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【コラム】日本人か外国人か。かなり斜めからの日本代表監督論~本田圭佑と”神”から説く~。

ロシアW杯では日本人監督の下で結果が出た。それでも「この先は必ず外国人監督で」!(写真:ロイター/アフロ)

日本人か、外国人か。

これを考えるよい機会なのではないか。26日に発表された日本代表新監督の答えは「日本人」の森保一だった。

なにせW杯初出場となった98年以降、ほぼ「外国人一択」の状況が続いてきた。今回初めてメディアを通じ日本人監督の選択肢が論じられたのだ。

筆者はここで「外国人派」から意見を言う。

ただし26日の就任会見を見る限り、今回ばかりは日本人監督たる森保一監督就任は「あり」だとも感じた。田嶋幸三会長、関塚隆技術委員長のプレゼンテーションの内容は、ごくざっくりいうと「日本人監督のもとで、日本スタイルを構築する」だった。これは一定時期においては絶対必要。

だから言いたいことは「この先、絶対に外国人監督を諦めるな」ということだ。

より細かくいうと「コミュニケーションを諦めるな。外国人監督とのそれを乗り越えてこそ、サッカーが日本社会のなかでの存在意義が増す」ということ。

かなり思い切った、斜めすぎる角度からの意見だ。だから新監督就任直後のストレートニュースが出尽くすのを待っていた。でも本気で言っているのでぜひともおつきあいを。

構造上の問題「ヒヤヒヤ状態」を抜け出すために

「日本サッカーの象徴たる日本代表では、外国人監督との難しいコミュニケーションを乗り越える構図を社会に発信しよう」

「それこそが日本社会でのサッカーの存在意義を高める」

この点が、「外国人派」から意見を言う理由だ。

日本サッカー界の構造上の問題を解決するための論でもある。

ロシアW杯で日本はベスト16に入った。結果としては「勝ち」だった。しかし、大会前はこういう状況だったのではないか。「今回ベスト16入りを逃したら、サッカーの関連業界は危機に陥る」。前例でいえば、2014年ブラジル大会の敗退後にはスポーツ誌のサッカー特集号の売上が大きく変わったという。

勝てばバブル、負ければ暗黒。そういう恐怖はないだろうか。ロシアW杯ポーランド戦後の渋谷にて
勝てばバブル、負ければ暗黒。そういう恐怖はないだろうか。ロシアW杯ポーランド戦後の渋谷にて

思えば我々はずっと、ヒヤヒヤ状態にある。

92年のアジアカップ優勝から、「サッカーで西洋に追いつき、追い越す」というロマンが現実のものとなってきた。でも常に「ここでダメなら、サッカーは終わる」という危機に晒されてきた。2002年、自国開催でダメだったらどうしよう。2010年、南アでは「2回連続グループリーグ敗退なら、国内サッカーは大打撃」。そこをギリギリのところでしのいできた。

勝った負けたを争う世界だ。そこにスリルとロマンがある。でも綱渡り状態からは脱出するのが望ましい。ロシアで「勝った」、よい状態の後だからこそちょっと先のことを考えてみようという話でもある。

競技者人口を増やす。そのための方案

そこのところは田嶋会長も82年から86年まで留学経験のあるドイツとは大きく事情が違う。今回のW杯でグループリーグ敗退を喫したからといって、サッカー人気自体が揺らいだという話は伝わってこない。つい先日開幕したブンデスリーガ3部のカイザースラウテルンー1860ミュンヘン戦には4万3000人の観衆が集まったという。

何が違うのか。競技者人口が違う。FIFA関連の2010年の資料によると、ドイツは1630万人(人口の約19.9%)で日本は480万人(同3.8%)。要は「プレーしている人が多ければ、各々が楽しむから、代表が勝った負けたに左右されない」。

”9部リーグ”のクラブにもユースチームがあり、観客を迎える環境がある。ケルンにて/筆者撮影
”9部リーグ”のクラブにもユースチームがあり、観客を迎える環境がある。ケルンにて/筆者撮影

ドイツの場合、それを支えるのはスポーツクラブのシステム網だ。約9万のクラブが存在し、約8150万人の人口の3分の1がそこに加盟して、サッカーを始めとした各種スポーツを楽しむ。

日本でこういった環境を整えるには、それこそ百年かかる。そもそも93年に発足したJリーグはこれを理想としたが、川淵三郎チェマン曰く「見切り発車」だったのだ。

サッカーを「西欧のしきたりを体得する習い事」に

競技者人口をどうやって増やすのか。この解決方法の提案も、本稿の核心ポイントだ。このためにも「日本代表監督=外国人のイメージ」が重要だ。

”サッカーとは、「西欧のしきたりを体得する習い事」として保護者や子どもに訴求しよう”

他のスポーツではなく、あるいは他の文化系の習い事ではなく、サッカーを選んでもらうこと。「サッカーをやって、いったい子どもに何が残るんですか?」、このプレゼンテーションをしっかりやっていこうという提案でもある。

多くのスポーツだと「体を鍛えること」「我慢強くなる」「集団生活を学ぶ」といったところか。バレエだと「立ち振舞のよさ」も学べる。芸術を楽しむ感性を伝えるものもあるし、論理的思考を子どもに残そうというものもあるのではないか。そのなかで子どもがやりたいこと、親がやってほしいことの折り合いをつけていく。

サッカーは何で勝負すべきか。

「西欧のしきたりが学べる」という点だ。

具体的にいうと「みんなの目的を考えながら、自分の意見をとことん言う」という点を教えること。

・ピッチの外では先輩を敬いなさい。でもピッチの中では関係ありません。

・主張を相手に伝わるようにしなければなりません。自分の特長を言えるようになろう。何がやりたいのか。

田嶋会長も後述する著書で「主張の重要性」を説く(26日都内での会見にて/筆者撮影)
田嶋会長も後述する著書で「主張の重要性」を説く(26日都内での会見にて/筆者撮影)

