半世紀以上愛され続ける「日本一」のラーメンとは?

「中華そば 福壽」(笹塚)の「五目ラーメン」。日本蕎麦の名残もちらほら。

郷愁を誘う「ノスタルジックラーメン」の世界

「中華そば春木屋」(荻窪)はノスタルジックラーメンの代表格。
「中華そば春木屋」(荻窪)はノスタルジックラーメンの代表格。

 皆さんは「ノスタルジックラーメン」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ひと言で言えば「昔ながらの郷愁を誘うラーメン」のこと。日々アップデートし続けているラーメンの世界において、愚直なまでに昔の味を守り続けている老舗のラーメンには、昨今の流行りのラーメンとは違った魅力がある。ラーメンマニアやメディアはどうしても新しい店や味を追いかけてしまいがちだが、たまには昔から愛されているラーメンにも注目してみてはどうか。そういう想いをこめて2008年に私が書いた本「トーキョーノスタルジックラーメン」で提案したのが「ノスタルジックラーメン」という切り口だ。

 その後、ラーメン好きのあいだではノスタルジックラーメンは「ノスラー」と呼ばれるようになり、そういうラーメンを食べ歩くことを「ノス活」というようになった。またテレビや雑誌、新聞などのメディアも昔ながらのラーメンを取り上げるようになり、ノスタルジックラーメンという言葉は広がっていった。新しいラーメンばかりを追いかけている風潮に対して、ある一定の問題提起が出来たのではないかと個人的には思っている。

1933年創業「大勝軒」(日本橋)の佇まい。まるで時が止まったかのようだ。
1933年創業「大勝軒」(日本橋)の佇まい。まるで時が止まったかのようだ。

 ノスタルジックラーメンという言葉が生まれて今年で10年。そんな昔ながらのラーメンの魅力を4Kカメラで記録した「郷愁の街角ラーメン」(BS-TBS 火23:30~放送中)という番組も企画監修させて頂いているが、その反響の大きさに驚いている。昔ラーメンを食べていた方は懐かしさを覚え、今まで新しいラーメンを中心に食べ歩いていた人たちは新しさを感じ、幅広い層の人たちにノスタルジックラーメンの楽しさを感じて頂けているのは嬉しいことだ。

 ノスタルジックラーメンの魅力をひと言で語るのは難しい。郷愁の漂う店構えを眺めることも、まるで時が止まったかのような空間に身を委ねることも、ちょっと頑固そうな店主がスープを注いだり麺を茹でている真剣な面持ちを見つめることも、そして何十年ものあいだ愛され続けてきたラーメンの美味しさも、すべてがノスタルジックラーメンの楽しみ方。俄評論家のごとくラーメンを分析したりすることなく、ただ目の前にあるラーメンをありのままに受け入れる。そんな楽しみ方が出来るのもノスタルジックラーメンならではだ。

笹塚で半世紀以上愛される老舗「福壽」

創業以来変わることのないノスタルジックな佇まいをまずはじっくりと眺めてみよう。
創業以来変わることのないノスタルジックな佇まいをまずはじっくりと眺めてみよう。

 数あるノスタルジックラーメンの名店の中でも、私が強くお勧めしたい一軒の店がある。それが創業1951(昭和26)年の老舗「中華そば 福壽(ふくじゅ)」(東京都渋谷区笹塚3-19-1)である。京王線笹塚駅北口を出てから続く商店街を歩くこと7分ほど。商店街が終わり住宅街へと景色が変わるそのしんがりに、いい味わいをした古い佇まいの店が唐突に現れる。店の中に入る前にまずはこの外観をじっくりと眺めて欲しい。

 まるで映画や舞台のセットのような店構え。実際、これまでに多くの映画や番組がこの店を使ってロケをしてきたのだそうだ。色を失って朽ちた古い建物にかけられたピンとした暖簾の白と、入口に置かれた植物の緑が一際鮮やかに映える。営業時間やメニューらしい張り紙は一切張り出されていないが、暖簾がかかっていればそれで十分だ。この暖簾は最近になって新調されたものだが「創業六十七年」の文字が控えめに入れられた。二階の窓はなぜかいつも少し空いていて、閉まっているのを観たことがない。

 昔ながらのラーメンというと中華料理からの派生を誰もが考えがちだが、実は日本蕎麦店からの派生や転身も少なくない。福壽も元々は日本蕎麦からの流れで、先代の創業者は戦前新宿で日本蕎麦店を開業し「日本一の蕎麦處」と喧伝して人気を博した。戦後になって笹塚に移転する時、すでに商店街には何軒も日本蕎麦店があったことと、中華そばが当時人気を博していたこともあってラーメン店へと業態を変えたのだという。

