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ジェフ・バーリン、ジャック・ブルースを弾く。達人は達人を知る【前編】

山崎智之音楽ライター
Jeff Berlin / photo by Arnie Goodman

ジャズ、ロックなどジャンルを超えて活動してきたベースの名手ジェフ・バーリンが最新アルバム『Jack Songs』を海外で発表した。

彼が尊敬するジャック・ブルースに捧げられた本作は、1960年代にジャックが活動したクリームやソロ・キャリアの曲をピックアップ。独自のアレンジを加えながら新たな生命を吹き込んでいる。ジェフの卓越したベース・プレイはまさに“達人は達人を知る”といえるものだが、それに加えてラッシュのゲディ・リー&アレックス・ライフスン、エリック・ジョンソン、スコット・ヘンダーソン、ビル・フリゼール、ゲイリー・ハズバンドら豪華ゲスト陣との共演が実現。さらにロン・カーター、ネイザン・イースト、ビリー・シーン、マーク・キング、トニー・レヴィンなど世界の頂上ベーシスト達が集結して繰り広げる“ベース・リレー”も聴き物だ。

全2回のインタビューで、ジェフは『Jack Songs』とジャック・ブルースへの敬意、数々の一流ミュージシャンとの交流について語ってくれた。まず前編ではジャックの音楽との出会いとその影響について訊いてみた。

Jeff Berlin『Jack Songs』ジャケット(Jeff Berlin Music/現在発売中)
Jeff Berlin『Jack Songs』ジャケット(Jeff Berlin Music/現在発売中)

<クリームの音楽によって自分の価値観が打ち砕かれた>

●今年(2022年)3月に両手の手根管症候群手術をしたそうですが、体調はいかがですか?もうベースは弾いていますか?

うん、ベースを弾かない人生なんて考えられないよ。手術をしてからもずっと弾いているけど、今度は右手首にコブみたいなものが出来てね...特に痛みはないし生活に支障はないけど、今日病院に行くつもりだよ。

●何事もないことを祈っています!

有り難う。自分のプレイに影響はないし、昔ほどテクニカルな速弾きはしないから問題はない。そういうのは若手たちに任せておくよ。私の教え子にも、すごく速く弾ける人がたくさんいる。ネットを見ても名前も知らないベーシストがとてつもないスピードで弾いているし、私は彼らと異なるスタイルでやっていくよ(笑)。新しいアイディアが幾つもあるし、それを追求していきたいんだ。

●『Jack Songs』は2015年に“プレッジミュージック”のクラウドファンディングでスタートしましたが、同社が倒産したり、いろいろ大変でしたね。アルバムが完成して、遂にリリースされて嬉しいです。

“プレッジミュージック”が倒産したせいで、クラウドファンディングされたお金が消えてしまって、アルバムの制作費もなくなってしまったんだ。結局自腹を切って完成させたけど、アルバムを聴いたリスナーはみんな喜んでくれているし、やったかいがあった。とても満たされた気持ちだよ。

●ジャック・ブルースのプレイを初めて聴いたのは14歳のときだったそうですが、1967年でしょうか?

その通りだ。私はヴァイオリンを学んでいて、クラシック音楽の基盤があったけど、ザ・ビートルズを聴いてポップ・ミュージックをやりたくなった。そんなときにクリームの『カラフル・クリーム Disraeli Gears』(1967)、それから『クリームの素晴らしき世界 Wheels Of Fire』(1968)と出会って目覚めたんだ。「クロスロード」と「スプーンフル」によって自分の価値観が打ち砕かれたね。特に衝撃を受けたのがジャックのベース・プレイだった。それで私はエレクトリック・ベースを志すようになって、それが今でも続いているんだ。

●クリームのライヴを見たことはありますか?

