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キム・ヨナの「銀」を韓国はどうみたか

2月21日の韓国各紙一面。キム・ヨナへの感謝を伝える内容が大多数だった

「ありがとう」の見出しが多数

キム・ヨナが出場する最後のオリンピックを韓国はどう見るのか。

そんなテーマを持ち、20日のショートプログラム前から韓国入りした。メディアの報道、現地の声を聞きつつ、様子を眺めてきた。

最終的な結果は周知の通り、ロシアのアデリナ・ソトニコワに次ぐ2位。銀メダル獲得だった。

直後のメディア報道が興味深かった。翌朝、各局のニュースバラエティでは「判定問題」を繰り返し強調していた。地上波のSBSでは「12年前のソルトレークシティ五輪で起きた判定不正問題に近い状況。提訴も考えられる」という発言まで飛び出した。筆者個人のSNSには韓国の友人による判定に対する不満が多くポストされた。

反面、新聞媒体はトップでは不満を報じなかった。ほぼ全紙が一面トップで似た内容を伝えたのだ。

″アディオス・ヨナ(スペイン語で゛サヨナラ=フリー演技で選択した楽曲「アディオス・ノニーノ」から)″

「東亜日報」

″ありがとう ヨナ"

「スポーツ京郷」

″グッバイ フィギュアクイーン” …あなたがいて幸せだった″

「毎日経済」

他紙もほぼヨナへの感謝、惜別を伝える内容をトップで報じた。

この数日間の動向を見ていても、「日本で想像していたより冷静」といった印象があった。

モチベーションがうまく保てなかった

当のキム・ヨナは競技の全日程を終えた後、ミックスゾーンではこんな話を続けている。

「演技が終わり、さまざまな気分が交差した。さっぱりしたという思いが一番大きかった」

実際に今回のソチ五輪は「悲壮感が漂う重圧感のなか、金メダルが宿命づけられている」といったものではなかった。ヨナ自身の心情も、またメディアやファンのプレッシャーも前回バンクーバーほど大きいものではなかった。前回は「同国フィギュア史上初の金メダル」「日韓対決」といった重圧がかかっていたが、今回は少し違う戦いという面があった。

キム・ヨナはまた、同日の取材でこうも話している。

「2010年バンクーバー大会の時が自分の全盛期。似た状態を作ろうと努力した」

「オリンピックの金メダルだったら命でも懸けられたバンクーバーの時とは違い、今回は決まった目標がない点が一番苦しいところだった。切実さと目標意識がなくトレーニングでのモチベーションがうまく保てなかった」

「オリンピックの準備段階から体力的、心理的な限界に打ち勝とうとした。だから自分の今回のパフォーマンスについては100点満点の120点をあげたい」

「本当に苦しかった。最後まで倒れずにやれたことが嬉しい」

21日のパフォーマンスを終えた直後から、そこまでの苦しかった心情を認めた。大会前にも報じられた「脚の状況が悪く、長い時間直立することも苦しい」という話を裏付けるような内容だった。

17番目の「運」

いっぽうで、メディア側もこんな見たてをしていた。19日、現地有力スポーツ紙の記者からこんな話を聞いた。

「優勝争いはキム・ヨナ、リプニツカヤ、浅田真央の三つ巴。キム・ヨナはノーミスなら連覇が可能だと思うが、一つでもミスをすればリプニツカヤがメダルを獲るだろう。それほどにホーム選手への判定は考慮すべきポイント」

韓国国内の雰囲気も「ヨナの登場前に話題多数」といったところだった。最大の話題は韓国からロシアに国籍を替え、ショートトラックで金メダルを獲得したビクトル・アン(韓国名アン・ヒョンス)について。これと関連して、「韓国内での学閥争いに問題があり国籍変更せざるを得なかった」として朴槿惠大統領が大韓スケート連盟への調査を指示した。そのアンの活躍に取って代わられるように、自国スピードスケート陣の不振が続いた。五輪以外では3年ぶりの南北離散家族の再会が実現する話題もあった。観戦する側、報道する側にとっても「待ちに待ったソチ五輪大トリ登場」という展開ではなかった。

いっぽうでヨナはソチに到着後、メディアにこんな話をしている。

「フィギュアという種目の結果は、当日の運にもよるところが多い。なので私は準備をするだけです」

20日のショートプログラムの「17番目」という順番がその「運命」ではなかったか。首位には立ったものの、ヨナ自身が「思ったよりは点数が伸びなかった」と認めている。

韓国メディアでは″後半にいくほど採点がよくなる傾向がある″とも分析されていた。またリンクコンディションもやや不利とも報じられた。競技の休み時間に行われる製氷後、3人が滑った後に出場しなければならない状況だったからだ。

これらメディアの分析についてヨナは詳しい言及はしなかったものの、「当日の運」について感じるところがあった点は認めている。

「(ショートプログラムの前)ウォーミングアップの時、脚が動かなかった。だから直前の練習でもしっかり飛べなかったし、試合に入る前まで自信もなかった。でも″これまでの練習といったい何が違う?″と自分に言い聞かせてリンクに入った」

大会前まで、国内メディアの単独インタビューに一切応じず、すべて共同会見で言葉を発してきたキム・ヨナが、ソチに入ると細かい心情を語り始めた。最後の舞台への決意からか、意外なほどに多くの言葉を発した。銀メダルという結果について「結果なんだから、受け入れる以外の方法はありませんね」と言い切っている。

ヨナ本人が気持ちを正直に語り、納得しているのだから、みんな納得しよう。「国民の妹 キム・ヨナ」のラストパフォーマンスに対し、そう言い聞かせているようにも見えた。

=最終訂正 2014年02月27日 7時44分

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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