引退の理由「試合後の回復に4日間」

一部の韓国メディアは前日の時点で把握していた。最後の所属チームとなったオランダPSVアイントフォーフェンの地元メディアは1ヶ月ほど前から引退説を報じていた。それでも「突然の引退」との印象は否めなかった。

5月14日、元韓国代表でマンチェスター・ユナイテッドなどで活躍したパク・チソンが引退を発表した。33歳での惜しまれる幕引きだった。

ソウル郊外のスーウォン市に自らが設立したサッカースクールのピッチでの会見。両親が同席したその場で、パクは決断の理由をこう口にした。

「膝の負傷の状態が思わしくなく、来シーズンはチームの力になれないと判断した」

右ひざの負傷は「試合後4日ほど休まないと回復しない」(パク本人)というほど深刻だった。03年3月、最初のPSV在籍時に右ひざの軟骨盤除去手術を受けた。マンチェスター・ユナイテッド在籍時の07年4月には同箇所の軟骨再生施術に踏み切った。この時点で韓国の専門家筋ではやや早い時期の引退は予見されていたという。実際に30歳で韓国代表を引退した際も、「アジアとの欧州の往復に体(膝)が耐えられない」と発表した。2010年10月の日韓戦(@ソウル)も韓国に帰国しながら膝の負傷のため前日に出場が取りやめとなった。

2012-13シーズン、マンチェスター・ユナイテッドを離れ、QPRと3年契約を結んだ。パクの父ソンジョン氏はこの3年をまっとうしての引退を勧めたが、本人のコンディション難は深刻だった。キャリア晩年はPSVにレンタル移籍。スポーツソウルは「QPR側が来シーズンはなんとしてでも戻ってくるべきとのスタンスだった。これをパク本人が好まなかったことも引退が早まった理由の一つでは」と推測している。

日本とのつながり

プロのキャリアを京都サンガ(00年シーズン)からスタートしたことはよく知られるところだ。筆者はこの頃を含め、アイントフォーフェン、マンチェスターで計5回インタビューする機会に恵まれた。2010年には本人の自叙伝「名もなき挑戦(邦題)」の日本語訳も担った。

現在でも日本語はかなり堪能だ。シャイな性格のため、韓国語では口数が少ないが日本語で話を聞いたとたん口数が増える。外国語となると少し力が入るのだろう。04年、アイントフォーフェンで会った際には日本語でこんなことを聞かれてハッとした。

「山瀬(功治)、どうしてるの? あいつはホントに上手かったんだよね」

当時まだフル代表には手の届いていなかった同い年の選手のことを気にかけているのだった。それくらいに日本のことをしっかり見ていたんだな、と思わされた。

2005年にマンチェスターでインタビューした際には、「京都の様子は、日本の人と接する機会があるたびに聞きだしている」と口にしていた。また自叙伝には日本時代の思い出として、三浦カズとのエピソードを記している。

「デビュー戦の前、ガチガチに緊張していたら『大丈夫だから』と声をかけてくれた。こんなハナタレ小僧に……おかげでスッと気が抜けて、試合に臨めた。このデビュー戦がなかったら、後の自分はなかったと思う」

2012年の夏、マンU退団直前にも話を聞く機会があった。香川真司の加入が決定した直後でもあったこの時、テレビの取材を通じて再び日本語で話を聞いた。

――マンチェスターのおススメスポットは?

日本語でこんな返事が。

「うーん、鉄板焼きやさんかな。でも日本ほどはおいしくないよ」

QPRへの移籍が発表になる直前のこと。香川との共存についても「嬉しいよ。だって東アジアの選手が二人もいるんだもん」と口にしていたが……

試合会場でのこのやりとりは韓国のテレビカメラにも捉えられ、「さすがパク・チソン。日本語も流暢」と紹介されていた。

いまでも、パクと初めて会った日のことを思い出す。2000年の秋、首都圏のロビーでの韓国サッカー専門誌の取材にコーディネーターとして立ち会った。ホン・ミョンボらが他のクラブでバリバリ活躍していたころだ。なんでも「最年少コリアンJリーガー」だという。20歳そこいらのおかっぱ頭の青年が現れた。筆者はインタビューの終わった後、こう話しかけた。「おい、おまえ何歳だ? 二十歳? 死ぬ気で日本語やれよ。おまえの歳だとまだ遅くはないから」。今考えると、ゾッとする。

あれから14年。今季のJリーグには約55人の韓国人選手が在籍している。その多くは名もなき若手選手だ。海外生活の最初の経験の場として日本を選ぶ。韓国よりも緻密な戦術、技術の正確性を学び、よりプレーヤーとして成長し、欧州進出の機会を伺う。

アジア選手の登竜門としてのJリーグ。つまりこれは、パク・チソンが最初に歩んだ道のりだ。現在の週末のスタジアムにも、韓国の英雄がJリーグに残した足跡が見て取れるのだ。

Jリーグ時代の親しい関係者や、2010年当時のマネージャーの話を総合すると、一時期は「現役の最後を日本で」という希望もなかったわけではないという。韓国であれ日本であれ、もう一度東アジアの地でのプレーが見てみたかった。少し休みをとった後、今後の進路が発表される見通しだ。

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プロでの成績

■京都サンガ (2000.06~2002.12 /85試合 12ゴール)

■PSV アイントフォーフェン(2002.12~2005.06 /92試合 11ゴール)

■マンチェスター・ユナイテッド

(2005.07~2012.07/ 205試合 27ゴール)

■クイーンズ・パーク・レンジャース(2012.07~2014.06 / 途中PSVアイントフォーフェンにレンタル移籍。両チームで 32試合 2ゴール)

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