「外出禁止」と「レストランの営業停止」に至っては、さすがのパリっ子もレストランに行くわけにはいかない。かといって、レストランの料理は楽しみたい。ということでデリバリー(テイクアウト)を利用することになった。

 日本でもデリバリー需要が増えた。これは筆者の推測だが、日本の場合はパリのように「レストラン料理を楽しみたい」という需要ではなく、「毎度毎度自分で調理をしたくない」という事情なのではあるまいか・・・・。

 それはさておき、東京とパリでは「デリバリー事情」が異なる。日本には昔から「仕出し文化」がある。一昔前は、一般家庭でも「出前」をとることが珍しくはなかった。そのためか、日本には「冷めてもおいしい料理」や弁当が発達してきた。一方、パリには「冷めてもおいしい料理」という食文化がない。そのため、この新型コロナの影響で登場したデリバリーも、日本のそれとは異なるようだ。

 まずは、たとえデリバリーであっても「温かい状態で食べてもらいたい」というシェフたちの強い願望があり、配達された料理をそのまま食べるのではなく、いったん温め直して食べるような工夫がなされていることが多いのだという。逆のとらえ方をすれば、冷めてもおいしく食べられる工夫がされてある日本料理は「素晴らしい食文化」といえるのではなかろうか。

 これを機にパリでも「冷めてもおいしいフランス料理」が開発されるかもしれない。

■レストランから地球を考える

 パリのレストランが始めたデリバリーは、ほかにも、日本とは異なる状況を生み出した。それは「料理だけではなく、デリバリー食文化全体を総合的に上質なものにしよう」という試みだ。美食の町・パリのデリバリーというと、なんとなく「おいしさ優先」という印象がある。もっとはっきりいえば「おいしさのためには手段を選ばない」というイメージさえ持つ。

 ところが、そんな(私の個人的)印象とは裏腹に、パリのレストランはコロナ禍をきっかけに「おいしさ以外」の特徴を打ち出すところが増えた。たとえば、店員を正社員にしたり、配達人の賃金を下げないようシステムを構築したり等々。また、デリバリー行動が使い捨ての容器を増やすことにつながらないようにと、鍋で配達したり、お客さんに容器を持参してもらったりするなどの工夫をこらしはじめた。

 つまり、料理のおいしさだけを「ウリ」にするのではなく、「従業員や配達員の利益もきちんと考えている」とか「環境のことにもしっかり配慮してある」ということを特徴とするレストランが増えてきたのだという。美食の町・パリというイメージからは、にわかには想像できないことではなかろうか。

 そして特筆すべきは、そういうレストランに消費者の支持が集まる傾向にあることだろう。料理の味以外にも配慮しているレストランが「勝ち組」として残る傾向が見られるらしい。この点は日本とはかなり異なるのではなかろうか。日本では、コロナ禍においても、「おいしい物をできるだけ安く」手に入れることに、消費者の要求が集中しているように感ずる。

■ようやく陽が当てられたセクハラ問題

 もう一つ、新型コロナがあぶり出した「美食の町・パリ」の問題点がある。それはパリのレストランのハラスメント環境だ。最近では多少の変化が見られるとはいえ、日本の料亭などには「古い体質」が残っている。調理場には「上司と部下」あるいは「経営者と使用人」という関係ではなく、「師匠と弟子」いう上下関係が存在しているところも少なくない。

 その事情は、意外にもというか当然にもというか、パリのレストランにも存在しているようだ。パリのレストランの経営者はもちろん、シェフやソムリエも、これまでは圧倒的に男性が多かった。そして古今東西を問わず、そういう職場には、ハラスメントとりわけセクシャルハラスメントが横行しがちである。

 コロナ禍で、レストランの客足が落ちることによって、レストランのあり方自体が社会の注目を浴びるようになってきた。今までは目の届きにくかったレストランの裏側に「光」が当たるようになったともいえる。

 何よりも、立場の弱かったレストランで働く女性たちが正々堂々と声を上げるようになった。フランスで最も権威のある新聞『ルモンド』の表紙に、いわゆる「顔出し」をして、レストランのセクハラを訴える女性が登場した。

 そして、フランスの「食ジャーナリズム」も変わり始めている。かつて、フランスの食ジャーナリストとは、主として「美食評論家」であった。しかしコロナ禍で、これらの「古いジャーナリスト」たちは活躍の場を失いつつある。単なる美食評論ではなく、前述した労働問題や環境問題をも語れる、さらにはセクハラ問題にも切り込めるジャーナリストが求められるようになった。

 関口氏は、「一見、関係がなさそうに見えるこれらの問題が、このコロナ禍によってあぶり出されることになったのではないか」と分析している。GoToキャンペーンの話題に明け暮れる日本の食ジャーナリズムがコロナ禍でどう変貌するのかという課題は、今回のシンポジウムが投じた一石だといえよう。

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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