スティーヴ・ハケットへのインタビュー全2回の後編をお届けしよう。

前編記事では主に現在の活動とリーダー・アルバム『サレンダー・オブ・サイレンス〜静寂の終焉』『紺碧の天空 (Under A Mediterranean Sky)』について訊いたが、後編では1970年代、ジェネシス時代の秘話と、プログレッシヴ・ロックの同志たちとのエピソードを明かしてもらった。

『サレンダー・オブ・サイレンス〜静寂の終焉』ジャケット/GEN(弦) 現在発売中
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<キング・クリムゾンと月面着陸が同時に起こることには必然性があった>

●2021年11月から12月、キング・クリムゾンが来日公演を行いました。彼らが2014年に再結成することになったのは、プロデューサーのデヴィッド・シングルトンが“ジェネシス・リヴィジテッド”日本公演を見たことがインスピレーションとなったそうですが、あなたとキング・クリムゾンはどのような関係にありますか?

ロバート・フリップとは長い友達だし、キング・クリムゾンの音楽は大好きだ。彼らの日本公演が成功だったことを願っているよ。ジェネシスとキング・クリムゾンの音楽はかなり異なっているけれど、彼らからは多大なインスピレーションを受けてきた。だからもし“ジェネシス・リヴィジテッド”がキング・クリムゾン再結成へのインスピレーションになったとしたら、これ以上嬉しいことはないね。ジョン・ウェットンやイアン・マクドナルドと一緒に日本でショーをやったのは(1996年)、私の人生のハイライトのひとつだった。私はトニー・レヴィンやジェレミー・ステイシーと共演したこともあるし、ロバートやジャッコ・ジャクジクとも友達だ。キング・クリムゾンとジェネシス、そしてイエスの3バンドは、ひとつのムーヴメントを生み出してきた同志だと考えている。イエスのメンバーとも共演してきたんだ。スティーヴ・ハウ、クリス・スクワイア、ピーター・バンクス、そしてもちろんビル・ブルーフォードと、いずれも最高のミュージシャンシップを持ったプレイヤー達だし、一緒にやれたことを誇りにしている。

●初めてキング・クリムゾンのステージを見たときのことを教えて下さい。

うん、鮮明に記憶に刻まれているよ。1969年、ロンドンの“マーキー・クラブ”で見たんだ。その日はちょうどアポロ11号が月面着陸した、歴史的な日だった(7月20日)。ただの偶然だということも出来るけど、私はそれに大きな“意味”があると信じている。月面着陸は人類史上における最も野心的な行為だった。キング・クリムゾンの音楽もそれと同様に、野心に満ちた音楽だったんだ。その2つが同時に起こることには必然性があったんだよ。

●ロバート・フリップと知り合ったのはいつのことですか?

1971年だった。ロバートがメロトロンを売りに出していたんだ。3台か4台所有していて、そんなに必要ないと気づいたんだろうな(苦笑)。トニー・バンクスと私で見せてもらいに行ったんだ。そのとき買ったメロトロンは『怪奇骨董音楽箱』(1971)と『フォックストロット』で全面的に使っているよ。「ザ・ファウンテン・オブ・サルマシス」「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」「サパーズ・レディ」などで聴くことが出来る。

●ピンク・フロイドやエマーソン・レイク&パーマー、ジェスロ・タルなど、他の“プログレッシヴ・ロック”のアーティストとは交流がありましたか?

キース・エマーソンとはミュージシャンとして刺激を与え合う関係だった。キースと私、ジャック・ブルース、サイモン・フィリップスというラインアップでバンドを結成する話もあったんだ。1980年代の初め、キースが声をかけてきたんだよ。3日ぐらいリハーサルしたけど、そのまま全員のスケジュールが忙しくなって話が立ち消えになってしまった。あの顔ぶれでアルバムを作っていたら面白いものになっていただろうね。実現しなかったのが残念だよ。

Steve Hackett 1973
Steve Hackett 1973写真:Shutterstock/アフロ

<「サパーズ・レディ」は『オデュッセイア』に匹敵する叙事詩だ>

●「サパーズ・レディ」は23分を超える大曲ですが、どのようにして書いたのですか?あなたの役割はどんなものでしたか?

