【コラム】今週末にCL決勝へ。韓国になぜ「ソン・フンミン」が生まれたのか。

CL準決勝でプレーするトッテナムのソン・フンミン(韓国)(写真:ロイター/アフロ)

いよいよこの週末に迫ったヨーロッパチャンピオンズリーグ(以下CL)決勝。

6度目の優勝を目指すリバプールと、初優勝を目指すトッテナム・ホットスパーの同国対決が、スペイン・マドリードの地で行われる(6月2日日曜日4時キックオフ=日本時間/以下)。

欧州サッカー最高峰の祭典、そして真剣勝負。徹底的に楽しむべきゲームだが、日本の立場から少し考えるべきポイントがある。

韓国人プレーヤー、ソン・フンミン(トッテナム)の存在だ。

おおすごいじゃないか。アジア人がその舞台に立つことが刺激になる。そう捉える向きもあるだろう。

いっぽうで、こういう感情が湧いてまた、然るべきだと思うのだ。

”日本ではなく韓国のプレーヤーがそこにいるのはちょっと複雑”

幾度も言われてきたことだ。この大会での日本人選手の最高峰は、ベスト4だ。奥寺康彦氏と内田篤人。それぞれ、1978-79年シーズンにケルン、2010-11年にシャルケで準決勝のピッチに立った。

いっぽう、韓国人プレーヤーが決勝のピッチに立つのは、ソンが(順調に2日のゲームに出場すれば)二人目ということになる。

08-09年のパク・チソンに次いでだ。パクはこのシーズンにマンチェスター・ユナイテッドの一員として、バルセロナとの決勝のピッチに立った。ゲームには0-2で敗れている。

つまりは、ソンが仮にピッチに立った上で優勝を果たしたのなら、アジア人プレーヤーで初ということになる。ちなみにパクは前々年にクラブが優勝を果たした06 -07年もマンUに在籍したが、このときは決戦の地モスクワまで帯同しながら、エントリー外の憂き目に遭っている。パクはこの痛恨の経験について「過去の自分をすべて捨て、やり直すと決心した」と自叙伝で明らかにしている。本人はもちろん、韓国国内でもかなりショッキングな出来事だった。

そんな歴史を経ての優勝、ということになればかなり大きなインパクトとなる。

分母の大きい日本、頂点を握る韓国

今回のソンの活躍、日韓比較の観点から言うと、再びこういった時代が訪れたということになる。

「欧州組の数では日本が韓国を上回るが、最高峰だけは韓国が占める」

パクの全盛期の05年から10年頃にも似た状態があった。

いっぽう、ソンがチャンピオンズリーグ決勝に出場する2018-19シーズン、欧州主要リーグでプレーする(5大リーグは2部も含む)日韓のプレーヤーは下記の通りだ。

日本:約40人

出典:日刊スポーツ

韓国:約25人

日本のほうが欧州ではるかに多い人数がプレーしている。しかしトップのところはあちらに「握られている」。

日本のように、海外組の層が厚いことがいいのか。はたまた、韓国のように突出したエースがいるのがよいのか。じつのところ、代表強化という点で考えると、まだ正解は出ていない。「どっちもどっち」だ。なぜならここまで繰り返してきたように、06年以降W杯本選での結果は似たようなものなのだから。

せっかくだから、このCL決勝の際にソンの存在を通してあれこれと考えてみよう。これが本稿の趣旨だ。

”教育”から考えてみる、日韓欧州組論

ではなぜ、韓国の方に突出した存在が生まれるのか。社会の1番大きな枠組みから考えると、教育の影響すらあるのではないかと見ている。

筆者自身がかつて教えを請うた、早稲田大学名誉教授で東洋史が専門の依田憙家氏の分類が興味深い。「日中両国近代化の比較研究序説」でアジアの教育の形態をこう分類している。

普及・能力向上型ーーーー日本

選抜・目的達成型ーーーー中国

前者は教育の目的が、決して学問を究めること自体になくとも、教育を社会全体に普及させ、かつ自分の職業に学力を役立てようという考え方。「寺子屋」がこの象徴だ。後者は学問が目的の人を選抜して、徹底的に鍛えようという考え方だ。

ここで論じられているのは、あくまで中国の話だ。いっぽうで同著では、中国の教育の目標が「選抜・目的達成型」となった背景に、かつての「科挙」の制度を挙げている。官僚の選抜試験で、これに合格するかどうかが、一家の重要な運命を握るものだ。これはかつて朝鮮半島でも中国式と同様のものが行われた。

つまりは、日韓比較でも引用できる考え方ではないかと見ている。よく、「韓国サッカーはエリート主義だ」と言われてきたが(最近はこれを改める努力が盛んだ)、この分類だとスポッとはまる。

09年頃、ソウルの名門校・東北(トンブク)高校サッカー部(くしくもソン・フンミンの出身校。そのほかホン・ミョンボなども卒業)の取材に訪れた際、監督がこんなことを言っていた。

