【光る君へ】藤原家が五摂家という5つの家に分かれた理由を考える
大河ドラマ「光る君へ」は、藤原氏が栄耀栄華を極める時代を描いている。平安末期になると、藤原家は五摂家(一条家、二条家、九条家、近衛家、鷹司家)に分かれるが、その理由を考えることにしよう。
10世紀後半以降の藤原道長、頼通の時代になると、2人は摂関政治を展開し、藤原氏の全盛時代を迎えた。しかし、まったく問題がなかったわけではなかった。
藤原氏の子孫が増えていくと、藤原姓の者が多くなっていった。そうなると、どこの藤原氏なのか、わからなくなってしまう。これは、武家についても同じである。
そこで、それぞれの家が名乗る姓についての対策が必要になった。以下、摂関家(近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家)を例として、考えることにしよう。
一条家は、九条道家の三男・実経を祖とする。実経が一条室町(京都市上京区)に居を構えたのが、家名の由来となった。
二条家は、九条道家の次男・良実を祖とする。良実が二条京極(京都市上京区)に居を構えたのが、家名の由来となった。
九条家は、藤原忠通の三男・兼実を祖とする。兼実が京都九条殿(京都市上京区)に居を構えたのが、家名の由来となった。
近衛家は藤原基実を祖とし、基実の長男・基通が京都近衛殿(京都市上京区)に居を構えたのが、家名の由来となった。
鷹司家は、近衛家実の四男・兼平を祖とする。兼平が鷹司室町(京都市上京区)に居を構えたのが、家名の由来となった。
このように藤原北家の子孫は、それぞれが住む邸宅の地名を家名とした。そして、五家が摂政・関白の職を交代で務めたのだ。子孫が居住した邸宅の地名を家名としたのは、何も五摂家だけではなかった。先述のとおり、武家も同じことだったのである。