「聞き間違い」が多すぎる人は、自分で治すことができるのか?
歌を聴いていて「聞き間違い」をすることはよくあります。英語の歌詞なのに日本語に聞こえてしまう「空耳」などがよい例です。しかし一般的な会話でも、聞き間違いはあります。
「この商談のため、課長とアプローチに行ってくれないかな」
「え?丸の内に行くんですか?」
「何言ってんだよ、アプローチだよ、アプローチ!」
「ああ、すみません。丸の内かと思いました」
「おいおい、普通、そんな聞き間違いするか~」
この会話の例のように、ほとんどのケースは、笑って済ませられることです。ところが、あまりに「聞き間違い」ばかりする人がいます。「空耳の達人」と言うか、よくそんな風に聞き間違えることができるな! と感心したくなることがよくあります。
「どうやったら、その人に幸福をもたらすことができるか、それを考えなくちゃいけない」
「交付金? 復興交付金とか、ですか?」
「私がここまで言ってもわからないのなら、ご自分たちでもう少し考えられたらよろしいんじゃないでしょうか」
「54ページ、ですか? 何の54ページに書いてあるんですか?」
「もっと他の人の意見も聞いたほうがいい。私たちだけで議論してもダメだ。会議に第三者を入れてくれ」
「かしこまりました。大賛成の人を探してきます」
遠くいる人に話しかけられたり、騒がしい場所で電話していたりすると、相手の声を聞きとるのは大変です。そのために「聞き間違い」をしてしまうことは誰にでもあること。しかし、目の前で会話しているにもかかわらず、しょっちゅう「聞き間違い」をする人がいます。ポイントは、「聞き間違い」されたことを話し手が認識できているかどうか、。もしも認識できていないのであれば、困ったことになります。
「劇団がデパートについたら、私に教えてくれないかな」
「かしこまりました。劇団のレパートリーについて、わかったらお伝えします」
「よろしく頼むよ。だいたい何時ぐらいに着くのかな?」
「レパートリーが、ですか? そうですね……。夜には、何とかなると思いますが」
「え? 夜、デパートに? ……そうか、けっこう遅いな」
「もう少し早めにできないか、聞いてみましょうか」
「頼むよ。夕方の4時までに来てもらえないとリハーサルができない」
「わかりました。夕方4時までには、レパートリーを教えてもらえるようにします」
「頼む。夕方4時までにはデパートに来るよう、言ってくれ」
このように、話が噛み合わないまま会話が成立していきます。双方が「聞き間違い」をしているため、問題に気付くことができません。まるでアンジャッシュの「勘違いコント」を観ているような感じになります。
頻繁に「聞き間違い」をする人は「癖」になっている場合があります。おそらくそのことで周囲の人に失笑されたり、たまにトラブルに発展することがあるでしょう。しかし、改善しようと努力する気がない人は「聞き間違い」を減らすことは難しいでしょう。
いわゆる「方向音痴」と同じです。地図を読めない人はいますが、問題だと自覚をしているのであれば、人一倍努力をして「方向音痴」を治します。しかし「方向音痴ぐらい、どうってことない」と受け止めている人は、なかなか治りません。つまり意識の問題だ、ということです。
病気や障がいをお持ちならともかく、単に「聞き間違い」が多いというのであれば、本人の意識の問題です。人よりも注意力が足りない、と自覚すれば、他人よりも努力して注意を向けようとすれば治っていきます。実のところ私自身も10代のころは「聞き間違い」がひどかったのです。レストランのホールでアルバイトしていたときに、調理師から激しく怒られ続けました。オーダーミスを連発していたから当然です。
当時はそれほど問題意識を持ってなかったのですが、ある事件をきっかけに、このままでは人間関係を崩し兼ねない、と私は思いたちました。そして、他人の話を聞くときは強く意識を向けなければならない、と思うようになったのです。今から思えば当たり前のことですが、その当たり前のことが十代のころはできていなかったのです。
雑談のときならともかく、ビジネス現場でも頻繁に「聞き間違い」をする人は、一度自分自身を振り返ったほうがよいかもしれません。