ニューヨークの“マディスン・スクエア・ガーデン”で見ることが出来た(1968年11月2日)。もっと何度でも見たかったけど、その後すぐにバンドは解散してしまったんだ。まあクリームの活動期間は短かったし、一度見ることが出来ただけでもラッキーだったのかもね。3人のメンバーが凄まじい迫力のプレイでせめぎ合う、最高のライヴだった。

●花形ギタリストのエリック・クラプトンよりジャックに魅力を感じたのは何故ですか?

誤解しないで欲しいのは、エリックも素晴らしいギタリストだし、尊敬すべきミュージシャンだということだ。ただ私がジャックにより魅力を感じたのは、エリックが1つのキーの枠内でプレイするのに対し、ジャックがそこから踏み出すことを恐れず、自由にプレイしていることだった。私はやはり冒険するミュージシャンが好きなんだ。私だけではない。あの時代を知るベーシストの多くがジャックから影響を受けてきたんだよ。

Jack Bruce
Jack Bruce写真:ロイター/アフロ

●ジャックの音楽やプレイからどんなことを学びましたか?

生まれながらにスポーツ選手や作家になることが運命づけられている人間がいる。私は自分がミュージシャンになるべくしてなったのだと考えている。ジャックは私にとって最高の教師だった。まだ直接会う前から、彼からあらゆることを学んできたよ。彼のようにベースを弾く人間は皆無だった。彼は当時のポップ・バンドのベーシストのようにコードのルート音を延々と弾くのでなく、ハーモニーも交えながら弾いていた。元々アップライト・ベースを弾いていたし、ジャズの理論を心得ながら、それを崩すプレイをしていたんだ。しかもそれをジミ・ヘンドリックスばりの大音量でやっていたのが新しかった。3人の達人ミュージシャンがラウドにプレイするというクリームの世界観はまったく斬新なもので、少年時代の私の音楽観を一変させたんだ。ジャックに共感を覚えた理由のひとつとして、彼がチェロ、私がヴァイオリンと、共にクラシック音楽のバックグラウンドを持つこともあったと思う。

●あなたは常に音楽教育の重要性を主張してきましたね。

正しい知識を学んで、正しい練習をすることは大事なんだ。ポピュラーやロックのミュージシャンには自己流で素晴らしいプレイをする人もいる。でも、彼らはあくまで例外なんだ。正しい教育を受けることで、我々はゴールにより近づくことが出来る。ジェイムズ・ジェマースンだって教育を受けているよ。ジャックには音楽の土台があって、それを踏まえて独自のスタイルを築いていった。私もそうあろうとしている。不遜な言い方かも知れないけど、私たちには共通する音楽のDNAがあるんだよ。我々は音楽で冒険することを愛している。『Jack Songs』は冒険的なアルバムだし、だからこそジャックへの敬意が込められているんだ。

●『Jack Songs』ではクリーム・ナンバーだけでなく、ジャックの1970年代のソロ・アルバムからの曲もカヴァーされていますが、ずっと彼のキャリアを追いかけてきたのですか?

ジャックはクリーム解散後、彼の音楽的ヴィジョンをソロ・アーティストとして表現してきた。1970年代に入っても、彼の活動から目を離すことが出来なかったよ。『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969)『ハーモニー・ロウ』(1971)『アウト・オブ・ザ・ストーム』(1974)は私の人生のフェイヴァリット・アルバムのうちに入る。ベースとヴォーカルが素晴らしいのに加えて、その作曲能力も他の誰とも異なっていた。まるで首根っこを捕まれたように、トリコになったんだ。耳コピーをして、そのスタイルを吸収しようとしたよ。その後もアルバムは聴いていたし、彼が亡くなるまでずっとファンだったんだ。私は来年(2023年)1月で70歳になるけど、今でも大ファンだ。まだまだ好きな曲がたくさんあるし、『Jack Songs 2』も作りたいよ。

Jeff Berlin / photo by Laura Tenenbaum
Jeff Berlin / photo by Laura Tenenbaum

<「Fuimus (We Have Been)」は宇宙の中に霧散していくバラード・ソング>

●ジャック・ブルースと初めて直接会ったのはいつ、どこですか?