「日本の高校生がかわいそうだし、不思議だよ。ほとんどの子がサッカーを職業にするわけじゃないのに、毎日時間を割いて、厳しい練習をやっているんだから」

ソン・フンミンもこの流れに当てはまる。

まず、父からの徹底した教育があった。ソン・ウンジョン氏(56)は若くして負傷によりサッカー選手としてのキャリアは絶たれたが、指導者の道を志す。ヨーロッパや南米の指導法を研究し続けたのだという。

その指導方針こそ「楽しみながらプレーする」というものだった。しかしソン・フンミンに対する父の方針は最初から「選抜・目的達成型」だったといえる。

なにせ自らチュンチョンFCという街クラブを作ってしまったのだ。その場で基本技術などの指導を受けた次男フンミンは、やがて有望な選手として注目を浴びるようになる。

高校はソウルの名門、東北(トンブク)高校に進んだ。そこでソン・フンミンは大きな決断を下す。

今年3月の親善試合で韓国代表としてプレーするソン・フンミン。大きな賭けの結果、今日がある。筆者撮影
今年3月の親善試合で韓国代表としてプレーするソン・フンミン。大きな賭けの結果、今日がある。筆者撮影

1年生だった08年8月、学校を中退するのだ。

行き先は、ドイツ。大韓サッカー協会が実施した留学制度を活用し、HSVに留学生として加わることを決めたのだ。後にJリーガーとなる、キム・ジョンピル(元北九州など/現慶南)、キム・ミンヒョク(元鳥栖/現全北)も一緒だった。中退してまで現地に行く時点でかなりの「目標達成型」だと言える。

ドイツでともに過ごした、キム・ジョンピルは当時をこう回想する。

「フンミンが一番凄かった点は、自信です。当時の3人ともに、当然ドイツでプロになる強い意思はありましたが、フンミンは自信が違った。そこには、彼のお父さんの影響が強くあったと思います。ドイツにいるときも、常に電話で『おまえはやれる』と繰り返していました。説得力があったと思いますよ。なにせお父さん自身が毎日8時ごろに寝て、明け方に起きてトレーニングをしてきた。いまでもお父さんは筋肉ムキムキですから。そこにフンミンも加わるしかなかったんです。両親が”やりなさい”というだけならサボれたでしょうが、一緒にやろうというんだから、やるしかない」

しかし留学生活は一年ほどでひとまず終わる。韓国に戻ったところで、09年の自国開催のU-17ワールドカップに出場した。当時の所属は正確には「なし」だった。1部では前所属の東北高校と表記していたようだが。

ソンは大会で30メートルのミドルシュートを含め、3ゴールを決める活躍を見せた。

帰国以前から話の出ていた、HSV下部組織への入団を現実のものにした。

その後、今日の活躍へと続くのだ。そこには明らかに、幼少期からリスクはあれど、人生の目標の一点に賭けるという「目標達成型」の考えが垣間見える。

移籍ルートにも、選抜・目標達成型の影が

もうひとつ、この韓国の「選抜・目標達成型」の考え方が感じられる点がある。海外移籍のルートについてだ。

韓国では欧州のリーグ文化を眺める時、根強い「イングランド・プレミアリーグ一強」という見方がある。日本では70年代はブンデスリーガ、80年代はセリエAに強く親しみを持った時代があり、現在も「プレミアとスペインが双璧」という雰囲気があるだろうが、韓国は違う。プレミアリーグが圧倒的な人気だ。

すると、ここにストレートに人材を送ろうとする時期があった。08年から10年頃だ。代表クラスだったチョ・ウォニ、キム・ドゥヒョン、イ・ドングらも挑んだが、成功を収めることができなかった。2011年には当時の有望株、チ・ドンウォンが欧州複数クラブからオファーを受けた。オランダのPSVとサンダーランド(イングランド)のうち、後者を選び、その後のキャリアでやや苦しんでいる。何が何でもプレミアリーグ。最高峰に向かうという目的を果たす。ソンも言葉を熟知するほどに馴染んだドイツの地を離れ、イングランド行きを選んだ。

そう考えるから、他国とのパイプが少し弱くなってしまった。昨年のロシアワールドカップ後に欧州移籍を果たした代表の主軸MFイ・ウォンジェの移籍先がドイツ2部のホルシュタイン・キールだった点がちょっとした問題になった。プレミアでなければ、ドイツ2部となってしまう。

そこのところは「普及・能力向上型」の日本とは少し違う考え方だろう。日本では多くの選手に多くの移籍ルートを作り、たとえ上手く行かなかったとしてもその経験を何らかのかたちで社会に還元してほしいと考える部分があるのではないか。

長くなった。せっかくのアジア人プレーヤーのCL決勝進出だ。あれこれと考えを張り巡らせてみよう。