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豊臣秀吉だけではなかった。イタリア人商人カルレッティが行った奴隷売買

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
足枷。(写真:イメージマート)

 『デイリー新潮』には、韓国旅行者が大阪城の秀吉像に“中指”を立てた記事があった。こちら。実は豊臣秀吉配下の武将だけでなく、イタリア人商人カルレッティも人身売買を行ったので、紹介することにしよう。

 秀吉と同時代に日本に来たイタリア人商人カルレッティの『世界周遊記』には、朝鮮人奴隷を売買した模様が書かれている。さらに同書によると、朝鮮半島では多くの朝鮮人奴隷が相当な安値で売買されていた事実が記されているので、以下、紹介しよう。

 カルレッティは、5人の朝鮮人奴隷を約12スクードで買った。その後、彼らにキリスト教の洗礼を受けさせるとインドのゴアへ連行し、4人を自由人として解放した(理由は後述)。残った1人はイタリアのフィレンツェまで連れて行き、アントニオと名乗らせてローマに住まわせた。

 ところで、カルレッティが買ったアフリカ人奴隷は、1人が100スクードだったが、朝鮮人奴隷は5人で約12スクードだったので、1人が約2.4スクードである。朝鮮人奴隷がいかに安かったか理解できるだろう。

 カルレッティは、買ったアフリカ人奴隷をコロンビアで180スクードで売り、80スクードも儲けた。こうして転売を繰り返し、カルレッティはかなり利益を得た。では、なぜ安値の朝鮮人奴隷をたくさん買わなかったのか。その理由は、同書に書かれていない。

 考えられることとしては、朝鮮人奴隷は高値で取り引きされず、それゆえ安値だったと指摘されている。安値で朝鮮人奴隷を買っても、道中で彼らに食料を与える必要がある。余分な経費が掛かるのだ。

 カルレッティがインドのゴアで4人の朝鮮人奴隷を解放したのは、転売の見込みが立たなかったのかもしれない。つまり、朝鮮人奴隷には、奴隷市場における商品価値が乏しかったと考えられる。その理由は想像するしかないが、やはりアフリカ人奴隷のほうが屈強だったからだろうか。

 男性のアントニオ以外の4人の性別は明らかではないが、男性と推測されている。当時のポルトガル男性の独身者は、正式な妻を持つことなく、日本などのアジア諸国で女性の奴隷を購入し、妻の代わりにすることが珍しくなかった。ポルトガル男性が女性奴隷を購入したことは、諸書に見える。

 カルレッティが購入した朝鮮人奴隷が女性ならば、本国だけでなく途中の東南アジアの諸国で、ポルトガル人に高値で売れたに違いない。つまり、途中で朝鮮人奴隷を手放したのは男性だったからで、高値で売れないと諦めたからだろう。

 いずれにしてもカルレッティは、奴隷売買で大儲けしたので、秀吉以上のすごい男だったようだ。

主要参考文献

榎一雄『商人カルレッティ』(大東出版社、1984年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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