すごく長い曲を書こう、と誰かが提案したのが発端だった。私だったかも知れない、覚えていないよ。ライヴのハイライトになるような曲が欲しかったんだ。ホメロスの『オデュッセイア』に匹敵するような叙事詩だよ。私は幾つかのパートを書いている。今では誰がどの部分を書いたか覚えていないし、全員のアイディアが混じりあって、特定することは不可能だけど、イントロのアルペジオは私がベーシックな部分を書いたよ。ライヴではピーター・ゲイブリエルは物語のナレーターであり、語り部だった。この曲のためにライト・ショーが大規模になって、彼のコスチュームもシアトリカルになっていったんだ。彼は「ウィロウ・ファーム」の部分を書いているし、もちろんトニー・バンクスやマイク・ルザーフォード、フィル・コリンズもそれぞれの貢献をしている。私たちはジャムから曲を書くことも多かったんだ。そうなるともう、“誰が曲を書いた”というのは不毛だよね。「サパーズ・レディ」はバンド全員が力を合わせて創りあげた曲で、2週間という比較的短い期間で書いたんだ。本当に胸を張れる曲だよ。『フォックストロット』をレコーディングして、我々はイタリアをツアーしたんだけど、ギターのオーヴァーダブが残っていた。それでツアーが終わると私だけ飛行機でイギリスに戻って、他のメンバーは陸路で戻った...なんてエピソードもあったよ。若い頃は睡眠時間を削っても働けたんだ。今では無理だな(笑)。

●『怪奇骨董音楽箱』(1971)の「ザ・ミュージカル・ボックス」はあなたが加入した時点でどれぐらい出来上がっていたのですか?

私が加入したとき、バンドは既に「ザ・ミュージカル・ボックス」をライヴで演奏していた。アンソニー・フィリップスは脱退した後で、ミック・バーナードというギタリストが弾いていたよ。彼はすぐに辞めて、私がバンドのメンバー達にアイディアを出すことを求められたんで、既存のコード進行にギターのフレーズやメロディを乗せた。オルゴールっぽく聞こえるパートは私が書いたんだ。我ながら悪くない仕事をしたと思う。クイーンのブライアン・メイもこの曲のギター・ソロから影響を受けたと言っていたよ。

●初期ジェネシスのギタリスト、アンソニー・フィリップスをどのように評価しますか?

アンソニーは過小評価されているギタリストでありコンポーザーで、最高の人間だ。『侵入』(1970)での彼のギター・プレイは、ジェネシス史上屈指の素晴らしいものだし、彼が中心となって書いた「ザ・ナイフ」は名曲だよ。あまりに前任者が優れているので、私がバンドに加入したとき、けっこうなプレッシャーがあったのを記憶している。アンソニーからは影響を受けているし、後になって友達になった。2、3回コラボレーションもしているし、彼と一緒にやるのは喜びだよ。

●ジェネシスに在籍中、あなたがサイド・プロジェクトとしてソロ活動をすることに他のメンバーが反対して、結果としてあなたは1977年に脱退することになりました。すると、その直後に残ったメンバー全員がソロ活動あるいは別プロジェクトを始めました。理不尽だと感じましたか?

ハハハ、感じなかったよ。私は争いを好まないタイプなんだ(笑)。私のソロ・キャリアはジェネシスのツアーやレコーディングと重ならないように気を付けていたけど、彼らは不安に感じていたようだ。でも自分たちもバンド外の活動をするようになって、スケジュールの調整が決して不可能でないことに気づいたんじゃないかな。フィルのソロ・アルバムやマイク&ザ・メカニックス、トニーのバンクステイトメントはいずれも優れた作品だったし、それでいてジェネシスの作品の質を犠牲にすることがなかった。だから彼らがバンド外の活動をやったことは正解だったよ。

Steve Hackett on stage
Steve Hackett on stage写真:REX/アフロ

<私にとってバッハとブルースは同じ価値を持つものだ>

●あなたの自伝『ジェネシス・イン・マイ・ベッド』には、ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ時代のエリック・クラプトンやピーター・グリーンのような1960年代のブリティッシュ・ブルースから影響を受けたと書いてありますが、ジェネシスでのあなたのギター・プレイからはあまりブルース色を感じません。当時、ブルースを弾くことを避けていたのですか?

