【幕末こぼれ話】新選組の沖田総司は、美男ではなくヒラメのような顔だった?
新選組の沖田総司は、剣が強かっただけでなく、若くて美男だったというイメージがある。若いというのは、確かに27歳で没しているから疑いようのない事実だが、では美男であったというのは確かなのだろうか。
実は、史料の上では沖田が美男であったと記されたものはどこにもない。何も史料を厳しい目で見ているからではなく、当時のあらゆる記録のなかに、そう記されたものは一切ないのだ。
それどころか、実は沖田は魚のヒラメのような顔をしていたという衝撃的な証言が残されている。本当は美男なのか、それともヒラメなのか――。沖田の顔の真実を探ってみよう。
同時代人の貴重な証言
沖田総司は若くして死んだせいもあり、写真を一枚も残していない。ただ、沖田と実際に会ったことのある人物の証言が残されている。
新選組が京都で屯所にしていた壬生村の八木為三郎だ。
「沖田総司は、二十歳になったばかりぐらいで、私のところにいた人の中では一番若いのですが、丈の高い肩の張り上がった色の青黒い人でした」(子母沢寛『新選組始末記』所収)
ここには若くて背が高い沖田の外見が語られているが、為三郎の証言はここまでで、肝心の顔立ちについてはふれられていない。顔色が青黒い(?)ことまで語っていて、どんな顔をしていたかについても当然記憶があったはずであるから、談話がそこにふれていないのは大変残念なことである。
ちなみに同書で為三郎は、新選組のなかで土方歳三と原田左之助の二人については、美男であったとはっきり語っている。
まさかのヒラメ顔
そんななか、昭和48年(1973)3月になって大変貴重な証言が発表された。NHK教育テレビが「偶像の周辺」というシリーズで「新選組沖田総司」を放送し、番組のなかで佐藤昱(あきら)氏がこう語ったのだ。
「容貌についての言い伝えは、色の浅黒い、目の細い、私のじじい(佐藤俊宣)などは魚のヒラメみたいな顔をしていたと、こういっているんですがね」
佐藤俊宣は、土方歳三の甥で、当時沖田より7歳下の少年だった。その俊宣の孫が佐藤昱氏となる。つまり、沖田と当時交流のあった俊宣が、孫の昱氏に話した沖田の容貌が「ヒラメみたいな顔」であったというのである。
新選組の美男剣士といわれた沖田総司の顔がヒラメのようというのは、意外過ぎて言葉もないが、沖田を実際に見知った佐藤俊宣の証言ということならば、無視するわけにもいかない。孫の昱氏を通しての談話とはいえ、信憑性は十分あるといっていいだろう。
ところで、冒頭に掲げたのは、沖田家に伝わる総司の肖像画である。これ自体は総司そのものではなく、昭和4年(1929)に沖田家の子孫である沖田要氏をモデルにして描かれた総司の肖像だ。
したがって、この絵を沖田とみなす必要はまったくないのだが、ここでも沖田は少々ヒラメに似たような顔立ちに描かれている。これは単なる偶然なのかどうか――。もし偶然でないとすれば、沖田は本当にヒラメのような顔だったということになるのかもしれない。