1970年代後半、イギリスでビル・ブルーフォードとやっていた頃だ。かつてコロシアムでやっていたドラマーのジョン・ハイズマンが友人で、彼に紹介してもらったんだよ。ロンドンの“ロニー・スコッツ”クラブで初めて会ったけど、緊張で身体が震えて、心臓が喉から飛び出そうだった(笑)。でも彼は「やあ、元気?」ってフレンドリーに話しかけてきて、その後じっくり話して、涙が出るほど笑わせてもらった。それからずっと友達だったよ。

●アラン・ホールズワースの『ロード・ゲームス』(1983)の「ウォズ・ゼアー」「マテリアル・リアル」であなたがベースを弾いて、ジャックが歌っていますが、セッションの模様はどのようなものでしたか?

正直認めるけど、私は怯えきっていた。自分のベースに乗せてジャックが歌うんだからね!もし私が共演して同じぐらい緊張する音楽家がいるとしたら、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンぐらいなものだ。5、6歳の頃からベートーヴェンを崇拝してきたんだよ。モーツァルトやショパン、チャイコフスキー、ワーグナーも大好きだけど、会ってもそれほど緊張しないだろうな。ジャックはそれほど私にとって大きな意味を持つミュージシャンなんだ。彼と一緒に撮った写真は宝物だよ。残念ながら、彼とはその一度だけしか一緒にレコーディングする機会がなかったんだ。ずっとコラボレーションをしようと話し合っていたんだけどね。私がピアノを弾いて彼がベースを弾くか、それとも逆に彼がピアノを弾いて私がベースを弾くか...実現したらきっと良いアルバムになったよ。

●あなたが『パンプ・イット』(1986)でレコーディングした「クロスロード」をジャックは聴いたでしょうか?

あの曲について話したことはなかったけど、聴いている筈だよ。さすがに「どう思いましたか?」なんて訊く度胸はなかった(笑)。エリック・クラプトンが気に入ってくれた話は耳にしたけどね。

●『Jack Songs』はザ・ビートルズの『LOVE』がインスピレーションになったそうですが、どんなところでしょうか?

うん、プロデューサーのジャイルズ・マーティンはアルバム『LOVE』で素晴らしい仕事をしていると思う。彼は幾つものザ・ビートルズの曲を解体して、再構成しているんだ。それと似たことをジャックの音楽で、自分の演奏でやってみたかった。最初にやったのが「Creamed」だった。「アイ・フィール・フリー」「ポリティシャン」「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」「英雄ユリシーズ」「ホワイト・ルーム」「スーラバー」「スプーンフル」などのフレーズを引用しながら、アレンジを加えてひとつの新しい曲にしたんだ。ハードにロックするサウンドにしたかったから、ラッシュのアレックス・ライフスンにリード・ギターを弾いてもらったよ。

●複数の曲をひとつにまとめるアレンジにはそうとう頭を悩ませたのでは?

「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」と「ポリティシャン」はブルース進行という共通点があったり、幾つもの接点があるんだ。それを見つけることが出来て、少しばかりのイマジネーションを働かせさえすれば、繋げることは決して困難ではなかったよ。クリームがやったのとまったく同じようにコピーするのではなく、異なったテイストを加えることで、敬意を表したかったんだ。

●「ランジェロ・ミステリオーソ L'Angelo Misterioso」は「NSU」と「彼女は調子っぱずれ Never Tell Your Mother She's Out of Tune」を合体させた曲ですが、このタイトルにしたのは何故ですか?

“ランジェロ・ミステリオーソ”がジョージ・ハリスンがクリームのアルバムに参加したときの変名だということは、熱心なファンだったらご存じだろう。でも、そのことを知らないリスナーが調べてみて、ジャックの音楽を取り巻く伝説に踏み込んでくれたら面白いと考えたんだ。ジョージは「彼女は調子っぱずれ」に参加しているしね。ジャックは素晴らしい音楽家であるのと同時に、彼自身がひとつの“伝説”なんだ。

●「One Without A Word」は?

