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【インタビュー前編】クリス・マコーマック(ザ・プロフェッショナルズ、3カラーズ・レッド)パンクを語る

山崎智之音楽ライター
The Professionals / photo by TATAMI

2018年12月にUKパンクのレジェンド、ザ・プロフェッショナルズが来日公演を行った。

元セックス・ピストルズのポール・クックとスティーヴ・ジョーンズが1979年に結成したザ・プロフェッショナルズは1982年に解散。今回の再結成にはスティーヴは不参加だが、ポールに加えてTHE YO-YO'Sのトム・スペンサー(ギター&ヴォーカル)、3カラーズ・レッドのクリス・マコーマック(ギター)、ヘイ!ヘロー!やアンチプロダクトのToshi(ベース)という、イギリスのロック・シーンで活躍してきた歴戦の強者が集結、まさにスーパーグループに生まれ変わっての初来日となった。

百戦錬磨の実力派ミュージシャン達の中で、今回はクリス・マコーマックに焦点を当てることに。全2回のインタビュー記事の前編で、彼はUKパンク・ロックやゲイリー・ニューマン、アダム・アントとの共演について語ってくれた。

<日本の人々の闘志に感銘を受けた>

●日本に戻ってきてくれて嬉しいです!Twitterで「前回日本に来たとき、ツナミの真っ只中にいた」とツイートしていましたが、それは東日本大震災のことですか?

うん、2011年だよ。休暇で日本に来ていたんだ。香港と日本で2週間のバケーションだった。地震があったとき、ちょうど東京にいたんだ。鉄道駅の地下にいたせいか、地震を感じなかった。電車を降りて地上に出たら、電話とメールの着信が山ほどあったよ。「大丈夫?」ってね。

●...あの地震を感じなかったのですか?

そうなんだよ、不思議なことだけどね。とにかく東京にいるのは危険かも知れないということで、京都に向かったんだ。それから1週間京都にいたけど、何度も余震があった。イギリスに帰国するにあたっていったん東京に戻ったら、節電で街のネオンが消えていて、すごく暗かったのを覚えている。世界の終わりじゃないかと思った。当初、あの前日ぐらいに東北に行くつもりだったんだ。でもアイアン・メイデンが東京(さいたまスーパーアリーナ/3月12・13日予定)でショーをやると知って、予定を変更した。彼らのマネージメントは3カラーズ・レッドも担当していてよく知っていたし、見に行くことにしたんだ。時期的に重なっていたし、もし東北に行っていたら...と考えると恐ろしいよ。

●その後、福島第一原発の事件がありましたが、偶然ながら3カラーズ・レッドには「ニュークリア・ホリデイ」という曲がありましたね。

...うん、もちろん、まったく無関係な歌詞だけどね。...こうして戻ってきて、日本の人々が悲劇を跳ね返して立ち上がってきた闘志には感銘を受けている。本当にリスペクトするよ。

The Professionals / photo by TATAMI
The Professionals / photo by TATAMI

<セックス・ピストルズからとてつもない影響を受けた>

●ザ・プロフェッショナルズに加わったのはどんないきさつでしたか?

トム(スペンサー)は20年ぐらい前、彼がTHE YO-YO'Sでやっていた頃から知っていたんだ。ザ・プロフェッショナルズのアルバム『What In The World』(2017)で数曲プレイして欲しいと頼まれて、その後にライヴでも一緒にやりたいと言われた。俺が10年前からオーガナイズしている “カムデン・ロックス・フェスティバル”に彼らをブッキングしたら、自分でステージに上がるはめになったわけだ(苦笑)。“カムデン・ロックス”には今回のザ・プロフェッショナルズ来日公演でサポートを務めてくれる流血ブリザードも出演しているよ。

●ザ・タリーワッグス名義で発表したワールド・カップ・レコード「Charge Of The Light Brigade」(2018)とザ・プロフェッショナルズ加入はどちらが先でしたか?