「麺茹ででラーメンの味は決まる」

二代目店主の小林克也さん。一見気難しそうに見えるが実は気さくでお喋り好き。
二代目店主の小林克也さん。一見気難しそうに見えるが実は気さくでお喋り好き。

 今となっては珍しい大きな釜戸の前に立つのが二代目店主の小林克也さん。大きな鍋に張られたたっぷりのお湯を使い平ざるで麺を茹で上げる。かつては従業員を何人も雇い、出前などもあって一日に何百杯も売る店だったが、今は基本的に小林さんが一人で店に立つ。『先代の時は同時に何杯も作ってワーッて出していたけれど、自分がやるようになったら一杯一杯丁寧に作ろうと決めていたから』

 いつもにこやかに常連客などと話す小林さんだが、鍋の前に立つと表情が一変して職人の顔になる。『麺茹ででラーメンの味は決まるからね』そう語る小林さん。いつからだろう、ラーメン店や飲食店の厨房に職人の姿を見かけることが少なくなったのは。包丁を使うこともなく、決められたオペレーションをこなすアルバイトたちの「作業」ではなく、何十年も同じことを愚直に続けてきたプロの職人による「仕事」。厨房に立つ小林さんの所作、立ち振る舞いは淀みなく美しい。

懐かしくも力強い「日本一」のラーメン

福壽のラーメンは実にシンプル。スープに何が入っているかは企業秘密。
福壽のラーメンは実にシンプル。スープに何が入っているかは企業秘密。

 チャーシュー、メンマの乗ったシンプルな「ラーメン」は一杯500円。玉子や椎茸などの具が盛られた「五目ラーメン」でも630円という安さだ。動物系の旨味あふれるスープにしっかりと味を主張する醤油ダレ。麺は昔ながらの縮れた細麺だ。昔ながらのラーメンというとあっさりとして優しい味と思うかも知れないが、福壽のラーメンは油分こそ浮いていないものの、しっかりと力強い味わいを持っていて物足りなさが一切ない。現代のラーメンと並べてもまったく見劣りがしない存在感があるのだ。

 時代に合わせて味も変えてきたのだろうと思いきや、ラーメンの作り方や味は創業当時とほとんど変わっていないのだという。その作り方を尋ねると「それは企業秘密」と嘯く小林さん。『ラーメンの作り方は教えてはいけないと、先代から店を継ぐ時に言われたんだよ。「もしその味を教えたやつが隣で店を開いたらどうするんだ」と。だから誰にも言わないの』

丼の底や箸入れに誇らしげに描かれている「日本一」の文字。
丼の底や箸入れに誇らしげに描かれている「日本一」の文字。

 日本蕎麦をルーツに持つノスタルジックラーメンの場合、醤油がしっかりと主張したバランスのものが多い。福壽の醤油ダレが日本蕎麦の「カエシ」を応用しているのかどうかは、企業秘密なので推測の域を出ないが、先代と日本蕎麦の料理人などで味を創ったという歴史から考えても、スープそのものの味よりも醤油でしっかりと味をまとめているバランスからしても、そう考えるのが自然だろう。

 ただ、蕎麦店時代の面影は目に見える形で残されている。五目ラーメンに使われている甘く煮た椎茸は間違いなく日本蕎麦からの引用である。さらにスープを飲み干すと丼の底から現れる「日本一」の文字は、蕎麦店時代の宣伝文句であった「日本一の蕎麦處」を踏襲している。福壽にとって「日本一」とは、蕎麦店時代からの変わらぬ目標であり矜持なのだ。

これからも自分が楽しくやれるペースで

満面の笑みを浮かべる小林さん。この笑顔に会いたくて客はこの店にやってくる。
満面の笑みを浮かべる小林さん。この笑顔に会いたくて客はこの店にやってくる。

 そんな福壽の営業時間はいささかあやふやだ。『忙しいのは疲れちゃうからお昼はやらないの』と笑う小林さん。対外的には "午後3時から麺が切れるまで" となっているが、その日の気分でお昼過ぎから開けることもあるし、疲れてしまったら麺が切れていなくても店を閉める。定休日は火曜日だが時には臨時休業することもある。『この歳になると周りで葬式とかも多いからね、そういう時はお店を休むよ』

 『簡単そうに思うかもしれないけれどラーメン屋さんって結構重労働なんだよ。こう見えて僕ももう後期高齢者だからさ、そんなに長い時間は出来ないよ。無理なことや自分が嫌なことは長くは続けられない。何をやっても飽きっぽい僕だけれど、ラーメン作りは続けられている。だから自分に無理することなく出来る範囲で、これからもこの店をやっていきたんだ』

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※写真は筆者の撮影によるものです。