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本能寺の変前夜、明智光秀はノイローゼになっていたという説は妥当なのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
明智光秀。(提供:アフロ)

 今回の大河ドラマ「どうする家康」では、明智光秀が織田信長から暴力を受けていた。一説によると、本能寺の変前夜の光秀はノイローゼだったというが、それは妥当な説なのか考えてみよう。

 織田信長は短気な性格として知られ、傲慢でかつ残忍、気まぐれで人を人と思わぬような冷酷で無慈悲な人物として描かれてきた。フロイスの『日本史』によると、信長の性格は大筋でそのような点が認められる。それゆえ、信長に仕えていた光秀には、苦労が絶えなかったと想像されている。

 一方の光秀は、残った画像(堺市本徳寺所蔵。イラスト参照)を見ると、いかにもひ弱な印象を受ける。しかも、光秀は連歌を趣味とし、茶道にも通じた教養人だった。そんな光秀だったので、苛烈な性格の信長に口答えできず、激しいイジメに遭ったとでも考えられたのかもしれない。

 ところが、フロイスの『日本史』によると、光秀の性格は信長と似ており、人を騙すことなどお手のものだったらしい。つまり、光秀を従来のひ弱なイメージでとらえるのではなく、もっと力強い野心家だったと考えるのが良さそうである。

 かつて、心理学者、精神医学者が本能寺の変前夜に光秀がノイローゼだったと指摘した理由は、光秀が信長から常に叱責あるいはイジメられ、精神的に落ち込んでいたであろうことを挙げている。今で言うなら、信長はパワハラ上司で、光秀は立場の弱い部下ということになろう。

 むろん、心理学者、精神医学者は光秀を診察することができないので、イジメなどの現象をもとにして分析したものだ。しかし、ここで重要な問題がある。そもそも、光秀が信長からイジメられた、あるいは厳しく叱責を受けたことは事実なのかということだ。

 光秀が信長からイジメられた、あるいは厳しく叱責を受けた事実は、質の悪い二次史料に書かれたものばかりで、とても信が置けない。たしかな一次史料では裏付けができない。したがって、光秀が信長から本当に不当な扱いを受けたのか、大前提として疑問が残る。

 いずれにしても、光秀は信長に不満を抱いていたのだから謀反を起こそうとしたのであり、その直前の心理状況が不安定だったのは、誰が考えてもわかることである。光秀がノイローゼだったという説は、取るに足らない話といわざるを得ない。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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