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【光る君へ】改めて「さんせう大夫」から考えてみたい人身売買の話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、人身売買の場面が描かれていた。人身売買と言えば、「さんせう大夫」の話であるが、どういう話なのか、改めて確認しておこう。

 「さんせう大夫」は説経浄瑠璃などの語物文芸であり、幼くして人買商人に騙された安寿と厨子王姉弟を主人公とした物語である。以下、物語を確認しておこう。

 奥州五十四郡の大守・岩城判官正氏は、讒言により無実の罪で筑紫(福岡県西部・南部)に配流となった。父を慕った安寿と厨子王の姉弟は、母と乳母を伴って父を捜すため旅に出た。

 一行は越後国直江津(新潟県上越市)までたどり着くと、1人の女房から「旅のお方よ。ここは慈悲第一のところですが、1人悪い者がいて、その話が国司に漏れ聞こえています。旅人に宿を貸す人は人売りなのです」と声をかけられる。それゆえに宿貸しを禁止する制札が立てられ、宿を貸す者はいなかったという。

 そこへ山岡の大夫なる人さらいがあらわれ、安寿と厨子王ら一行に宿を貸すと言った。これが悲劇のはじまりであった。結局、宮崎と佐渡二郎なる者が舟を漕ぎ寄せ、安寿と厨子王ら一行を山岡の大夫から買い取ったのである。

 騙された安寿と厨子王ら一行は売り飛ばされ、2人は丹後由良(京都府宮津市)に、母は佐渡島(新潟県佐渡市)へと引き離されたのである。

 佐渡へ連れ去られた母は、逃亡できないように足の筋を切られ、鳴子をひいて鳥追いをさせられた。母は我が子と離れた悲しさと、自らの身上を嘆き、泣き潰れて両目の光を失った。

 一方の安寿と厨子王の姉弟は、丹後由良に連れ去られ、7貫文で山椒大夫に売り飛ばされた。厨子王は柴刈りに従事させられ、安寿は汐汲みの仕事を与えられた。山椒大夫の譜代の下人に「こはぎ」なる者がおり、何かと2人の兄弟を気遣っていたという。

 こうした生活が続いたものの、安寿と厨子王の姉弟は、ある重大な決意をした。2人は柴の庵に住んでいたが、ここで逃亡する計画を話し合ったのである。

 しかし、この計画は山椒大夫に漏れ伝わり、罰として2人の姉弟の額には、譜代の下人の証である焼印が押されたのである。こうすれば、どこへ逃げても山椒大夫の下人であることが一目瞭然だった。

 その後、安寿は厨子王を逃すことに成功したが、逃した罪で激しい拷問を加えられ、わずか16歳で落命する。何とか山椒大夫のもとから逃げ出した厨子王は、のちに都で栄達を遂げ、丹後五郡の領主となった。

 そして、佐渡に捕らわれの身になった母と再会を果たす。厨子王は丹後で山椒大夫を搦め取り、竹製の鋸で首を引かせるという極刑に処した。こうして母子は本国に帰り、もとの生活を取り戻したのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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