他人に「誤解」される2つのメカニズムと2つの対策
自分がよかれと思ってやったこと、発言したことが誰かに誤解され、とても嫌な気持ちをした覚えはありませんか。とりわけ他人の濡れ衣を着せられたりすると、何とかしてその誤解を解きたいという気持ちになるものです。そもそも「誤解」とは、どのようにして引き起こされるのでしょうか。今回はその誤解のメカニズムについて考えていきましょう。
人は感覚器官を使って外部情報を「認知」しています。そして感覚器官は「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」の大きく5つに分解されます。要するに「五感」です。当然、その「認知」の程度には個人差があり、同じ部屋にいても「暑い」と感じる人もいれば「それほどでもない」と感じる人もいます。ある食材を「美味しい」と感じる人もいれば「イマイチ」と受け止める人がいます。それと同じように、ある人の発言を「痛快」に思う人もいれば、「不快感」を覚える人もいるのです。
「誤解」とは、こちらの意図したとおりの受け止め方をされなかったということです。そして不快に感じる「誤解」とは、期待を下回るどころか、想定外の誤解をされたケースで起こりやすいと言えるでしょう。
(私は課長の意見に賛成するつもりで発言したのに、何だか誤解されている気がする。あの発言から口をきいてもらえなくなった……)
(昨日、フェイスブックに書いたことに対し、ある人から変なコメントをもらった。どうして誤解されたんだろう……)
誤解には「認知」と密接なかかわりがあります。「誤解」のメカニズムを知るうえでは、以下の2つの事柄を押さえておきましょう。
●「選択的認知」
●「認知バイアス」
「選択的認知」は、「▲○□□▲▲■▲○■○○▲▲■」だと言っているのに、「▲▲▲■▲■▲▲■」と知覚されていることです。「○」や「□」といった特定の情報が省略されて認知されています。「10」話しても、「5」とか「6」しか認知されないことを「選択的認知」と呼びます。都合のいいことだけを選択して認知するとも言われます。
「この前、マーケティングのセミナーを受講しましたが、ほとんどは前から知っていることばかりでしたよ」
「本当か? ネットマーケティングとリアル営業との親和性については新しい可能性を感じたが」
「え、そんな話、ありましたっけ?」
「あったよ。というか、そこが今回のセミナーの一番のポイントだろうが」
「話を聞いていない」のではなく「無意識のうちに認知しない」のです。したがって指摘されると本人は無邪気に驚きます。また、選択的認知が働いていることを確認できる場合はいいですが、そうでないと「誤解」されていることを発見することができません。
「この本、全然おもしろくなかったですよ。役立つことがほとんど書かれていない」
「A社のプレゼンは、ピントがずれている気がした。当社のニーズをまるで掴んでいないんだ」
本当は役立つことが書かれた本なのに、本当はピントの合ったプレゼンであったはずなのに、受け手に「選択的認知」が起こると、情報を省略して認知してしまいます。
いっぽう「認知バイアス」は思考のねじれです。「▲○□□▲▲■▲○■○○▲▲■」だと言っているのに、相手は「×○□×▲▲■×××○○▲▲■」と受け止めます。先入観・思い込みが介在し、歪曲して解釈するため、いつの間にか別の情報が含まれています。
「課長って私のこと、嫌いなのだと思っていました」
「え、君を? どうして」
「だって、いつも××とか、○○とか言うじゃないですか」
「そんなこと言った覚えがないよ」
「えー! 言ってるのと同じじゃないですか」
「言ってるのと同じって、どういうこと?」
情報を捻じ曲げて解釈することは誰にでもあります。しかしのその「幅」が大きすぎたり、「方向」が思わぬところへ向かっていると、問題が発生します。「選択的認知」も「認知バイアス」も、人の認知能力に強く影響を受けるもの。思い込みが激しい人、物事のある側面だけに意識をフォーカスして解釈しがちな人には「誤解」される可能性は高まります。その点は注意したほうがいいでしょう。
ところで、人に誤解されることを極度に恐れる人がいます。誤解されたくないがために、不必要な言葉を増やし過ぎてしまう人もいます。
「昨日、帰りが遅くなったのは新入社員の悩みを聞くために、会社の近くの居酒屋に行っていたからだよ。若い女性と二人で飲みに行ったからといって、別に変なお店じゃない。それほど長い時間、店に行ったわけではないし、誤解しないでほしいけど、その後にホテルのラウンジでコーヒーを飲みに行ったのも、彼女をなだめるためであって……」
「私、何にも言ってないじゃない」
「ちゃんと終電に間に合うようには帰したんだ」
「だーかーらー、私は何にも言ってないでしょ。昨日、遅かったねと言っただけじゃん」
誤解を恐れるため、言葉を足し過ぎる人がいます。「相手に誤解されるのでは?」という誤解があるからです。しかし誤解を絶対にされない方法など存在しません。どうしても誤解されたくない相手、状況があるなら、双方向の対話ができるシチュエーションを作りましょう。受け手にアウトプットしてもらうことで、「省略」「歪曲」を最小限にすることができます。
また、ブログを書いている人、フェイスブックやツイッターなどのSNSで何らかの発言、情報配信をする人は、「誤解」についてあまりナーバスにならないほうが良いと私は思っています。私がこれまで書いたコラムで、最もコメントが多く寄せられたのがこちらです。「綺麗ごと」を真に受けるな! 「キラキラワード」が日本をダメにする
膨大なコメントが寄せられていますが、賛否どちらでも、記事の内容に沿っているものと、先入観によって曲解したうえで書かれているものとがあります。私のような書き手は、たとえ批判されようが、なるべく「誤解」されないよう気を付けるべきでしょう。他方、それを恐れていると継続した情報配信ができなくなるというリスクもあります。一方通行のコミュニケーションの場合、誤解されないような言動を心掛けることと同時に、ある程度の「割り切り」が必要ですね。
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