謎の歩き巫女・千代は、武田信玄が放ったスパイだったのか
大河ドラマ「どうする家康」では、謎の歩き巫女・千代で盛り上がっている。千代は、本当に武田信玄が放ったスパイだったのか、考えることにしよう。
謎の歩き巫女・千代を演じているのは、不思議な雰囲気がある古川琴音さんだ。千代は三河一向一揆に際して、一向宗の門徒を扇動したり、反家康の武将を仲間にしたりするなどし、一揆方として重要な役割を果たした。
しかし、三河一向一揆が終結すると、忽然と姿を消した。その後の千代は、武田信玄の前に姿をあらわし、松平家康の人物評を報告した。「家康の才覚は織田信長に遠く及ばず、肝っ玉は小さいが、自分自身のことはよくわかっている」というのが、千代の家康評である。
千代が実在したかと言えば定かではなく、おそらくドラマだけのオリジナルキャラクターと考えられる。しかし、千代は武田信玄が放ったスパイで、そのモデルは望月千代女であるという。では、望月千代女とは、いったい何者なのだろうか。
望月千代女は、望月城(長野県佐久市)主・望月盛時の妻であるといわれている。盛時は武田氏に仕えており、永禄4年(1561)の川中島の戦いで討ち死にしたという。その後、望月千代女は信濃・甲斐の2ヵ国の神子頭(みこがしら)に任じられたと伝わっている。それゆえ、千代は歩き巫女になったのだろう。
一説によると、望月千代女は「くノ一」(女性の忍者)であり、武田家のために各地で諜報活動に従事したと指摘された。しかし、この説については根拠不詳であり、事実確認をできないという指摘もある。
当時、歩き巫女は各地を巡り、宗教活動を行っていた。それゆえ怪しまれることなく、さまざまな国に入国することができた。そうした立場を利用して、諜報活動を行った可能性があるかもしれないが、あくまで想像にすぎず確証があるわけではない。
ドラマの歩き巫女・千代は、先述のとおりドラマ上でのオリジナルキャラクターにすぎない。しかし、以後のドラマをきっと盛り上げてくれるだろうと思う。今後の活躍を期待しよう。
主要参考文献
中山太郎『日本巫女史』(大岡山書店、1930年)
福田晃『神道集説話の成立』(三弥井書店、1984年)
稲垣史生『考証日本史』(人物往来社、1971年)
吉丸雄哉「望月千代女伝の虚妄」(『忍者の誕生』勉誠出版、2017年)