ザ・プロフェッショナルズの話の方が先だよ。ザ・タリーワッグスはトムが企画したワールドカップ応援歌で、本格的なバンドではなかった。ポールとトム、ダニー(マコーマック/クリスの兄でザ・ワイルドハーツのベーシスト)とトーイ・ドールズのオルガが俺のスタジオに集まってレコーディングしたんだ。セッションというよりもパーティーだった。楽しかったね。

●あなたは昔からザ・プロフェッショナルズのファンだったのですか?

もちろん!俺のオールタイム・フェイヴァリット・バンドはセックス・ピストルズなんだ。最も影響を受けたギタリストはスティーヴ・ジョーンズだよ。彼らのあらゆるレコードを聴きまくったけど、ピストルズは音源が少ないだろ?それだけじゃ足りなくてあらゆる派生バンドのレコードも聴きまくった。ザ・プロフェッショナルズも好きだったよ。3カラーズ・レッドが『クリエイション・レコーズ』と契約出来たのは、グレン・マトロックのおかげだったんだ。彼が『クリエイション』から出したソロ・アルバム『グレン・マトロック』(1996)で俺がギターを弾いていたからね。オーナーのアラン・マギーがスタジオに来たとき、グレンが俺を紹介してくれたんだ。それでアランは3カラーズ・レッドのライヴを見に来て、『クリエイション』と契約することになった。

●1970年代のUKパンクはリアルタイムで経験しましたか?

俺は1973年生まれだから、それは不可能だよ。初めてピストルズの『勝手にしやがれ!! Never Mind The Bollocks』(1977)を聴いたのは9歳のときだった。兄貴のダニーは俺より1歳上だったから、先にベースを弾き始めた。それまで彼が弾いていたギターを弾かなくなったから、俺が譲り受けたんだ。2本しか弦を張っていなかったんで、俺はポジションを変えるだけでピストルズの曲を練習していた。ピストルズからはとてつもない影響を受けたよ。ザ・プロフェッショナルズはアルバム『炸裂 I Didn't See It Coming』(1981)で知ったんだ。文字通りレコード盤が擦り切れるまで聴きまくったな。今聴くと、音質やミックスは最高!とは言えないけど、当時はそんなことは気にしなかったし、今でも大好きだよ。

●他に好きだったパンク・バンドは?

もちろんクラッシュやダムドは好きだった。その後のジ・エクスプロイテッドやクラスにはハマらなかったな。兄貴はそういうのも好きだったけどね。

The Professionals / photo by TATAMI
The Professionals / photo by TATAMI

<ゲイリー・ニューマン、アダム・アントと共演した>

●あなたは2006年にゲイリー・ニューマンのツアー・バンドに加入していますが、早い時期から彼の音楽を聴いていたのですか?

いや、ゲイリーの音楽はよく知らなかったんだ。ファンというわけでもなかった。俺はグランド・セフト・オーディオというバンドをやっていて、ゲイリーと一緒にアメリカをツアーしたんだ。それで彼とは友達になった。ある日、彼のバンドのギタリストがツアーの2週間前に突然脱退したんで、俺に声がかかったんだ。ゲイリーのバンドでやるようになってから、彼の音楽の素晴らしさを改めて知ることが出来た。昔のレコードを買い集めて聴くようになったよ。今では彼のバンドではやっていないけど、こないだロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでの彼のショーを見に行った(2018年11月19日)。オーケストラとの共演で、素晴らしかった。

●ゲイリー・ニューマンというと神秘的でエキセントリックなイメージがありますが、実際にはどんな人物ですか?

普段接していると、いたって“普通”の人間だよ。ジョークも飛ばすし、話していて楽しい人だ。彼とは『幻想アンドロイド Replicas』(1979)、『エレクトリック・ショック!  The Pleasure Principle』(1979)、『テレコン Telekon』(1980)のアルバム再現ツアーをやったんだ。どれもライヴ・アルバム/DVD化されているよ。それらのアルバムはエレクトロニック・ミュージックを軸としているけど、ギターやベース、ドラムスをフィーチュアしている。ロック・バンドの構成で演奏されていて、ファンキーな要素もあるんだ。俺は基本的にギタリストだったけど、ショーの半分ぐらい俺がピアノを弾くこともあった。面白いチャレンジだったよ。子供の頃に少しピアノを習った程度だし、ちょっとしたコードを弾いた程度だけどね。

●ダニーもピアノは弾けるでしょうか?

