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大河ドラマでも話題になった井伊直虎は、女性だったのか? それとも男性だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
彦根城。(写真:イメージマート)

 来月22日、かつて彦根藩主井伊家の居城だった国宝「彦根城」(滋賀県彦根市)で『NAKED彦根まつり 2024 桜』が開催される。こちら。井伊家の先祖とされる井伊直虎は大河ドラマの主役になったが、女性だったのか、男性だったのか考えることにしよう。

 井伊直虎の事績を記した史料として、『井伊家伝記』という史料がある。『井伊家伝記』は正徳5年(1715)、井伊家の菩提寺・龍譚寺(浜松市浜名区)九代住職・祖山法忍が記した井伊家の家譜である。

 その記述に際しては、口伝や記録を参考にしたといわれている。内容は全66段に分かれており、井伊家歴代の貴重な伝記となっている。とはいえ、二次史料であることに注意すべきだろう。

 直虎の父は直盛で、母は新野親矩の娘だった。直盛の祖父が直平である。井伊氏は永正期に没落したが、直平の代に至って、今川義元の配下に加わった。直盛は井伊谷およびその周辺において、着実な支配を展開しており、確固たる地位を築いた(「蜂前神社文書」)。

 直虎が井伊直親(直盛の養子。井伊直満の子)と婚約をしたことは、『寛政重修諸譜』に書かれているが、詳しいことが書かれているわけではない。

 『井伊家伝記』には、「井伊直盛公には、一人娘がいた。両親(直盛とその妻)が考えるには、時節が来たとき、亀之丞(直親)を養子にし、次郎法師(直虎)と夫婦にしようと約束していた」と記されている。

 『寛政重修諸譜』は2人が婚約したと明言しているが、『井伊家伝記』には直親と直虎を夫婦にしようという考えがあったとしか書かれていない。すでに婚約が履行されていたのか、予定だったのかは判然としない。

 『寛政重修諸譜』は幕府に提出された家譜であるが、実は「直虎」とはっきりと書いておらず、単に「女子」と記載されているだけである。直虎だけが特別ではなく、多くの女性が同じような扱いを受けている。

 寿桂尼(今川氏親の妻)、洞松院尼(赤松政則の妻)などのように、夫の死後、若き当主を支えるべく、政治に携わった女性がいるのは事実である。とはいえ、そういう例は、極めて乏しいといわざるをえない。

 また、「次郎法師」、「直虎」というのは、明らかに男性の名前である。「蜂前神社文書」には、「次郎直虎」と署名した文書があるので、これを井伊直虎つまり女性としてきたのであるが、いささか早計に過ぎるだろう。

 「次郎法師」と「直虎」の存在が混同された可能性は高い。関連する史料が乏しいので、明確に結論付けるのは困難であるが、常識的に考えると井伊直虎が女性とは考えにくいのではないだろうか。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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