これは日本社会に伝統的に伝わってきた「指導者・保護者・先輩のいうことをとにかく聞こう」という点と相反するものだ。つまり、ピッチ上の常識(西欧式)とピッチ外の常識(日本式)のダブルスタンダードがあるという点を説くのだ。ラグビーでは「ノーサイド」といった独自の言葉があり、この種目をやる際にはしきたりを守らなければならない。これと似た発想だ。「サッカーとは最初から、そういうものなのですよ」と言ってしまうのだ。その際に「わがまま」と「公の目標(勝利)のための主張」の違いは徹底的に教える。

結局これは何かというと、「将来、”世界”を相手にビジネスなどの世界で競争する際に必要な考え方ですよ」と教えるのだ。保護者には「社会に出ると、学校で学んだこととは真逆でした」ということを少しでも減らせますよ、と。

本田圭佑と「神」の話

少し話が込み入った。なぜ主張することが「西欧式」なのか。

格好の説明事例がある。

本田圭佑だ。

本田は、今回のW杯で1ゴールを追加し、「アジア勢歴代最多得点」「唯一の3大会連続ゴール」を記録した存在となった。W杯に関してはもはやアジアでも最高級の実績を有する。彼は度々、こんな発言をしている。

「オレは神様はいると信じてる。今まで、オレが苦しんでいる時、必ず神様は後でご褒美をくれた」

「自分が絶対に成功するんだっていうことをね、自分に言い聞かせながら 自分の力を信じるってことですかね。そしたら必ず神様はね、それを見ているし、神様からのビックサプライズを期待してがんばるだけですよ」

神についての発言だ。本田個人の宗教的背景について詳細は知らない。いっぽう、これはくしくも日欧の社会の違いを記した名著「『世間』とは何か」などの著者、阿部謹也氏(歴史学者/ドイツ中世史)の言葉に近い。阿部氏は「個人」についての考え方の違いを説き、「西欧社会に大きな影響を与えてきたキリスト教の考え方」はこうだとしている。

「絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまった(ヨーロッパの)個人」(「世間とは何か」より)

これを阿部氏は神と直接つながる「他者へ譲り渡すことのできない尊厳をもっている個人」としている。

けっして「宗教教育」を行うのではない。日本が実体の明らかではない横のつながり”世間”の影響が大きいのに対し、西欧ではキリスト教の影響から「神と繋がっている自分は尊厳のあるもの」と考える。「本場欧州ではみんなそういうことを考えているんですよ」という点を示す。

つまりはこういうことだ。

本田圭佑を見て下さい。彼は時に突飛にも見える主張をするし、有言実行で難しいチャレンジもする。そのために批判もされる。でもそれは、自分が神と結ばれていると考えれば、周りなんて気にならないんですよ。神と繋がっていると思えば、プライドが持てるんです。意見が言える。

でもピッチ外での本田圭佑は違う姿が伝わってきます。先日は宇佐美貴史がロシアW杯時のポーランド戦後に「移動中にカラオケ大会を提案した」エピソードが出てきたでしょう? 

筆者も一度オランダ在籍時代にインタビューをしたことがあるが、「尖っているものの、ちゃんと相手の話を聞く」という印象だった。

そういうダブルスタンダードを知る子どもたちに育ててみませんか、と。

田嶋会長の著書から探る。本来は……!?

筆者もかつて著書「メッシと滅私」でこの「個人という存在の捉え方」の違いがサッカーに及ぼす影響を記した。結局、こういう考え方の国々が圧倒的な結果を残してきたのがサッカーの世界なのだ。過去のワールドカップ優勝国はすべてキリスト教国、4位まで見ても例外は02年のトルコ、韓国のみだ。

こうやって、”習い事として選択してもらう”という観点で観た場合、その象徴たる日本代表の監督は、外国人のほうが結局のところ発展性がある。西欧のしきたりを伝えるのに、代表の監督は外国人という方がはるかに説得力があるからだ。思っきり斜め、かつ大局的な観点からの意見だ。外国人監督とのコミュニケーション面での衝突こそ、最も貴重な経験値。そこをストーリーとして捉えよう。

日本人か、外国人か。26日の森保一監督の就任会見で登壇した日本サッカー協会田嶋幸三会長は、当然この質問が飛ぶと想定していただろう。会見の後半にこの質問が出ると、即座にこう答えている。

「日本人でなければいけないとかいうことではなく、日本人、外国人を問わず、今の代表チームに必要なのは森保監督(中略)やはり日本のことを熟知し、そして日本をリスペクトする人。もちろん国籍は問いません」

田嶋会長とて、「ハリルホジッチ元監督との衝突で、外国人監督は懲りた」とは決して見られたくはなかっただろう。なぜなら、07年の著書「『言語技術』が日本のサッカーを変える」でこう記しているからだ。

筆者撮影
筆者撮影

”ヨーロッパで活躍した中田英寿は、自分の考えを表現できた稀有な日本人選手でした。今後、中田のように世界に通用するサッカー選手をたくさん育てていくためには、自分の考えや意志を、自分のことばできちんと表現する力をつけることがどうしても必要になるでしょう”

つまり、衝突を厭わず、主張することは不可欠だと。

今回のロシアW杯のベスト16入りで、国内サッカーシーンはほんのしばらくは”良い時”を過ごせるだろう。だからこそ、少し余裕をもって将来のことを考えられる。W杯の勝ち負けに怯える状態から抜け出す思考を。今がいいが、決して外国人監督路線を諦めるなと。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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