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1980年のきょう 「モスクワ五輪での南北朝鮮統一チーム結成断念」 北からのラブコールを南が拒否

平昌五輪時の北朝鮮応援団。筆者撮影

1980年1月10日、モスクワ五輪への南北統一チーム(選手団)派遣交渉が決裂した。北朝鮮側の提案に対し、韓国体育会(体育協会)側が断りの書簡を送ったのだ。同日付の「東亜日報」などがこれを報じた。「1月9日に断りを入れた」とする資料もあるが、韓国政府「国史編纂委員会」の公式サイトは、国民に伝わった1月10日に定めている。

折しも年明けから、2022北京冬季五輪への北朝鮮の不参加が報じられている。当初、北朝鮮はIOCにのみ書簡を送り、その理由を「コロナと敵対勢力の策動」としているという。

大会開幕およそ40日前のこの報。韓国では「南北統一チーム結成の可能性がなくなった」とも伝えられた。2018年平昌五輪時もそうだった。大会直前となって、電撃的に女子アイスホッケーの南北統一チーム結成と同チームの試合への北朝鮮応援団の派遣が決まった。

平昌五輪での女子アイスホッケー南北統一チーム。筆者撮影
平昌五輪での女子アイスホッケー南北統一チーム。筆者撮影

それはあくまで「韓国側の提案に北朝鮮が応える」というものだった。実際に平昌五輪の際にも、まず先に文在寅大統領が北側に参加を呼び掛けている。

しかしかつては違った。

「北朝鮮の統一チーム結成提案に韓国側が渋い答えを続けていた」のだ。

このモスクワ五輪の際もそうだった。

1979年12月20日。

北朝鮮側から韓国側に書簡が届いた。差出人は「朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会委員長兼朝鮮体育指導議員会委員長キム・ユスン」。内容は「南側に友好を呼びかけた」として翌日の「労働新聞」にて公開された。

ソウル

大韓オリンピック委員会委員長兼 大韓体育会会長

パク・ジョンギュ貴下

こんな書き出しで始まる手紙には「これまで南北はスポーツの分野で統一チームを作れるよう努力してきたが、結実したことがない」「過去の対立を忘れ、第22回モスクワ五輪に統一チームで出場しよう」といった内容が記されていた。

1980年モスクワ五輪の様子
1980年モスクワ五輪の様子写真:山田真市/アフロ

さらに北側からのこんな熱いメッセージまで込められていた。

「朝鮮民主主義人民共和国オリンピック委員会と北朝鮮体育指導委員会は、1980年1月17日に平壌やソウル、または板門店で北と南の体育人代表者との会談を持つことを提案します。我々はこの協議がオリンピックに唯一(統一)チームで出場する問題の解決のみならず、体育分野で北と南の衝撃を取り除き、全面的な合作と交流を実現するにおいて重要な契機になるとも考えています」

自ら日付を決めて、平壌でもソウルでも中間地点でもいいから会おう、と。今ではちょっと想像がたい北の積極的姿勢。

南北統一チーム結成が論じられるのはこの時が初めてではなかった。2020年1月に韓国の北韓大学院博士課程でスポーツ南北統一チーム結成の歴史を論文にまとめたチェ・ジヌァン氏は「80年代までは北のほうが積極的で、韓国側があれこれと理由をつけて断っていた」とする。

1963年には翌年の東京(夏季)とインスブルック(冬季)での結成がスイスや香港で3度話し合われたが決裂。

1979年にはこのモスクワ五輪出場の話が出る前に、平壌で行われる世界卓球選手権へでの結成が3度板門店で話し合われたが、決裂した。

1974年までは北朝鮮の方が経済的に優位にあった。何より1980年のモスクワ五輪は「共産圏のホーム」だけに「余裕があった」という点は想像に難くない。

1980年モスクワ五輪の様子
1980年モスクワ五輪の様子写真:山田真市/アフロ

いっぽう、モスクワ五輪時の北側の提案に対する韓国の「及び腰」は韓国政府統一省の公式資料にもはっきりと記されている。

1979年12月26日。

モスクワ五輪での実現に前のめりの北朝鮮は、最初のメッセージから6日後にさらに「我々は27日に板門店に2人の連絡員を派遣する」と発表した。かなりの熱意。

しかし韓国側は現地に誰も派遣せず、当地勤務のスタッフを通じて北側からのメッセージを受け取っただけだった。

そして1月9日、南側は南北調整委員会の連絡官を通じ北側に断りの返事をする。

「お互い、かなりの信頼関係とスポーツ界の交流の実績がなければ統一チームの結成実現は不可能。7月のモスクワ五輪以降、南北間の全般的なスポーツ交流のために、南北スポーツ代表チーム結成の話し合いを持とう」

モスクワ五輪南北統一チームについては、ついぞ直接話し合われることすらなかったのだ。韓国側がはぐらかした。まるで今とは逆のスタンス。

板門店での連絡の様子
板門店での連絡の様子写真:代表撮影/ロイター/アフロ

これを翌10日、11日に「東亜日報」が報じたことにより、韓国国民にも知られることとなった。大会開幕7ヶ月前の北側の提案は、準備を進めるにも時間が無さすぎたか。いっぽうインターネットメディア「アジア経済」は平昌五輪前の2018年1月1日に国際舞台での南北統一チーム結成の歴史を報じ、このモスクワ五輪の際には「韓国はこの2ヶ月前に朴正煕前大統領が死亡したことにより、政局が混乱した時期でもあった」と評している。

その後、韓国はアメリカの不参加を受け、1980年モスクワ五輪自体への参加を見送った。この大会での南北統一チーム結成は「幻のまた幻」に終わったのだった。初の結成は1991年に千葉で行われた世界卓球選手権まで待たねばならなかった。

(了)

  • 1991年世界卓球選手権での南北選手の様子

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吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。フォローお願いします。https://follow.yahoo.co.jp/themes/08ed3ae29cae0d085319/

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