『アウト・オブ・ザ・ストーム』の「ワン」と『ハウズ・トリックス』の「ウィズアウト・ア・ワード」を合体させた曲だよ。どちらも大好きな曲だけど、クリームの曲ほど良く知られているわけではないし、光を当てたかったんだ。

●「Fuimus (We Have Been)」について教えて下さい。

この曲は私が書いたオリジナルだけど、歌詞はピート・ブラウンに書いてもらったんだ。ピートはクリームの多くの曲に作詞家として関わってきたし、私のアルバムにも参加して欲しかった。Fuimusというのはスコットランドのブルース家の紋章にある標語で、“私たちは行ってきた”という意味なんだ。奇妙に思えるタイトルだけど、そこがまたジャックらしいと思った。彼はしばしば不思議なユーモアを込めた曲タイトルを付けていたからね。宇宙の中に霧散していくような、私が書いてきたバラード・ソングの中でベストなものだし、自分で歌っているんだ。

Jack Bruce (centre) with Cream
Jack Bruce (centre) with Cream写真:Shutterstock/アフロ

●ジャックの1990年代以降の作品にも素晴らしいものが幾つもありましたが、それらは追っていましたか?

どのアルバムもジャック・ブルースらしさが溢れていたし、彼のアルバムからは常に多大なインスピレーションを受けてきた。特に初期の作品は、まるでロッキー・マルシアノに顔面パンチを食らったような衝撃だったよ。完膚無きまで、ボコボコにされたようだった。その後、自分がプロになって、ようやく彼のレコードを音楽として楽しむことが出来るようになった。ベース・パートの耳コピーなどはあまりしなくなったけど、ジャックの新作が出れば必ず聴いていたよ。彼の最後のアルバム(『シルヴァー・レイルズ』/2014)も素晴らしかった。

●ジャックがジンジャー・ベイカー、ゲイリー・ムーアと組んだBBMの『アラウンド・ザ・ネクスト・ドリーム』(1994)についてはどう感じましたか?

もちろん聴いたし、とても優れた作品だと思った。ただ、クリームで究極のベース+ギター+ドラムスのトリオを体験してしまった後に聴くと、それを超えるものではなかったよ。ゲイリー・ムーアは凄いギタリストだし、彼が若くして亡くなってしまったことは音楽界にとって大きな損失だ。彼と知り合ったのは1970年代、ジョン・ハイズマンと会ったときだった。ジョンがやっていたコロシアムIIのギタリストがゲイリーだったんだ。イギリスでビル・ブルーフォードとやっていた時期にはいろんなミュージシャンと知り合いになって、刺激を与え合っていた。ゲイリーもそんな1人だったんだ。

●ジャック、ゲイリー・ムーア、ゲイリー・ハズバンドの3人が1998年7月、イギリスでクリームの曲を中心にプレイするクラブ・ツアーを行っていました。

ゲイリー・ハズバンドは『Jack Songs』にも参加しているんだ。彼はジャックと親しかったし、凄腕のドラマーだよ。彼とスコット・ヘンダーソン、私でやったクリーム・ナンバーのジャムはアルバムのフェイヴァリットな瞬間のひとつだ。他にもたくさんのフェイヴァリットがあるけどね!彼と知り合ったのもやはり1970年代後半、イギリスでビル・ブルーフォードと一緒にやっていた頃だった。ゲイリーと私、アラン・ホールズワースの3人でジャムをやったんだ。彼とだったら最高のリズム・セクションを築くことが出来ると確信したよ。それ以来彼とは友人だし、何度も共演してきた。『Jack Songs』は彼がいないと完成しないと感じたんだ。

後編記事では『Jack Songs』に参加したアーティスト達との交流、またジェフのキャリアを彩る秘話を掘り下げてみよう。

【アーティスト公式サイト】

https://www.jeffberlinmusicgroup.com

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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