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事情があって、再婚を余儀なくされた4人の戦国女性

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
文京区の伝通院にある千姫の墓。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康の前に多くの女性が登場した。今回は、事情があって、再婚を余儀なくされた4人の戦国女性を取り上げることにしよう。

1.於大の方(1528~1602)

 於大の方は三河国刈谷城(愛知県刈谷市)主の水野忠政の娘として誕生し、三河国岡崎城(愛知県)主の松平広忠と結婚した。ところが、水野信元(於大の方の兄)は今川氏から離反し、織田氏に与したので事情が変わった。

 今川氏に味方した広忠にとって、妻の実家が裏切ることは許されなかった。こうして天文13年(1544)、広忠は於大の方と離縁し、その後、於大の方は阿久居城(愛知県阿久比町)主の久松俊勝と再婚したのである。

2.お市の方(1547~1583)

 お市の方は、織田信秀の娘として誕生し、のちに近江国小谷城(滋賀県長浜市)主の浅井長政と結婚した。ところが、浅井氏は信長を裏切ったので、のちに滅ぼされた。お市の方は、織田家に戻ったのである。

 信長の死後、お市の方は越前国北庄城(福井市)主の柴田勝家と再婚したが、勝家は羽柴秀吉との関係が悪化していた。そして、ついに両者は雌雄を決することになったが、勝家は敗北。お市の方は、夫とともに北庄城で自害して果てたのである。

3.江(1573~1626)

 江は、浅井長政とお市の方の子として誕生した。最初の結婚相手は佐治一成(織田信雄の家臣)であるが、一成は羽柴秀吉の逆鱗に触れて追放された。次の江の再婚相手は、羽柴秀勝(秀吉の養子)だったが、秀勝は朝鮮半島に出陣中に病没した。

 その次の江の再婚相手は、江戸幕府の2代将軍となった徳川秀忠(家康の子)である。この再婚はうまくいき、江は秀忠との間に千姫、家光ら2男5女に恵まれた。最後に幸運が訪れたのである。

4.千姫(1597~1666)

 千姫は、徳川秀忠と江の子として誕生した。関ヶ原合戦から3年後、徳川家は豊臣家との厚誼を結ぶため、千姫を豊臣秀頼に嫁がせた。しかし、大坂夏の陣で豊臣家は滅亡し、秀頼は自害して果てた。千姫は、辛うじて大坂城を脱出したのである。

 大坂夏の陣後、千姫は本多忠刻(忠政の嫡男)と再婚した。しかし、千姫を救出した坂崎直盛は、千姫と結婚させるという約束を反故にされたので、輿入れの行列を襲撃しようとした。しかし、それは失敗に終わったのである。

 当時の武家には自由恋愛はなく、おおむね政略結婚だった。戦国大名からすれば、娘は同盟関係を結ぶためのコマに過ぎなかった。それゆえ、ときに不本意な結婚、再婚があったと考えられる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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