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近江が「三本の矢+α」で優勝候補の智弁和歌山にミラクル勝利! 

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「150点。もうちょっとできるはずやのに……ということが多かった甲子園で、ここまで力を発揮できたのは正直、初めてです。監督としては、すべてにおいて高嶋(仁)先生が上。まさか勝てるとは……選手たちがやってくれたミラクルですね」

 近江・多賀章仁監督。昨秋の近畿大会では0対5で完敗している智弁和歌山相手の会心の試合運びに、饒舌が止まらない。

「この暑い夏。投手一人では勝てません」

 と多賀監督がいう近江は、もともと継投で滋賀大会を勝ち上がってきた。おもに左腕・林優樹が先発し、一人の投手をはさんで背番号1の金城登耶が抑えという勝ちパターンだったが、

「高嶋先生は左投手対策でくるはず」

 と読み、右サイドハンドの松岡裕樹を先発させた。制球にやや不安があるため、多賀監督曰く「ある種の賭け」だったが、松岡は初回、1死二塁のピンチでプロ注目のスラッガー・林晃汰を三振に取るなど奮投。2回には適時打とスクイズで2点を与えたが、痛打されたわけじゃなかった。そして3回から登板した林が無失点に抑える間に、4回には北村恵吾の2ランで追いつき、5回には山田竜明のソロと、一発攻勢で逆転した。ただ、相手は強打の智弁打線。こうなると、継投のタイミングがむずかしい。

 その決断は6回だ。死球、ヒットの無死一、二塁のピンチ。捕手の有馬誠が持ち前の強肩で二走をけん制で刺したが、林はその打者に四球を与えてしまう。

「せっかく1死一塁にしたのにまた四球。そこで林はいっぱいいっぱいだと思い切れました」と佐合大輔へのスイッチだ。するとその佐合が、滋賀大会4試合13回を投げて21三振の2失点という好調ぶりをアピールする。140キロ超の直球をきっちりと低めに制球して6回のピンチを断つと、打者9人に3安打されながら4三振で8回までを無失点で締めたのだ。そして8回、北村にこの日2本目の2ランが飛び出すなど、リードを5点に広げた9回には、エース左腕・金城の登板だ。

「三本の矢」当時よりも力はあります

 通常は、3人の継投が基本。ただ「智弁さんが相手だったから」(多賀監督)と、サイドの松岡から始まり左、右、左とひんぱんに目先を変えた。その金城も、最終回の智弁の反撃を1点でしのぎ7対3、「とくにクリーンアップが対応できなかった」と高嶋監督を嘆かせる、近江会心の勝利となったわけだ。

 近江といえば2001年の夏、滋賀県勢として初めて決勝まで進んだチームだ。竹内和也(元西武)、島脇信也(元オリックス)、清水信之介という3人の継投が勝ちパターン。多賀監督は当時、

「それぞれ完投能力はありますが、抜きん出た力はなく、一人で1試合を抑えるのはむずかしい。なんとか勝たせてあげたいと考えたのが継投策です。ピッチャーは終盤に力が落ちてくるのに対し、打者は慣れてきますが、3人でリレーして力を合わせれば、9回でもなんとかなる」

 と語っていたものだ。これが戦国大名・毛利元就の「三矢の教え」にたとえられ、甲子園の5試合では先発の竹内が21回、中継ぎの島脇が17回3分の1、抑えの清水が5回3分の2を投げている。ただ、と多賀監督。

「当時の投手陣より、いまのチームは間違いなく上です。継投する投手の力が、前の投手と遜色ないんですから。ウチの持ち味は投手力、といってもいいくらいです」

 準優勝した01年より+αの投手力で初戦を突破した近江。4人の継投について、「三本の矢」に変わるキャッチフレーズがほしいところだなあ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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