フィリピン収容所の壮絶格差 「恋人の週末宿泊」「巨大ネズミのいる広場で就寝」 韓国人収容経験者語る
日本での強盗事件の司令役と報じられる「ルフィ」の存在により注目を集めるフィリピンのビクタン収容所。
そこは拘置所ではなく、あくまで犯罪容疑のかけられた外国人の収容所だ。
そこには「400人前後の外国人が収容されていて、厳しい格差と序列があった」と証言する人物がいる。
韓国人YouTuberのチョルボン氏だ。1972年生まれで、幼少期からテコンドーなどのスポーツに親しんだ。ソウル郊外で大規模なジムを運営していたが…事業の絶頂期に詐欺に遭ってしまう。これを取り返すべく、カジノに溺れてしまった。国内のカジノに出入り禁止となるや、東南アジアに「遠征」。人生で「一番華やかなはずの(本人)」30代を棒に振り、2016年からYouTuberとなった。現在は「チョルボンTV」の運営者としてギャンブル中毒を防止するための情報発信を続ける。
- エピソードが語られたYouTubeチャンネル「チョンボンTV」
2022年に「フィリピン編」のエピソードを複数回に分けて紹介した。そこで出てきたのが、現地で親しくしていた凶悪犯罪者「レジ氏」の話。かなりの犯罪を犯しており、フィリピン当局からむしろ「捕まえるのがめんどくさいから収容所に行け」と言われていたという。
当人がビクタン収容所での2017年頃のエピソードをチョルボン氏に事細かに話してくれたという。YouTube上でこれを公開している。
入所初日に韓国人ボスが彼女と…
ビクタン収容所には外国人ばかり約400人が収容されている。うち韓国人は常時80人から100人。収容者全体を10人のフィリピン人が監視しているという。
レジ氏が入所した当日に韓国人のボスクラスと出会った。裏社会でちょっと
した関係のあった人物だった。釜山出身だったので「釜山兄貴」と呼んだ。
他の収容者たちは鉄柵で囲まれた部屋に20人ずつ放り込まれ寝ていたが、釜山兄貴は違った。かなり広い、ベッドと扇風機付きの一人部屋。金を払えば、エアコンも入れてくれるという。「ここに泊まっていい」と言われた。
驚いたのは収容所内でフライドチキンが出てきたこと。さらに「ビールを持って来い」という話にもなった。ただ、新入りのレジ氏がより驚いたのは別の点だった。
「なんと、それを持ってきたのが韓国人の女性だった」
オッパ、アンニョンハセヨ(お兄さん、こんにちは)と話しかけてきた。
釜山兄貴に聞くと、レジ氏が裏社会にいた際の共通の知人の話が出てきた。「そいつの彼女だった」という。ふたりでフィリピンに来たが、彼は逮捕され韓国に戻った。
その後本人は現地に残ったが…生き残るために「釜山兄貴」と繋がりを持っていたのだ。このときは面会のために収容所に来ていたのだという。
- エピソードが語られたYouTubeチャンネル「チョンボンTV」
そうこうしているうちに「釜山兄貴」がレンジにこう話しかけてきた。
「彼女は面会に来て、2~3日泊まっていくけど、おまえは同部屋でもちょっと我慢してくれ」
そう言いながら、新入りのレンジ氏が滞在するためのベッドを子分たちに設置させた。
窓際だった。「これで日差しと涼しい風を浴びな」と。
レジ氏はこう回顧していたという。
「釜山兄貴がいなければ、他の外国人たちと硬い床の上で眠ることになったと思う」
さらに翌日から施設を観ていくと、ビリヤード台もあるし、食べ物もかなり自由に食べられる。韓国の拘置所とは違う「ビクタン・ビレッジ」みたいなもんだと思った。
80人ほどいた韓国人同士の結束は固く、元暴力団員もいて礼儀も守られていたという。レンジ氏も他の凶悪犯罪の容疑者と言葉を交わした。
「韓国になんか帰りたくねえよ。なんで帰るんだ? ここにはなんでもあるのに。金さえあれば不自由がない」
ボスになるために「やべえこいつ」と周囲に思わせた手段
もちろん、すべてがパラダイスでもなかった。敷地内のA棟とB棟の間での不仲があったのだという。釜山兄貴ですら「俺たちはA棟だから。B棟は関係ねぇ。台湾のやつらだな」と話していたという。
もうひとつ、そこでボス格になるためにはかなりの時間と苦労が必要、という点があった。釜山兄貴の壮絶な日々を知ったきっかけは、後日、兄貴の刑が確定となり逮捕された時のことだった。レンジ氏は、その物騒さに驚いた。
「武装した警察が20人やってきて、驚いた。え? 釜山兄貴はテロリストなの? と」
恩人が逮捕された後に、別の韓国人収容者に話を聞いた。刑の重さもさることながら、所内での立場があまりにも大きくなりすぎたがための処置だったという。
「釜山兄貴は、ここでボスの立場を得るために2度、自ら首を絞める行為をして『こいつはやべぇ』という点を印象付けたのだと。一度目は最初に入所したときに元々いたボスが気に入らず、最初に頭を下げなかったこと。これで仲間に入れなかった。『やってらんねぇ』と首を吊ったが、幸いに早く発見された。2度目はその不仲から周囲との抗争が起きた時に。収容者たちの前で首を絞め気絶。舌が飛び出る状態にまでなったが、この時もギリギリのところで救助されたという。その後、釜山兄貴に対して誰も口出しをしなくなったと聞いた」
壮絶な中国人収容者の様子「雨でも屋外で…」
いっぽう、レジ氏は「50人~100人単位で送られてくる中国人」の壮絶な環境を目にした。まずは時間的に収容者内でのボス格の座を得ることが難しかった。
「違法賭博で身柄を拘束された彼らは、フィリピンとの国家間条約により、すぐに自国に送還となっていた。しかし韓国人はそれが緩かった。だから長い期間いることができた。施設内での立場も作って行きやすかった」
いっぽう、レンジ氏も新入りの中国人が50人~100人単位でやってきて、過酷な環境で過ごしている光景を目にしたという。
「A棟とB棟の間にある運動場と呼ばれる広場に、薄い布団を敷いて寝るのです。雨が降ったらずぶ濡れで。しかもそこに…ネズミが大量にいる。それもフィリピンのネズミはバカでかくて、猫や犬ほどの大きさのものもいると思います。物音がして、パッとみたら巨大ネズミがさーっと通り過ぎるという環境で。その他にこぶし大の蚊のような昆虫も飛び交っているという…」
そこは内部は金さえあれば天国、という状況だったようだ。