うーん、たぶん弾けないと思うよ。俺より前にロックに目覚めていて、ピアノには興味を示していなかった。まあ俺だって褒められた腕前はしていないしね(笑)。

●ゲイリー・ニューマンとはスタジオでレコーディングは行いましたか?

いや、スタジオではやったことがない。俺が加入したのは『Jagged』(2006)が完成した直後だった。だからアルバムでギターを弾くことはなかったんだ。ツアー、それからラジオ用のセッションはしたことがあるけどね。ゲイリーのスタジオ・アルバムではロブ・ホリデイとスティーヴ・ハリスがギターを弾いているよ。あとはギター音のサンプリングを使っている。

●その後、アダム・アントのアルバム『Adam Ant Is The Blueblack Hussar In Marrying The Gunner's Daughter』(2013)に参加していますが、それはどのように実現したのですか?

特にドラマチックな経緯はなかったんだ。ゲイリー・ニューマンとのツアーでアダム周辺の関係者に注目されたんだと思う。彼と一緒にやらないかと誘われたんだ。2009年ぐらいだった。アダムは双極性障害があって、精神状態が不安定で、バンドを維持するのが難しかったんだ。アルバムでは俺は6曲ぐらいを書いて、そのうち4曲が収録された。曲を書いて、アダムにバッキング・トラックを渡して、彼が歌詞を書いて歌ったんだ。単なるデモだったけど、アダムはそのままアルバムとして発売してしまった。俺は「出すべきではない」と反対したんだけどね。愚かな行為だよ(溜息)。

●アダム・アントと一緒にやることは“夢が叶った”という感じではなかった?

そうでもなかったな...もちろん彼がかつて人気アーティストだったことは知っていたし、好きな曲も幾つもある。ただ影響は受けていないし、大ファンというわけでもなかった。 だから仕事のオファーがあったときも冷静だったよ。もしセックス・ピストルズに誘われたら卒倒するだろうけどね!

●ゲイリー・ニューマンやアダム・アントの後、誰かのバックを務めるオファーはありましたか?

いや、しばらくギタリストとしての活動は休止していたんだ。ツアーの連続の人生だったし、ひと息つく必要があると思った。子供のそばで暮らしたかったのも理由だった。15歳と5歳の娘と一緒にいたかったんだよ。12歳の息子はアメリカに住んでいて、なかなか会えないけどね。ツアーに出ていなくても“カムデン・ロックス”を含め、ロンドン近辺でライヴのオーガナイズをしているから、それで忙しいんだ。俺にまたギターを持たせたのはトムだった。ザ・プロフェッショナルズに引っ張り込んだんだよ。でもこのバンドで久々に日本でショーをやることが出来て嬉しいね。ザ・プロフェッショナルズへの加入は、かなり現実的だった。もちろんポールと一緒にやるのはスリルを感じたけど、トムやToshiは友達だし、“夢が叶った”という感覚ではないかもね。ただ、ザ・プロフェッショナルズのショーは毎回エキサイティングだよ。このバンドで次のステップに向かっていくのが楽しみだ。

●ザ・プロフェッショナルズとしての今後の活動について教えて下さい。

2019年にニュー・アルバムを作るんだ。『What In The World』でも俺はギターを弾いたけど、クリエイティヴな面で深く関わったわけではないし、他にもいろんなギタリストがゲスト参加していた。今回は最初から、チームの一員として関わっているんだ。リズム・トラックはザック・スターキーのスタジオで録って、ギターは俺のホーム・スタジオでレコーディングすることになる。ザ・プロフェッショナルズのニュー・アルバムで自分が曲を書いてギターを弾くというのは不思議な気分でもあるけど、同時に最高にエキサイティングだよ。

後編ではクリスに自らのバンドだった3カラーズ・レッドとグランド・セフト・オーディオの思い出、『クリエイション・レコーズ』との交流、そして1990年代の“ブリットロック”ムーヴメントの裏側を語ってもらおう。

●来日前記事(2018年12月)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20181201-00106198/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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