うん、ジェネシスでは意識的にブルースから距離を置いていたね。1970年代初め、イギリスにはもう掃いて捨てるほどブルース・ロック・バンドがいたし、そんな連中と差別化を図りたかったんだ。ただ、エレクトリック・ギターの進化においてブルースは重要な位置を占めていたし、それ自体が“プログレッシヴ”な音楽スタイルだった。だからブルースからは常に刺激を受けてきたよ。ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベック、ロリー・ギャラガーもブルースに根差した音楽をやっていて、大好きだった。マイク・ルザーフォードもジョン・メイオールのライヴを見に行ったり、けっこうなファンだった。1980年代に入って、フィル・コリンズがB.B.キングと共演しているビデオも見たことがある。みんな実はブルースが好きだったんだ。私にとっても、バッハとブルースは同じ価値を持つものだよ。

●ブルース・アルバム『ブルース・ウィズ・ア・フィーリング』(1995)を作ったのは、どんな意図があったのですか?

ブルースが好きだったし、いつかブルース・アルバムを作りたかったんだよ。ちょうどタイミングが良かったんだ。ピーター・グリーンがジョン・メイオールとやっていたフレディ・キングの「ザ・スタンブル」、オーティス・ラッシュの「ソー・メニー・ローズ」とかをレコーディングした。ギターだけでなくブルース・ハープもやりたくて、リトル・ウォルターの「ブルース・ウィズ・ア・フィーリング」もレコーディングしたよ。その頃、ポール・ジョーンズがイギリスのラジオ局“JAZZ FM”でパーソナリティを務めていたんだ。彼はシンガーでイギリスを代表するハーモニカ奏者の1人でもあるけど、私のハーモニカを褒めてくれたよ。

●1980年代末から1990年代初め、音楽シーンでブルース再評価の気運がありましたが、その影響はありましたか?

まったくなかった。スティーヴィ・レイ・ヴォーンなどのおかげでブルースが注目されたけど、私は彼がデビューする前からブルースの大ファンだったからね。彼の『テキサス・フラッド〜ブルースの洪水』(1983)やゲイリー・ムーアの『スティル・ゴット・ザ・ブルース』(1990)、エリック・クラプトンの『フロム・ザ・クレイドル』(1994)がなくても、私は『ブルース・ウィズ・ア・フィーリング』を作っていただろう。ただ私はいろんな音楽が好きだし、ブルースをキャリアにするつもりはなかった。それでブルース路線は1作のみになったんだ。

●あなたのギタ−・テクであるグレアム・リリーはゲイリー・ムーアとも一緒にやっていて、来日公演にも同行していました。

グレアムとは長い付き合いだよ。彼はギターのことなら隅から隅まで知っているし、ライヴで不測の事態があってもすぐ対処してくれるんだ。ゲイリーとは直接会ったことがなかったけど、凄いギタリストだったね。「パリの散歩道」でのギターのトーンは並外れたものだった。『スティル・ゴット・ザ・ブルース』もイギリスにブルースを復活させた重要なアルバムだった。ゲイリーやロリー・ギャラガーのようなアイリッシュのギタリストは、ブルースが血の中を流れているのかも知れないね。ジェネシス時代、イギリスのどこかの大学でやったライヴでロリーと一緒だったんだ。それで楽屋でいろいろ話すことが出来たよ。

●『サレンダー・オブ・サイレンス』に続くスタジオ・アルバムの予定はありますか?どんな路線になるでしょうか?

新しいアルバムは既に作り始めているよ。エレクトリックのヴォーカル・ナンバーを3曲レコーディングしたけど、とても良い出来映えだ。2022年になったらさらに曲作りとレコーディングを進めることになる。きっと最高のアルバムになるから、楽しみにして欲しいね。

【最新アルバム】

『サレンダー・オブ・サイレンス〜静寂の終焉』GEN(弦)IACD10641

紙ジャケット仕様

スティーヴ・ハケット自身によるアルバム&楽曲解説/直筆コメント/日本語解説/英文ブックレット対訳/歌詞対訳付属

『紺碧の天空』GEN(弦)IACD10508

デジパック仕様 日本語解説付属

『THE TOKYO TAPES LIVE IN JAPAN

東京テープス~ライヴ・イン・ジャパン1996+ボーナス・トラック』GEN(弦)IACD10642/643/644

紙ジャケット仕様 特製収納ケース/日本語解説付属

https://www.interart.co.jp/business/entertainment/genlabel.html

【日本公演(中止)】

Steve Hackett(スティーヴ・ハケット) GENESIS REVISITED TOUR 2021

https://clubcitta.co.jp/detail/6342